仮置き場

ツイキャス『禍話』で語られた怖い話の文章化を主にやらせていただいてます

リライトの使用に関するお知らせ(追記有り)

※23年1月末追記
禍話公式より以下の通り、声明が出されました。

 

禍話 二次創作に関して

https://note.com/nightmares4/n/na4b584da01fe

 

今後、特に大きな変更のない限り、私のリライトに関してはこちらの内容に準拠するものとします。

 


なお、朗読等で私のリライトを使用したいという方は、以下の文章をお読み頂ければ、と思います。
(この辺については、以前と変わりはありません)

 

 

 

平素よりご覧いただき誠にありがとうございます。

また、近頃はYouTubeでも自分のリライトを元に朗読していただくことも多く、あまりこういうことに慣れていないこともあって本当に恐縮しております。

 

一方、先日。自分をはじめ他の皆さんのリライトが無断転載されるという問題も発生しました。

これを受けて、

『朗読をしたいのだけど、リライトを使用してもよろしいですか』

というお問合せも受ける様になりました。

ですので、一度そのあたりについて明記しておこうと思います。

 

 

●基本的には『禍話』の理念に基づき、私のリライトについては朗読、ゆっくり等、ご自由にお使いいただいて大丈夫です。

 


(22年9月末追記。とはいえ、全く連絡無しに使われるよりは、一言連絡を頂いた方がこちらとしても気分が良いというか覚えが良いというか、そういう面も確かにあります。
そもそもの問題、その一つである完全に『無断転載』のブログ。あんな感じにやられると、流石にこちらもムッとしますので…)

 

●その際。

①『出典が禍話であること』『私のリライトを元にしていること』この二つを明記する。

 

②『元ページ(禍話の該当する放送回、私のリライト記事など)へのリンク』を貼る。

 

この点を守っていただきたく思います。

 

具体的には、例えばYouTubeなら動画の概要欄にその旨を記載していただく。そういう形でしょうか。

 

私のリライトは最後に、その話の放送回、禍話wiki、舎弟さんや酢豆腐さんの切り抜き動画へのURLを貼っていますが、それを適宜改変しつつコピペしていただく、というのもいいかもしれません。

また、例えばゲーデルさんなど、既に私のリライトを朗読して下さっている方もおられますが、そうした皆さんの動画を参照していただくのもいいでしょう。

(いつもありがとうございます。楽しみに聞かせていただいております)

 

 

●それと、これは普段から本編を聞いてリライトする際にもしていることですが、発表する媒体に合わせて聴きやすい、読みやすい形にアレンジしていただいても大丈夫です。

ただ、『著しい改変』はご遠慮いただきたいかな、と思います。

(例えば、話の中身が大幅にガラッと変わってしまったり、話の良さや怖さの核となる部分を削ったり、ということです。さすがにそれはないとは思いますが、一応)

 

 

●そして、自分はあくまでリライトを『趣味』としてやっていますので、これでお金を稼ごうという気持ちは毛頭ありません。

ですが、YouTube等の他の媒体についてはよく知らないので、もしかしたらそちらでお金が発生する、ということもあるのかもしれません。

その場合、もしよければ本家である禍話の語り手、かぁなっきさんへAmazonほしい物リストから何か贈ってあげるといいんじゃないかな、と思います。

 

 

 

……今後、何かしら事情が変わったらここまでに書いた内容も変化するかもしれませんが、今のところはこんなところでしょうか。

 

 

つまるところ。

私のリライトに関しては、

『出典をちゃんと表記し、元記事へのURLを貼ってね』

ということであり、

『無断転載。自作発言。本編から逸脱した改変。そういうこと(あるいはそれに類する行為)だけはやめてね』

ということです。

これらを守っていただく限り、基本的に使用をお断りすることはないと思います。

また、何か不明な点などがあれば可能な範囲で対応しますので、その際はnoteの問い合わせ用のページやツイッターなどからご連絡ください。

 

※ただ、上記内容に関してはあくまでも、

 

『私のリライト』

 

についての話ですので、他の書き手の方々のリライトを使用したいと思われた時は、
(ヴェナルとかいうやつがこう言ってたから、それでいいだろ)
などと横着をせず、その都度書き手の方にコンタクトを取って了承を得るようにしてください。
言うまでもないこととは思いますが、念のため。

 

 

……吶喊で書いたということもあり。長々と、グダグダとした内容ですが、『禍話』というコンテンツを心穏やかに楽しむためにも皆様にもお伝えしておかなくてはと思い、リライトをやっている者として、それ以前に一人のリスナーとして書かせていただきました。

よろしくお願いします。

禍話リライト 怪談手帖『鼠不知(ねずみしらず)』

f:id:venal666:20241111125904j:image

 

平成の半ば頃の話だという。

 

提供者であるAさん。

彼が休日の早朝に、目覚ましがてら、自宅の近隣を散歩していると。

 

ふと。

頭上から何かが降ってきて。

目の前の道路に転がった。

 

小石よりも小さい何か。

しかし、何故か妙に目についた。

 

拾い上げてみると。

薄茶色に汚れた、妙な形の白いかけらだった。

 

(何だろう、見覚えがあるような……)

 

しばらく観察してから、その正体に気づいて。

「……ウワッ!」

Aさんは思わず声を上げ、それを放り出した。

 

 

人間の、歯であった。

 

 

大人のそれではなく、乳歯のようである。

抜けた子どもの歯。

それも、色合いからして、かなり古いものだ。

 

慌てて見回したが、周囲に人影はない。

 

歯が飛んできた方向にあるのは、人が住まなくなって久しい平屋。

その辺りは、戦前からの建物が多く残っており、空き家も多かった。

そのうちの一つ。ちょうどその屋根の上から落ちてきたような感じだったが。当然、そこにも人の気配などない。

全く理解できない。何が何だかわからない。

首を傾げながら、その時はそれで終わった。

 

 

……ところが、何日かして町内会で集まって話し合った際。

 

ここ最近、同様の体験をしたという人が、何人もいることが判明した。

 

 

いずれも、あの家の近くを歩いていた時に。

後ろ頭に当たったのを拾ってみたら、とか。

シャツの襟に何か入ったと思ったら、とか。

そのように、様々で……。

 

中には、

「キラリと光りながら落ちてきたんだ」

そう主張する者もいた。

 

 

大抵は皆、そのまま放り投げるなり、捨てるなりしていたが。

「落ちてきたそれを、何となく持ち帰ってしまった」

という人も、何人かいた。

それを聞いて、彼らにハンカチや手拭いなどに包んだそれを持って来させると。

Aさんが見つけたのと、やはりほとんど同じもののようである。

 

「……歯が落ちてくるなんて、聞いたことがない」

 

おまけに。

よく考えれば、こんなに小さなものを全員が歯だと判別できたというのも、何やら奇妙な話である。

 

だんだんとその場の者たちが不気味がって、あれこれと話した結果。

「……イタズラにしてもタチが悪い」

ということで、有志で件の家の近辺を見回るなどの方策が取られた。

 

しかし、特に成果がなかった。

それどころか、見回りをしていた者が、また新たに降ってきた歯のようなものを拾ってくる始末である。

 

