
この話の提供者であるCさん。
彼女が高校生の頃の体験談である。
どこの学校にも一人くらいは、眠気を誘うような授業をする先生がいる。Cさんの通っていた高校にも、そんな先生がいた。
(眠気を誘う授業内容、ということで。仮にN先生とする)
やる気がないわけではない。だが、生徒を指名して問題を解かせたりせず、ただ静かに淡々と教科書を読み上げるだけだ。年配の男性なので、その声質と相まって、どうしても眠気を誘われる。昼休みや体育の授業の後だと、特につらい。
実際、N先生の授業ではクラスの大半が居眠りをしていたし、真面目な生徒でも睡魔と戦っているらしい様子を度々見た記憶があった。
Cさん自身もそれなりに真面目な生徒だったため、頑張って話を聞いてノートをとろうとするものの、しょっちゅう睡魔に襲われ、そのまま寝てしまったことも少なくなかったそうだ。
──Cさんは、そのN先生の授業に関して、奇妙な体験をしたのだという。
ある日のこと。
いつも通り、CさんはN先生の授業を受けていた。
いつもの様に、教科書を読み上げる先生の声が、皆の眠気を誘う。
大半の生徒が既に脱落し、いびきを立てる中、Cさんは睡魔に抗っていた。時折、眠気に負け、首がガクッとなり、
(おっと、いけないいけない……)
となる。
そんな風になりながら、頑張ってノートをとっていたのだが……。
そこに、急に聞こえて来た音があった。
鼻唄だった。
『♪フ〜ンフ〜ンフ〜ン』
どうやら、誰かが鼻唄を歌いながら廊下を歩いているらしい。
廊下側の窓から離れた、クラスの中程の席にいるCさんにまではっきり聞こえていることから、結構な音声で歌っているのがわかる。
(誰だろう……?)
生徒か、教職員か、あるいは外部からの訪問者か。そう思って目を向けると、廊下側の窓、そのむこうを影が通っていくのが見えた。曇りガラスの向こうなので、性別や服装等はわからないが、背丈はCさんと同じくらいのように思える。
そうしてCさんが廊下を歩く影を見ていると……。
ピキピキピキッ!
その影が廊下を通った瞬間。
結構な音と共に。
廊下側の窓ガラス、その内の一枚に大きなヒビが入った。
(えっ⁉︎)
不可解な光景だった。
廊下の影が窓に何かをぶつけたり、あるいは思いっきり押したり叩いたりしたわけではない。影はそんな動きはしなかったし、それどころか窓に近づいてすらいない。
それなのに、そんな大きなヒビが、窓ガラスに急に入ったのだ。
ヒビの様子は、かなり深刻なように思えた。少しぶつかったりしただけで、粉々に割れて破片が崩れ落ちて来そうだ。そうなると、窓際の席の生徒が危ない。
そこでCさんが、その窓のすぐ隣の席の生徒へ目を向けると……。
(……あれっ⁉︎)
その生徒は、机に突っ伏したまま、眠っている。
周囲を見ると。他の生徒たちも、同じように眠っていたり、ウトウトしている。
鼻唄にしても、ガラスの音にしても、結構大きな音量だったのに。まるでそれらがCさんにしか聞こえなかったかのように、皆そのまま眠っているのだ。
(え、どういうこと?)
そこで、Cさんはおかしなことに気がついた。
あれだけの音量で鼻唄を歌いながら廊下を歩いていたのだ。当然、他のクラスにも聞こえているはずだ。なら、犯人の正体を突き止め、注意するために先生たちが出てくるはずだ。
なのに、そんな様子は一切ない。
(え、私にしか聞こえてないってこと? ていうか、夢?)
わけがわからず困惑するCさん。
すると……。
「……ん? あ、あー、あー」
それまでずっと淡々と教科書を読み上げ続けていたN先生が、ふっと顔を上げ。割れた窓の方を見て、そんな声を上げた。
そして立ち上がると、教卓の傍に置かれたセロテープを手に取り、窓の方へ近づいていく。
窓のそばまで来ると、N先生はセロテープをガラスに貼って補修を始めた。その貼り方が、また何とも適当なものだった。
(もっとこう、ヒビに沿って貼るとかした方がいいんじゃないの……?)