「こうなったら、監視カメラでも何でも設置して……!」

となったものの。

 

「…… その前に、あの家について。一応、調べておくべきでは?」

という声が出た。

 

そこで。

Aさんを始めとする数人で、当たってみたところ。

戦後すぐくらいまでは、一家が住んでおり。

彼らが他所へ引っ越していって以来、誰も住んでいないということがわかった。

 

逆に言うと。

それ以外には、めぼしい情報が出てこなかったのだ。

 

それでもめげずに、いろいろ聞き込み回る内。

近隣に一人暮らしをしている高齢の男性。その男性の家に、問題の家の、一家の暮らしていた当時の写真があるとわかり、何人かと共にAさんは休みの日に訪ねていったのだという。

 

擦り切れた畳の一室。老人の皺だらけの手で、手垢の染みた箪笥の底から引っ張り出されたそれは、パラフィン紙に挟まれ、色褪せて薄茶色になった白黒写真だった。

 

「……紙を剥いで、ちゃぶ台の上に乗せられた、それを見た時。誰からともなく、『……えっ?』と、声が上がった……」

 

 

……とは、Aさんの弁だ。

 

 

あの家の軒下に、晴れ着を着た子供が三人。並んで立っている。

その顔が、どれも能面のように無表情で、やけに目鼻口が薄く見える。

どうやら、年月の経過により写真の細部が掠れて劣化したせいらしかったが、問題はそこではない。

 

 

写真を目にした瞬間に、全員が。

(ああ、この子たちの歯だ……)

直感した。

 

 

同行した全員がそうだったらしく。

視線を交わしながら、口々に、

「あの歯……」

「あの歯だ……」

言葉が漏れた。

 

さらに続けて。

Aさんの隣にいた、中年女性が。

思ったままを、口にした。

 

 

「……これってさ、あれじゃない? ほら!」

 

 

「……『鼠の歯にかえてくれ』ってやつ!」

 

 

(それを、無言で行う土地も少なくないが)

乳歯が抜けた時。

下の歯なら屋根の上に、上の歯なら軒下に。

息災を願い、『鼠の歯とかえてくれ』と言いながら投げるという、有名な言い伝え。

 

全員が、

(……それだ)

と感じて、思わず頷いた。

 

あのまじないのまま。

あの一家が住んでいた当時、家に向かって投げられたものだろうと。

理屈ではなく、直感で理解したのだという。

 

一瞬、胸のつかえが一つ下りたような、そんな心地で曖昧な笑みを浮かべたものの。

 

すぐに、何も解決していないことに思い至った。

 

(仮にそうだとして。それが何故、今さら降ってくるんだ……?)

 

Aさんたちはその一家について、あれこれとその老人に訊ねた。

しかし、老人はほとんど一家の人となりや背景について憶えていなかったようで、受け答えも甚だ曖昧だった。

ただ、少なくとも一家の越していく時までに不幸などはなかったはずだと、老人は朧げな記憶を辿りながら言った。

 

 

その家を辞した後も、Aさんたちは他に当時のその辺りのことを知る人がいないかと探したのものの、結果としては空振りに終わった。

 

ただ、歯については。

答えがないなりに、延々と議論を続ける中で。

ポツリと誰かが言った。

 

 

「……つまりさ? 『投げ返されてる』ってことだよな」

 

 

何十年も前に、願いを込めて家に向かって投げられた子どもの歯。

それが、返ってきている。

 

その言葉を受けて、別の誰かが笑った。

 

「……『誰』がやるってんだよ、そんなこと! いったい、どんなやつが。なんで……」

 

 

Aさんはその会話を聞いた時。

 

『契約の不履行』『払い戻し』

 

そんな言葉が、何故かフッと頭に浮かんだ。

そして、自分でもその意味がわからないままに、ゾッと寒気がしたのだという。

 

 

結局、一枚の写真と、そこから得た霊感とでも言うべき歯への答え合わせ以外は何もわからなかった。

予定していた監視カメラも取り付けられたが、イタズラの実行犯が見つかることはなかった。

 

歯は、それから一月の間に同じようなペースで落ちてき続けて、やがてパッタリと止んだ。

正確には数えていないが、最終的には合計で五、六十本ほどを数えたようだ。

 

「……ちょうど子ども三人分に当たるんじゃないか」

そう主張する者もいたが。

それ以上、考えるのはやめにしたのだそうだ。

 

 

※余寒コメント

歯を投げる、という俗信に纏わる家族。

ということで、大学時代に集め、ごく初期に禍話に送った『マスク大家族』を、当然僕は想起した。

 

しかし、確認したところ。

特に近しい地域でもなければ時代も違うし、実際に起きている現象も異なるので、直接の関係は今のところ見出せない。

 

今回紹介した俗信については、地域や時代によっては鼠ではなく、

『鬼の歯とかえろ』

と言って歯を投げることもある、そうである。

 

 

※【怖い話】マスク大家族【「禍話」リライト40】

https://note.com/dontbetruenote/n/n93e5b197060a

この話『マスク大家族』のコミカライズも収録された、漫画版『禍話』はこちら……

https://www.amazon.co.jp/dp/4046063092/ref=sspa_mw_detail_0?ie=UTF8&psc=1&sp_csd=d2lkZ2V0TmFtZT1zcF9waG9uZV9kZXRhaWwp13NParams

 

そしてこちらは11月20日(水)発売『禍話 弐』……

https://amzn.to/3O0Bzki

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話インフィニティ 第三十八夜』(2024年4月6日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/790950654

から一部を抜粋、文章化したものです。(0:53:40くらいから)

禍話Twitter(X)公式アカウント

https://twitter.com/magabanasi

禍話wiki

https://wikiwiki.jp/magabanasi/

見出しの画像はこちらから使用させていただきました

https://www.photo-ac.com/main/detail/22568086&title=%E4%B9%B3%E6%AD%AF

禍話リライト 怪談手帖『うわん』

f:id:venal666:20241012112830j:image

会社員のAさんの話である。

 

「……『ワッ!』っておどかすやつが苦手、って言うとさあ。

『わかります。ホラー動画とかのそういう演出、嫌ですよね〜』

なんて返されるんだよ。

まあ、合ってるんだけど……、ちょっと違うんだよねえ。

う〜ん、言い方が下手だから仕方ないのかなあ。

自分がおどかされるのは全然いいの。他人がおどかされるところを見るのが、無理なんだよ。

いやまあ、無理になっちゃったっていうか。そのきっかけの話なんだけど……」

 

 

彼が大学生だった、ある夏。

サークルの部室で、BとCという後輩二人が肝試しに誘ってきた。

大学からさほど離れていない場所に古い日本家屋があって、『おばけが出る』と噂されている。

そこへ行こう、というのだ。

 

「まあ、俺は行かなかったんだけどね」

噂は知っているけど、人がいないからって勝手に入るのはダメだろ。

彼はそんな至極真っ当な意見で、誘いを一蹴した。

後輩たちは女の子なども誘っていたが、誰も応じる者はなく、結局彼らは二人だけで、休みの日にその屋敷へ肝試しに行ったらしい。

 

 

……ところが。

誘ってきた時はテンションが高かったのに、休み明けにそのことを訊ねても歯切れが悪い。

行ったのかと訊くと、行ってきたと言うが。

どうだったと訊いても、二人とも曖昧な顔で言葉を濁す。

 

「まあ、あんな威勢良く出ていっておいて、何もなかったとも言いにくいのかなって。その時は、まあ、あまり気にはしてなかったんだけど……」

 

 

それから程なくして。

Cが失踪してしまったというのである。

 

 

「大事じゃないですか……」

と僕(『怪談手帖』蒐集者、余寒さん)が驚くと、Aさんは、

「ホントだよねえ……」

と頷いた。

 

「でも。肝試しと関係あるのか、っていうのが、よくわからなかったんだよね」

 

Cは肝試しをした直後にいなくなったわけではなく、前述のように大学に来た後、夜勤のアルバイトにも出ていた。

妙にオドオドした様子で仕事を終えた後、一人暮らしの自宅に帰らず、そこから行方がわからない、という流れだったらしい。

Bの方は、Cの捜索願が出されるに及んで相当なショックを受けていたようだが、何か知っているかと訊かれても『わからない』と答えていた。

 

捜索は続けられたが、Cは結局見つからないままだった。

 

Bは、というと。

もちろん意気消沈はしていたものの、サークルを辞めたりすることなく、Aさんたちに続いて普通に卒業までを過ごしたようだ、という。

 

 

「……で。話はそこからなんだけど」

地元で就職したAさんが社会人になって十数年を経た、ある日の晩。

仲のいい同僚と飲んで、二軒目へ行こうと店を出たところで、不意に携帯電話に着信が入った。

Bからだった。

「卒業してからろくにやり取りしてなかったから、酒も入ってたし、すげえ懐かしく思ってさ」

電話口で交わした会話によれば、Bは地元を出て職を転々としていたが、一昨日からこちらへ帰ってきているのだという。

「久しぶりだし、その内飲もうよ」

と言うと、

「……今から会えませんか」

と言うので、Aさんは少し驚いた。

 

「いや、結構遅い時間だったからねえ。だって、次の店行こう、って言ってんだから。でも、それより何より……」

 

Bはさらに、

「いつかの肝試しのこと、憶えてますか」

と問うてきた。

(急に話が飛んだな……)

と思いつつ、

「憶えてるよ。Cがいなくなる直前だったし、お前ら、仲良かったし……」

と答えると、

「実は、ずっと言えなかったんですけど……」

とBは切り出した。

 

 

「実はあの時、俺たち。あそこでおばけ見たんですよ」

 

 

「え、な、なんだって⁉︎」

問い返すAさんには構わず、電話のむこうの声は続いた。

「Cのやつ、それでいなくなっちゃったんじゃないかって、俺ずっと思ってて。なるべくそのことは考えないように、逃げてたんですけど。仕事に失敗して帰ってきたのを機会に、誰かに話したくなったんです。それで一番話しやすかった先輩に……」

 

「……いやあ。俺も、

(なんだこれ、どうしようかな……)

って思ったんだけどさあ……」

 

Bは相当に思い詰めた様子だった。

肝試しがどうこうというより、社会に揉まれたらしい後輩の精神状態が心配になって、Aさんは、

「いいよ、すぐ会おう」

と答えたそうだ。

 

すると嬉しそうな声で、

「実は今、大学近くにいて。あの屋敷に向かっているから、あそこで落ち合いませんか」

などと言ってきた。

 

Aさんは再び面食らってしまったが、Bは構わず、

「中には入りませんよ」

とか、

「あの時のこととか話すには、現場がちょうどいいんです」

などと続けた。

 

「いやあ、もう全然、理屈がわかんなかったよ。でもさあ……」

Aさんは、これはいよいよヤバいんじゃないかと思った。

(……不法侵入しそうなら止めないといけないし。適当なところで飲み屋にでも誘導しよう)

酔いの入っていたこともあり、気の大きくなっていたAさんはOKの返事をした。

面白がった同僚が、

「どうせ明日は休みだから」

と、ついて来てくれることになったのにも後押しされた。

 

道すがら、クラウドに保存していた大学時代の写真などで、

「こいつこいつ」

と、Bのことを説明したりしつつ。駅を降りて、懐かしいキャンパスを過ぎ、町外れへ向かう。

 

「思ってたより、様子は変わってなかったかなあ」

 

街灯がポツポツと続いて、ボンヤリとした光溜まりがまだらに生じている。

そんな中、古い道の角を曲がり、やがて行手の突き当たりに庭木のこんもりとした影が先に見え、その下にぐるりを板塀に囲まれた廃屋が見えた。

 

「在学中に何度か外から見たことはあったんだけどねえ。ああ、これ、まだあったんだって、驚いたというか……」

 

入り口から少し離れて、塀の前に男が立っているのが見えた。

手を振ると振り返してきて、Bとわかった。薄暗い遠目にも、風貌は確かにそれである。

目の前まで来ると、

「こんな時間に、すいません」

と頭を下げた。

近くで見たBは少し太っていて、しかも歳の割に髪の毛がだいぶ薄くなってしまっていた。

 

「だいぶ苦労したんだろうなあ、って感じで。うん、あいつなりに大変だったんだろうな、って。ただ、ちょっとねえ……」

 

「自分もさっき来たところですよ」

とBは話していたが。

なんだかまるで、ずっとそこで待っていたような。立っていたような。

風景の一部であるかのように、妙にしっくりと馴染んでいるように見えた。

 

「いやまあ。なんかそういう気がした、ってだけなんだけど……」

 

久しぶりの再会を喜ぶAさんの言葉や、ついてきた同僚の挨拶への返事もそこそこに。

Bは植物の覆い被さった屋敷の塀を背にして、大学時代の肝試しのことをいきなり喋り始めたのだという。

 

たどたどしく要領を得ない早口だったが、要約すると内容は単純だった。

 

あの日、二人でこの屋敷に入り『ヤバいもの』を見た。

本当におばけだったかは正直わからないが、明らかに普通ではなかった。

あんなものがいるとは思わなかった。

自分たちは本当に知らなかった。

 

「いやもう、そういった言葉の繰り返しで。何が出て、どうヤバかったのか、って訊くんだけど。そこは答えてくれなくて……」

 

さらには、Cの失踪がそのせいであると、Bは何度も主張し、自分を責めた。

同僚とAさんとで、関係ないだろう、気にしすぎだろうと説得しても聞かない。

 

「まあ、ねえ。埒があかないというか、詳細も全然わからないし。もうとにかく、あとはここからどう連れ出して落ち着かせるかってことだけ考えてたんだよね。そしたら……」

 

 

その時、Aさんは微かな違和感を覚えた。

 

 

説得を試みるBの、言わば背景でしかなかった古い屋敷。

その背景の一部が、小さく動いたように感じたのだ。

 

(……ええっ?)

と思って、捲し立て続けているBの方から視線をそらし、直感的にそちらへ目を向ける。

 

 

板塀の上。

緑が雑多に被さった、その場所。

 

指が出ていた。

 

左右に五本ずつ、汚れた指。伸び切った灰色の爪。

そして、その真ん中には、黒い丸い形。

(……はみ出した人の頭だ!)