そんな風に思いながら、先生が補修している様子を眺めるCさん。
奇妙なことに、すぐ隣で先生がゴソゴソしているにもかかわらず、相変わらず窓際の生徒は眠ったままで、ピクリともしなかった。
「……よし」
その内に、補修を終えたN先生はそんな声と共に満足げに頷いた。そして教卓へ戻ると、何事もなかったように授業を再開したのだった。
鼻歌が聞こえてから先生がガラスの補修を終えるまで、およそ数分。その間、Cさんから見える範囲のクラスメイトは皆眠ったままで、目を覚ましたらしい者は一人もいなかった。
(え、どういうことなの⁉︎ 夢⁉︎)
困惑するCさん。後になって考えれば、先生に何をしているのかとか、その時に訊ねれば良かったのかもしれない。だが、その時のCさんはそんな気にならなかったし、そもそもそんな考えが浮かびもしなかった。
その内、先生が教科書を読む声を聞いていると、再び眠気が襲って来た。そして彼女もクラスメイトたちと同じように眠ってしまったのだった……。
Cさんが目を覚ましたのは、あと数分で授業が終わるという頃だった。
起きたばかりでぼんやりした彼女の頭の中に、次第にさっきの奇妙な出来事について、記憶が蘇ってくる。
(そうだ。さっきの窓ガラス……)
そしてガラスの方を見て、驚いた。
授業終了後、窓際の生徒が席を立った隙に、Cさんは窓へ近づき、ガラスの様子を改めて確認した。
ヒビが、消えていた。
(何で……⁉︎)
あれだけ大きなヒビが入っていたのに、新品のようにきれいになっている。別の窓と間違えたのかとも思ったが、他のものにもヒビは入っていない。もちろん、そんな短時間に割れたガラスを入れ替えるなんてことが出来るはずもない。
では、全て夢の中の出来事だったのかというと、そうではない。
窓には、セロテープが貼られていた。
授業中にN先生が補修した、あの適当な貼り方の通りに、だ。
すると、あの時の出来事は、やはり現実だったのか。しかし、そうするとヒビが消えていることについて説明がつかない。
全くわけがわからなかった。
その内に、昼休みになった。
お弁当を食べながら教室内を見ていたCさんは、あるクラスメイトに目を留めた。
クラスで一番真面目なことで知られる女子だ。
いつもしっかり授業を聞いていて、テスト前になるとノートを貸して欲しいと皆から頼まれる、そういう生徒である。
彼女の席は、Cさんより後ろにある。あの時、さすがに授業中なので背後を振り返って確認することは出来なかったが、彼女なら眠気に耐えてちゃんと授業を聞いていた可能性がある。
なら、彼女に訊けば、あの出来事が夢か現実か判断できるはずだ。
そう考え、Cさんは彼女に訊いてみることにした。
「ちょっといい? 変な話だけど、さっきの授業の時なんだけどさ……」
そうしてCさんが先程の体験について話すと、その女子生徒の表情が見る間に変わっていく。
「……ああ、よかった! あたしだけじゃなかったんだ!」
聞けば、後ろの席にいた彼女も、Cさんと全く同じ光景を目撃し、わけがわからず困惑していたのである。
「ああ、やっぱり、夢じゃなかったんだ!」
体験談をすり合わせた結果、自分の見間違えでなかったことを確認できて安堵する二人だったが、しかし意味がわからないことに変わりはない。
二人でいろいろ話し合った挙句、その女子生徒が、
「……あんまり、触れちゃいけないことなのかもしれないね」
と言うので、
(そういうもんなのかなあ……)
と、Cさんもそう考え、話をそこで打ち切ったそうだ。
──その日の放課後のことだった。
Cさんは帰宅部である。部活がないので、すぐに帰って良いのだが、昼間の出来事のせいか、気持ち悪くて何故かすぐ帰る気にならず、教室に残っていた。
ふと気づき、時計を見るとかなり遅い時間だ。さすがにもう帰らないといけない。
傍を見ると、例のガラスには、まだセロテープが貼ってある。
何となく気持ち悪さを感じ、
(実際に割れてるわけじゃないし、良いか……)
そう考え、貼られたテープを全て剥がし、そして下校することにした。
そうして、昇降口に向かおうと、階段を降りて一階に向かうと……。
Cさんの通う高校には、当時、あまり使われていない校舎があった。普段は備品置き場として使われている、いわゆる旧校舎だ。
そこから、音が聞こえた。
ガシャン!
(……え、何だろう?)
不思議に思い、Cさんは音の正体を探りに、旧校舎に行ってみることにした。
ホコリの臭いの充満する旧校舎に入ってすぐ。
Cさんは、薄暗い廊下の奥に人の姿を認めた。
N先生だった。
棒状のものを携え、それを振るい。
廊下側から教室の窓を、次々に叩き割っているのだ。
(えっ、N先生、何してるの⁉︎)
普段、穏やかで物静かなN先生。その彼と、目の前で行われる凶行が結び付かず、呆気に取られ、固まったまま眺めるCさん。
その様子を見ている彼女の頭に、急にある考えが浮かんだ。
校舎も、階数も違うが。
N先生が、今まさに窓を叩き割ろうとしている教室。
それは、そのままスライドさせると、Cさんが普段使っている教室と同じ位置にあるのではないか。
上手く言葉にできないが、そんな気がした。
そうしてCさんが見ていると、不意にN先生の動きが止まった。
棒を下ろし、視線を彼女の方へ向ける。
「……ああ。早く帰りなさい。もう遅い時間だから」
そのように、普段と全く変わらない口調でそう言われた。
恐怖と困惑の中、Cさんはその言葉に応える。
「……いや、あの。ガラスの割れる音がして。何だろうと思って見に来たんですけど……」
「……ああ、これ? これは、片付けとくから」
Cさんの言葉に、N先生はことも無げにそう答える。
「あっ、そうですか……」
先生のその様子に何も言えなくなり、Cさんは慌てて学校を出たそうである。
──Cさん曰く。
『それっきり』だったそうだ。
「いい先生だったんですけどねえ……」
そんな風に言葉を濁され、それ以上のことを聞かなかったため、N先生がどうなったのかは不明である。
※ただ、最後にCさんが語った内容によると。
後日、同じ階の別のクラスの友人たちにも、その日のことを訊いてみたそうだ。
すると、やはりあの時、誰か廊下を歩きながら鼻唄を歌うのを聞いた、そんな証言が多数得られた。
ただ、ある地点でぷっつりとその声が途切れたらしい。
学校の廊下、その両端には階段があり、当然そこに隣接する教室がある。その教室にいた生徒によると、その鼻唄は、ちょうど階段に差し掛かるだろうというあたりで聞こえなくなったのだという。
つまり、階段を降りる間もずっと歌っていたのではなく、廊下を歩いている時だけ歌っていた、ということになる。
その証言により何かがわかったわけではない。むしろ、余計にわけがわからなくなって不気味さが増したわけだが、そのような補足情報があったそうである。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『 禍話フロムビヨンド 第三十二夜』(2025年2月22日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/811529472
から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:28:10くらいから)
題はドントさんが考えられたものを使用しております。
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見出しの画像はこちらから使用させていただきました
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