と気づくのに、些か時間がかかった。

 

今出てきたものじゃない、と思った。

どちらかと言うと、ずっとそこにあった。

塀に手をかけたような形で、緑と一緒に背景の一部となっていて。

ちょっと動いたせいで、初めてそれに気づいてしまったというような……。

 

 

混乱する頭の中で、それでもAさんは比較的冷静な判断を下していた。

(……これはドッキリだ)

ふと横目で見ると、隣の同僚も唖然とした顔で同じ方に視線をやっている。自分の見間違いではない。

そのまま、互いに視線と無言のやり取りを交わした。

ふざけてる。いい歳をした大人のやることじゃない。怒るべきだろうか。

Aさんたちが逡巡している内にも、Bはこちらの顔すら目に入っていないような熱っぽさで、同じような言葉をただただ繰り返している。まだタネ明かしのタイミングではないのか。時間を稼いでいるのか……。

 

 

……ところが、その時。

塀の上の『それ』が、再び蠢いた。

 

 

それは、目の前のBの熱っぽい語りとは全く連動しない、じわじわとした動きだった。まるで芋虫が身を伸び縮みさせるような……。

 

「あ、これ、違う。って。うん、そこで確信してさあ。まあ、そう考えないようにしただけかもしれないけど……」

 

これはドッキリじゃない。

じゃあ、これはなんだ。

急激に恐怖が背中を這い上がり。

その目の前で、塀のふちから。

額が。

そして、その下にある顔が。

ゆっくりと出て来始めるのを認めた瞬間。

 

Aさんと同僚は踵を返した。

 

両耳を手で押さえて、

「ア゛ーッ! ア゛ーッ!」

と思い切り叫びながら、全力疾走で逃げた。

 

「いやあ。なんて言うか、その、その……。『それ』自体じゃなくてさ……」

 

逃げる直前、Bが、

「……ええ?」

と怪訝な顔をして背後へ顔を向けようとするのを、彼らは視界の隅に捉えていた。

 

 

「いや、その時ね。変なことを言うけど、わかったんだよね。

Bのやつが、『それ』を見ちゃう瞬間がダメなんだろう、って。

それを見たり聞いたりしたら、

『おしまい』

なんだろうな、って……」

 

 

塀の向こうから出てこようとしていたもの。

それは、ついさっき、写真の中に見たばかりの顔だった。

十数年前の、大学当時の、Bだった。

 

ただし、塀の向こうに見えた『それ』は、青黒く浮腫んだようなもの凄い顔色をして、両目を閉じ切っていたという。

 

 

道にへたり込み、脳裏に焼きついたその一瞬の容貌を反芻するAさんの隣で、同僚が息をつぎながら、

「……おい、おいっ! あれ、お前! あの、後ろから出てきたやつ、あれ、死んでたよなっ⁉︎ なあ、死んでたよな⁉︎ 死んでたよな⁉︎」

震える声で繰り返していた。

 

 

──後日。Aさんは気になって今一度Bの電話へ連絡をとってみた。

しかし、現在使われておりませんの声が返って来るばかりで、ツテを辿ってもBやその家族について知ることはできなかった。

問題の屋敷についても、でき得る限り調べてみたが。おばけが出るという噂があったのは事実だったものの、どういう曰くで、どんなものが出る、というのは当時からはっきりしていなかったらしい。

 

 

何より。

あの時、逃げる背後で『それ』を見たBがあげたはずの声。

それを、何とか押さえた耳のどこかで聞いていたような気がして。

 

Aさんは今でも、それがどんな声だったのかを考えてしまうのが、どうしようもなく恐ろしいのだという……。

 

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話インフィニティ 第四十二夜』(2024年5月4日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/792896598

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:13:40くらいから)

禍話Twitter(X)公式アカウント

https://twitter.com/magabanasi

禍話wiki

https://wikiwiki.jp/magabanasi/

見出しの画像はこちらから使用させていただきました

https://www.ac-illust.com/main/detail.php?id=22021996&word=%E5%A6%96%E6%80%AA%E3%80%80%E3%81%86%E3%82%8F%E3%82%93%E3%80%80%E8%84%85%E3%81%8B%E3%81%99%E3%80%80%E6%98%94%E8%A9%B1%E3%80%80%E8%BF%B7%E4%BF%A1%E3%80%80%E6%98%94

禍話リライト 忌魅恐『屋上に誰かいる話』

※他の書き手の方が先にnoteで投稿されたので、自主的にお蔵入りにした拙リライトを公開しております。

 

予備校で講師を勤めていた男性、Kさん(仮名)の体験した話。

 

当時、彼が勤めていた予備校は、駅前のビルの中にあった。

他にも企業のテナントが複数入ったそのビル、そのワンフロアを使って運営されていた。

 

Kさんはその予備校に何年も勤めていたが、彼曰く、以下に語るような異常な現象が起こったのは、その時一度きり。わずか二ヶ月程度の間だけだったそうである。

また、後日調査を行ったところ、その予備校の入っているビルやその周辺で、過去にそれらしい事故や事件が起こったという記録は見つからなかった。

いわゆる『鬼門』『霊道』というような、方角が悪かったとか、何かの通り道になっていたとか、そうしたこともなかったそうだ。

 

だから。

Kさんは当時体験したことが何だったのか、未だに全く理解できずにいるのだという。

 

 

──ある日のこと。

その日の授業を全て終え、Kさんは講師用の控え室に戻ってきた。

時刻は既に夜の十二時を回っていた。

控室には他の講師もいて、Kさんは同僚たちに労いも込みで挨拶をする。

「お疲れ様でーす」

「あ、お疲れ様でーす」

 

(いやあ、今日の仕事も終わった。やれやれ……)

そうして眠気覚ましのコーヒーを飲んでいると、同僚の一人が話しかけてきた。

 

「いやあ。居残ってた生徒もやっと帰りましたよ」

 

その予備校は、電車通いの生徒は終電に間に合う時刻まで、近くから徒歩で通っている生徒なら十二時近くまでと、時間の許す限り、授業終了後も自習室での勉強が許可されていた。

 

そうなると、自習室には監督役として講師が最低でも一人は詰めていないといけないわけだ。

話しかけてきたのは今日、その自習室の監督役を務めていた同僚だった。

 

「……いやあ、しかしまあ。受験生だから仕方ないけど。毎日毎日、よくあんなに根を詰めて勉強できるもんだよねえ」

「本当ですねえ」

「ハハハ……」

 

 

そうして講師陣で談笑する内。

ある先生が突然、妙なことを言った。

 

「そういえば。今日はいないけど、◯◯先生も言ってたんですけどねえ。このビルの屋上で、何かあるんですかね?」

 

急によくわからないことを言い出したので、Kさんを始めとしてそこにいた講師陣全員、その先生へどういうことかと訊ねた。

そうして、その先生はポツリポツリと、次のように語った。

 

「……いや、ね? 自習室で居残った生徒の監督をしてるとね? 生徒たちが時々。フッ、と上を見上げるんですよ。天井の方を見るんです」

 

その予備校は、そのビルの最上階に入っていた。

つまり、生徒たちが見上げる先には、ビルの屋上しかないわけだ。

屋上に関係することはビルの管理人が担当しているため、Kさんたち予備校の講師たちにはどうしようもない範囲の話だ。

だから、自分たちにはどうしようもないことだと判断して話を流していたのだが、居残る生徒たちは、やはり天井を気にしている様子である。

(電灯が切れかけてるわけでもないし、水漏れしてるわけでもないし。……何だろう?)

そこで、その先生は気になって、居残っている生徒たちにどうしたのかと訊ねてみた。

すると。

 

 

「……先生。屋上に、誰かいますか?」

 

 

逆に、そんな風に訊かれた。

「……いや。屋上、って。俺らの管轄じゃないから行けないけど、屋上に行く階段って、いつも施錠されてるし、誰も行けないと思うよ? こんな夜遅くだし」

「……そうですよねえ」

 

その生徒はそこで話を切り上げてしまった。

騒がしいとか、足音がするとか。

普通、何故そんな質問をしたのか、その理由について話しそうなものなのに、だ。

しかも、その日のその生徒だけでなく、別の日に同じことを、居残りしていた別の生徒からも言われたのだという。

 

「へえ〜」

「K先生は、そういうこと。ありませんでしたか?」

Kさんは全く覚えがなかったが、自習室の監督役を最近やった講師の内、何人かは、

「そういえば……」

と、生徒たちの妙な行動について覚えがある様子だった。

 

しかし、講師陣全員、屋上から何か物音がしたのを聞いた記憶がない。

そのため、生徒たちがなぜそんなことを言うのか、全く検討がつかなかった。

「真面目に勉強しすぎてさ、神経質になってるんじゃない?」

「そういうこと、なんですかねえ」

「だって、こっちは何にも聞こえないもんなあ」

結局、答えの出ないまま、その話はそこで終わった。

 

 

──それからしばらくして。

試験期間がやってきた。

予備校なので、その地域にある複数の学校の生徒たちが通って来ている。

学校が別々だと試験範囲もそれぞれバラバラになることもあり、そうなった場合、各学校ごとに試験対策、対応をしなくてはならなくなる。

つまり、塾講師にとっての繁忙期だ。

もちろん、生徒側もいつも以上に熱心になる。自習室を利用する生徒の数は増え、いつもより遅くまで居残りするようになる。そうすると、自習室の監督役の講師も、遅くまで残らなくてはならなくなる。激務だった。

 

そしてある日、Kさんに自習室の監督役の当番が回って来た。

仕事に不満はないし、生徒もいい子ばかり。しかしこうも忙しいと、心身共に疲弊してイライラもしてしまう。そこでKさんは、心を落ち着かせつつ溜まった業務も片付けようと考え、監督役をする際に担当教科の小テストの採点をすることにした。

自習する生徒たちの様子を見つつ、小テストの採点をする。その内に十一時、十一時半と遅い時刻になっていき、次第に生徒たちも一人、また一人と帰っていく。

「先生、さようならー」

「おう、気をつけて帰れよー」

帰っていく生徒に声をかけつつ採点を続けるKさんだったが、残りの生徒が片手で数えるほどになった頃、急に眠気が襲って来た。

(あー、コーヒーとか買ってこなきゃな……)

さすがに監督役として居眠りをしてしまうのは体裁が悪い。何とか目を覚まさなくてはと思うのだが、このところの激務のせいか、眠気に勝てそうもない。

(あー、ダメだダメだ……)

結局、Kさんは眠気に勝てず、そのまま居眠りをしてしまった。

 

……どれくらい眠っていたのだろうか。

Kさんは自分の名前を呼ばれて目を覚ました。

ハッと辺りを見回すと、生徒たちはほとんど帰ってしまっていて、自習室には女の子が二人しか残っていない。

その内の一方が必死に、

「K先生! K先生!」

と呼びかけていた。

どうやら、彼女に名前を呼ばれたことで目が覚めたようだ。

その女の子の必死さとは対照に、もう一人の方は机に突っ伏し、俯いてガタガタと震えている。

半分寝ぼけたまま、どうしたのかと訊ねると、その女の子が言う。

 

「先生! 屋上からすごい音がしてます!」

 

「……えっ?」

その言葉に驚いたものの、Kさんは変だと感じた。

今自分が目覚めたのは、この女の子に呼びかけられたからだ。彼女の言う通り、すごい音がしていたのなら、呼びかけられるより前にその音で目覚めていそうなものである。

「えっ、すごい音?」

そんな音、聞こえないけど。

そう言おうとした瞬間だった。

 

 

衝撃音が頭上から響いた。

 

 

まるでコンクリートブロックを地面に力いっぱい叩きつけたかのような、ものすごい音だった。

「えっ、ちょっと、なに⁉︎」

驚くKさん。

少し間をおいて、再度衝撃音が響いた。このままでは天井に穴が開くのではないか。そう思うほどの勢いだった。

「えっ、これ、いつから鳴ってるの⁉︎」

「さっきからずっと鳴ってますって!」

(さっきから、ったって。俺はこんな音で目が覚めてないんだけどなあ……)

女の子の答えを妙だと思うものの、現に今、頭上からものすごい音がしている。

目の前の女の子が慌てているのも、もう一人の子が俯いて震えているのも、きっとこの音のせいだろう。

となると、ここは大人として、講師として。屋上の様子を見に行かなくてはならない。

Kさんはそう考えた。

 

屋上へ通じるドアは常に施錠されている。そして屋上の管理は自分たちではなく、ビルの管理会社の管轄だった。だから、行ったところで屋上へは出られないが、ドアの窓越しに様子を伺うことはできる。

本来、まずビルの管理人室へ連絡を入れ、それから状況次第で警察に電話するべきなのだろう。しかし、まず何が起きているのか、それを確認した方がいいのかもしれない。

そう考え、Kさんは女の子たちへ、

「先生が見に行ってくるから。ここで待ってなさい」

そう告げて自習室を出た。

 

自習室を出て廊下を進んだ突き当たりに、屋上へと通じる階段がある。

もう遅い時刻のため、明かりが落とされて真っ暗になった廊下を、Kさんは進んでいく。

屋上からの叩きつけるような衝撃音は、断続的に鳴り響いていた。

 

 

そうして、階段の下までやって来て。

屋上へ通じるドアの方へ、視線を向けた瞬間。

(……あっ)

Kさんは硬直した。

 

 

やはり、屋上へ通じるドアは施錠されていたらしい。

 

つまり、そこから先へ行けなかった、ということなのか。

 

 

屋上へ通じるドアの前に、何人かが集まっていた。

 

背丈からすると、Kさんが普段指導している生徒たちと同年代くらい。

そう思われる数名が。

ドアの前に固まり、窓から屋上の様子を伺うようにしている。

 

 

(……ウワッ!)

その光景を目撃し、Kさんは思わず後退した。

あと少し接近すれば、ドアの前にいる集団の姿をもっと鮮明に確認できただろう。

服装だとか、年齢や風貌だとか。そういう点を確認して、冷静に対処できたのかもしれない。

 

ただ。

そこにいた連中の姿を目にして、

「お前ら、何してるんだ!」

そんなことを言える雰囲気ではなかった。

Kさんはその手の話を信じるタイプではなかったが。

直感的に、不審者が侵入して悪さをしているとか、そういう事態ではないと感じられた。

 

頭上から衝撃音の響く中、Kさんは自習室へと慌てて駆け戻った。

「ちょっ、ちょっと! おまえら! ここ、ヤバいから! 一旦外に出よう!」

そこで待っていた二人に呼びかける。

最初にKさんに声をかけた女子が何事かと訊ねてきた。

「えっ、どうしたんですか⁉︎ 屋上は⁉︎」

「いや、屋上は、ちょっと……。いや、とにかく、出よう。な?」

見ると、もう一人の方は相変わらず席に座ったまま、俯いて震えている。怖過ぎて動けないのかもしれない。

「よし、とにかく出よう。動けないならおぶってやるから、な?」

Kさんが声をかけると、そこで初めてその子が喋った。

「先生、先生、怖い……」

(いや、俺だって怖いよ……)

そう思いつつも、早くここから出ようと促すと。

その子が、さらに続けて言った。

 

 

「先生! 先生! 私の横にいるこの子、いったい誰なんですか⁉︎」

 

 

(……えっ⁉︎)

その言葉に驚いて、もう一人の方を見た。

 

 

Kさんが塾の生徒だと思っていた、その女の子は。

今までに一度も見たことのない、全く知らない子だった。

 

 

(……えっ、誰⁉︎)

そう思い固まるKさんの目の前で。

女の子の顔に、笑みが浮かんだ。

いかにもな不気味な笑い方ではなく、ちょっとした悪戯が見つかってしまった時の子供のような、そんな笑い方だったという。

 

『アッハハハハハハ……』

 

「……ウワアアアッ!」

そこでKさんは、震えていた女子生徒を連れ、慌てて建物の外へと逃げ出したそうだ。

 

 

そのまま、塾の入ったビルから飛び出し、近くの公園まで逃げ出した。

街灯に照らされたベンチまで辿り着き、そこに座り込む。

それからしばらくして、ようやく女子生徒の様子が落ち着いてきた。

そこで、自分が目を覚ますまでに何があったのかKさんが訊ねると、彼女は次のように語った。

 

 

彼女が言うには、屋上からの音など一度も聞いていないという。

ただ、彼女が自習をしていると、いつのまにか室内に全く知らない女の子がいたのだそうだ。

そしてその女の子は、今までに会ったことも見たこともないのに、まるで同じ学校に通う親友かのように親しげに話しかけてきた。

何組の先生がどうだ、同じクラスの女の子がどうだ、隣のクラスの男子がどうだと、そんな風にあれこれ話すが、やはり自分の記憶にない、全く知らない相手だ。

 

何か不気味なものを感じ始め、彼女が俯いて震えていると、

『……あれ? なんか屋上からすごい音してくるね? 先生起こさなきゃ。先生、先生!』

突然、そのように言い始めた。

(うわー、何これ!)

あまりの怖さに、彼女はその間ずっと俯いて震えていたのだという。

その後は、Kさんの体験した通りである。

 

 

「えー、何それ……」

女子生徒の語る内容に、Kさんは絶句する他なかった。

 

 

悪いことに。

その晩、その時間まで塾に残っていた講師はKさんだけだった。

 

(……これは、自分一人ではどうしようもない)

 

そう判断し、近くに住む他の先生にも連絡して急遽来てもらい、事情を話して一緒に塾の内部を見て回った。

 

だが、塾の入ったフロア内には、何の異変、痕跡も見当たらなかったそうである。

 

 

……なお、Kさんと共に異変を体験した女子生徒についてだが。

この出来事のせいで、彼女は二度と自習室での居残りをしなくなったそうだが、その後は何事もなく、志望校にも無事合格した、ということだ。

 

 

実家が塾に近いこともあり、彼女は合格後も年に一度は挨拶にやって来たそうだが。

その度にKさんと、

「あれはいったい何だったのか」

と、その晩の出来事について、その都度話しあったという。

 

特に、毎回話題になるのは、あの『女の子』のことであった。

二人が見聞きしたもの、体験したものは違うが、あの『女の子』については二人ともが目撃しているわけである。

あれは一体何者だったのか。

毎回、そう語り合うのだが。

最初に述べたように、ビルとその周辺に関して何の曰く因縁も発見できなかったということもあり、ついにその正体はわからずじまいであったそうだ。

 

 

──Kさんのこの体験以後。

この塾では異様な出来事は起きていない。生徒たちが急に天井を見上げることも無くなったそうだ。

たった一度きり、わずか二ヶ月間のみの異変であった。

 

 

……この話から察するに。

どうやら、こうした異変は。

何も原因がなくても。何の兆候がなくても。

ある日、突然に訪れるものらしい。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話Xスペシャル』(2021年2月24日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/669122947

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:15:00くらいから)

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禍話リライト 忌魅恐『双子鏡の話』

※他の書き手の方が先にnoteで投稿されたので、自主的にお蔵入りにした拙リライトを公開しております。

 

 

とある中学校に伝わる噂。

そして、それにまつわる体験談。

 

 

その中学校はバブルの頃に大規模な工事を行い、新校舎を建てたそうだ。

 

それにより、それまで使用していた校舎は旧校舎となり、授業で使われなくなった。

そのため、倉庫や吹奏楽部等の部活の練習場所として利用されるようになった。

 

 

旧校舎の改装からしばらく経ったある時。

一部の生徒の中で、

『妙なものを見た』

という話が持ち上がった。

 

 

……といっても。

オバケや不審者を見た、という話ではない。

 

それを目撃したのは、サッカー部や野球部。そして旧校舎で練習していた吹奏楽部の部員。

つまり、遅くまで校内に残っていた生徒たちだった。

 

 

彼らによると。

その日の夕方遅く、正門がまもなく閉まるという頃。

業者らしき男性たちが体育館から旧校舎内へ、何か大きなものを運んでいるのを見たのだという。

 

 

その様子を見ていた運動部員たちは運ばれているものが何なのか、すぐに思い至った。

 

体育館奥の倉庫に仕舞われていた。かつて誰かから寄贈されたものらしい、大きな姿見の鏡だった。

 

先述したように、旧校舎はもうほとんど使用されていない。

姿見なら、普通は生徒が身嗜みを整えるために昇降口に置きそうなものだし、そんなに大事なものならもっと人目につく場所、例えば校長室や職員室の前、来賓用の玄関などに設置すればいい。

 

それなのに、もう使用されていない旧校舎に運び込むというのは、いったいどういうことだろう。

 

そもそも、その姿見が仕舞われていた倉庫というのも、昔からいろんなものが詰め込まれたまま埃まみれになっている。

汚いし、ケガをするかもしれないから、用もないのに無闇に入らないようにと、そう注意されていた場所だった。

 

つまり、その姿見は。

大半の生徒にとっては、何かの拍子にチラッと見たことはあっても、しっかりと見たことはない。

そんな品だったわけだ。

 

 

そうなると、その姿見を見物しに行こう、と考える生徒が出てくるわけだ。

 

旧校舎で練習をしている吹奏楽部の部員によると、業者の男性たちは校舎内の階段の内の一つ、その踊り場に姿見を設置していった、とのことであった。

 

言い出しっぺの運動部員を筆頭に何人かの生徒がその踊り場に行ったところ、確かにそこに姿見が据え付けられていた。

古ぼけてはいるものの、縁の部分に細かな装飾の施された、立派な代物である。

鏡の下部、隅の方に文字が印刷されている。運動部の生徒たちの言葉通りだとすると、寄贈者名や年度を記したものだろう。

何人かがそれを読もうと覗き込み、そして困惑した。

 

 

確かにそれは姿見が寄贈された旨を示すものだったのだが。

何故か、寄贈者名だけが削り取られていたのである。

 

 

(なお、年度から姿見が寄贈されたのはこの学校が創立したばかりの頃らしい、ということがわかった)

 

結局、その時は姿見が実際に設置されていること、寄贈者の名が削られていること。それらが確認できただけで。

それ以上は何もないと判断し、生徒たちは解散したのだが……。

 

 

後日、姿見を見に行った生徒は全員、職員室への呼び出しを受けることとなった。

何事かと思い顔を出した生徒は、もれなく教師たちから叱責を受けた。

言い訳の類には一切聞く耳を持たない、ただただ頭ごなしに怒鳴りつける、そんな非常に厳しいものだった。言い出しっぺの運動部員は往復ビンタを喰らったほどだったそうだ。

 

叱責の中身は、教師ごとに多少の差こそあれ、

 

『なぜ姿見を見に行った。絶対に行くな。他の理由があって行くのは仕方ないが『姿見を見る』という目的だけでは絶対に行くな』

 

そんな内容に終始していたという。

 

 

正直なところ、理不尽な叱り方だと言わざるを得ない。

実際、呼び出しを受けた中にはそれを不服に感じた生徒も多く、親を通じて然るべき場所へ訴えてやると息巻いていた者もいたという。

 

 

……だが。

一週間と経たない内に、呼び出しを受けた生徒たちが。

『訴えてやる!』と息巻いていた者も含め、全員が大人しくなってしまった。

 

それどころか、全員、

『あの階段には行かない方がいいんじゃないかな』

そう周囲へ忠告するようになった。

 

あまりに急な変わりようだったため、奇妙に思った友人たちがどうしたのかと声をかけたが、どれだけ訊ねても曖昧に言葉を濁すばかりで、要領を得ない答えしか返ってこない。

姿見を見に行った内、何人かの気性の荒い生徒などは、そうしてしつこく訊かれたために逆上し、相手へ暴力を振るった、とも伝えられている。

その内に、誰も階段に近づいてはいけない理由を彼らに訊ねようとはしなくなった。

 

 

それからしばらくして、姿見を見に行った生徒たちや、吹奏楽部員を始めとする旧校舎に出入りする生徒たちから、学校側へある要望が提出された。

 

『姿見の置かれた階段を封鎖してほしい』

 

そんな内容だったという。

要望は即座に受理され、階段周辺の区画にはチェーンが張られ、『その階段だけ』が完全に封鎖されて使用不可となった。

 

以来、姿見の置かれたその階段に近づこうとする者はいない。

元から物置程度にしか使用されていない区画だったため、使用不可になっても特に支障はないのだが。

封鎖から何年も経った頃でも、知らずに階段に近づいたところを教師に見つけられ、厳しく叱責されたり廊下に立たされたりする生徒の姿が度々見られた、ということである。

 

 

 

──さて。

それから何年も後のこと。

この話の提供者、Aさん(女性)が在学中に体験した話である。

 

在学中、Aさんはいじめを受けていた。

当時の彼女の髪型は、その頃としては珍しいかなりの短髪、つまりベリーショートだった。

それが一部の女子グループの目に止まり、からかいの対象となった。別にその髪型は校則違反というわけではなかったし、そもそも彼女が趣味でやっているだけで誰かに迷惑をかけるようなものでもない。

(なんでそんなことで絡んでくるんだろうなぁ。意味わかんないし、メンドくさいなぁ……)

そう考えて適当に対応した、そんなAさんの態度が気に食わなかったのだろう。それからまもなく、いじめはより陰湿なものになっていった。

 

いじめに対して、

(面倒だなぁ、どうしようかなぁ)

と思いながら学校生活を送っていた、そんなある日。Aさんはいじめグループから呼び出しを受けた。

面倒くさいと思いつつ顔を出すと、いじめグループの面々はニヤつきながらインスタントカメラをAさんに渡し、旧校舎の姿見の写真を撮ってくるよう命じた。

 

「姿見を撮ってきたら、いじめるのを勘弁してやる」

 

……とのことだったが、その言葉をそのまま信用するほどAさんも楽天的ではない。

言う通りにしたところでいじめが終わるわけがない。後であれこれ難癖をつけていじめを継続するに決まっている。

それに、問題の階段近くは定期的に教師が見回りをしているため、見つからずに撮影するのはほぼ不可能と言える。

つまり、撮影を承諾することは、即ち自分から先生に怒られにいくのと同義なわけだ。どう転んでもロクな結果にならないのである。

とはいえ、拒否をすればいじめがより酷いものになることも目に見えていた。

(ああ、もう。面倒だけど、行くしかないのかなぁ……)

結局、Aさんはいじめグループの要求に従い、姿見を撮影しに旧校舎に行くことにしたのであった。

 

 

旧校舎へ潜入するにあたり、例えば姿見が置かれている場所など、具体的なことをあまりよく知らないことに気づいたAさんは、まず事前に情報を収集することにした。

 

そうして、ある話を知った。

 

どうやら、何年も前に新聞部が姿見について調査したことがあったらしい。結局それが記事になることはなかったが、その際の調査記録をまとめた原版はまだ部室に残されているというのだ。

部室は部員以外でも立ち入り可能だったため、Aさんはその原版を確認するべく新聞部を訪ねることにした。

話から察するにおおよそこれくらいの時期だろうとあたりをつけ、年度別に保管された大量の原版を漁る。すると、確かに姿見について書かれたものがあった。

内容はというと、特に目新しい情報はなかった。姿見が搬入されてから階段が封鎖されるまでの経緯が大半で、姿見の正体やタブー視されている理由など、具体的なことは何も書かれていない。どうやら、調査したものの何もわからなかったらしく、記事は曖昧な結論で締め括られていた。

 

だが、ただ一つ。

Aさんが在学していた当時は、単に『鏡』と呼ばれていた、あの姿見のことを。

 

『双子鏡』

 

と、記事の中ではそう表記していた。

Aさんには、何故かそれが妙に気味悪く感じられたのだった。

 

 

──結局、Aさんは具体的なことは何もわからないまま、旧校舎へ踏み入ることになった。

 

(Aさん曰く、後になって考えてみればその時点でもう既におかしかったのかもしれない、とのことだが)

普段、問題の階段近辺は、教師が定期的に見回りをしているのだが、なぜかその時は誰もいなかった。

 

(……誰もいない。行ってもいい、ってことなのかな?)

 

どうせすぐに見つかってしまうだろうと考えていたAさんだったが、誰もいないのなら好都合だ。夕暮れ時でもう薄暗くなっているが、外からわからないように明かりをつけず、封鎖しているチェーンを乗り越えてAさんは埃まみれの階段を登っていった。

 

事前に調べた通り、姿見は二階と三階の間の踊り場にあった。

(……デカッ!)

姿見と言うからには、それなりの大きさがあるのだろうとは思っていたが、Aさんの想像していた以上に大きな鏡だった。

身の回りで一番背の高い男性と比較しても、それよりも頭一つか二つ分は大きいだろう。

 

(大きな鏡だなぁ。材質はわからないけど、重さも結構ありそうだし、運ぶの大変だったろうなぁ……)

 

そう思いながら、Aさんは姿見をしばらく観察していた。鏡の右下には文字があり、噂通り、寄贈者の名前だけが削り取られていた。

全体を一通り観察した後、今度は鏡の前に立ってみた。姿見に全身が映るようにして、そのまましばらく眺め続ける。もしかしたら何か起きるかもと思ったが、何も起きる気配はない。

 

(……まあ、そんなもんだよね。じゃ、とりあえず写真撮るか)

 

そうしていじめグループに命令された通り、インスタントカメラで何枚か撮影をした。

 

(こんなもんかなぁ。間違いなく姿見は撮ったわけだし、これで現像して見せればいいんだよね。

……って。そういえばこれって、もしかして私が現像代を出さなきゃいけないの?)

 

理不尽だなぁ。

そう思ってため息をついた後、Aさんは念のためもう何枚か撮影しておくことにした。

 

そうして撮影している内、足音が聞こえてきた。

誰かが階段を登ってきているらしい。

もしかすると、カメラのシャッター音を聞いて教師か警備員が様子を見にきたのかもしれない。

そう思ったAさんは、もうすぐそばまで、二階の廊下まで来ている足音の主の方へ振り返って謝った。

「……あっ、スイマセンッ!」

 

 

……そこで記憶が飛んでいる。

 

気がつくと、Aさんは学校の外周、敷地を囲む道路を一人で歩いていた。

ぼんやりしたまましばらく歩き続け、そこでやっと自分は何をしているんだと我に帰った。見れば、足下はいつの間にか外履きに履き替えている。

何故こんな所にいるのか思い出そうとするのだが、全く思い出せない。

姿見を撮影していて、下から来た誰かに謝ったことまでは覚えているが、そこからの記憶が抜け落ちている。下から来た誰かについても、その姿を真正面から見たはずなのに、それが誰だったか全く覚えていなかった。

何が何だかわからず、薄気味悪さを感じたAさんは、とりあえず昇降口に置きっぱなしにしてある荷物を回収し、急いで帰ることにした。

昇降口に戻り、ふと壁にかかった時計を見て、Aさんは愕然とした。

 

 

旧校舎に入ってから、一時間以上も経過していたのだ。

 

 

姿見の撮影をしていたのは、ほんの数分ほどのこと。つまり、一時間近くも外周を歩いていたことになる。そのことに気づき、Aさんは改めて気味が悪くなった。

早く家に帰ろう。そう思いAさんは校舎を出た。そして校門から出ようというその時、彼女はふと振り返って旧校舎の方を見た。

 

 

ベランダに人影があった。

 

 

最初は、まだ吹奏楽部員が残っていて練習をしているのかと思った。

が、真っ暗な上に距離があるのでよくわからないが、どうも違う気がする。

その性別もわからない人影は、片手をヒラヒラさせていた。見ていると、その動きはどうも自分に向かって手を振っているように思えてくる。

その内に、これは間違いなく自分に向けて手を振っているのだと感じ、Aさんは急いでその場を後にした。

 

 

家に帰り着いたAさんは、ヘトヘトに疲れ切っていた。

急いで帰ってきたということもあるが、それ以上に旧校舎に入ってからの奇妙な体験による精神的な疲弊が大きかった。上り框に座り込み、グッタリしながら旧校舎での出来事を思い出す。

 

(うわ〜、記憶も飛んでるし、変なもん見ちゃったし、何だったんだろうなぁ……。

やっぱり先生たちが、

『行くな、見るな、触れるな!』

って、あれだけ言ってたのは、つまりそういうことなんだよなぁ、嫌だなぁ……)

 

とはいえ、悩んでどうにかなるわけでもない。全身汗だくで気持ち悪かったこともあり、Aさんは気分を切り替えるため風呂に入ることにした。

「ふう〜……」

熱い湯船に浸かってボンヤリしていると、家の電話の鳴る音が聞こえてきた。そしてしばらく間をおいて、Aさんの姉が風呂場に来た。

「友達から電話だよ」

「友達? うん、わかった」

返事をしたものの、先述した通り、いじめを受けていたAさんには家に電話をかけて来るような相手などいなかった。いったい誰だろう。クラス内の連絡網だろうか。

不思議に思いつつも、急いで身体を拭いて電話に出ると、相手は姿見の撮影を命令したいじめグループの一人だった。

「……もしもし?」

「ああ、あたしあたし」

「ああ、うん。どうしたの?」

 

 

「……アンタ、根性あるねェ〜」

 

 

それだけ言って、相手は電話を切ってしまった。

「……?」

全く意味がわからなかった。

言葉から察するに、彼女、あるいはいじめグループの面々は、Aさんが姿見を撮影しているのをどこかから見ていた、ということだろうか。

だとしても、その一言だけのためにわざわざ電話をかけてくる、その意図がわからなかった。

「……まあ、いっか」

考えても仕方ないと判断し、Aさんは風呂に入り直すことにした。

 

 

風呂から上がり、家族で食卓を囲む。

そうして食後にAさんがゆったりとくつろいでいると、玄関のチャイムが鳴った。時計を見ると、時刻は八時半過ぎ。こんな時間に誰だろうと出てみると、相手はいじめグループの別のメンバーだった。

「え、何? どうしたの?」

 

 

「いやァ〜、あたしだったら行けないよ。すごいねェ〜」

 

 

怪訝な表情を浮かべるAさんに対し、彼女はどこか引き攣ったような半笑いで賞賛する。

「あ、うん……」

「いやホント、すごいすごい。……カメラ、預かるわ」

(あ、私が現像しに行かなくていいんだ。良かった……)

自腹を切るのかと考えていたAさんからすれば、ありがたい言葉である。

それじゃあ、とカメラを差し出すと、いじめっ子は表情や口振りとは真逆の荒っぽさで、カメラをAさんの手から奪っていった。

「じゃ、お疲れ〜」

そうしていじめっ子はさっさと帰ってしまった。

様子を見ていた家族から、

「お友だち? なんだか変わった子ねぇ」

と声をかけられたが、Aさん自身も何が何だかわからず、曖昧な返事をするのがやっとだった。

 

 

さらにその後。

もうすぐ日付が変わろうかという頃。

(明日も学校だし、そろそろ寝ないと……)

自室へ戻ろうかとAさんが考えていると、またもや電話が鳴った。

こんな時間に誰だろう、取りに行ったほうがいいだろうか。

そう思うものの、帰宅してからの出来事を考えると、また気持ち悪いことが起きそうな気がしてならない。

普通の電話だったとしても、もう遅い時刻だし、相手の方も早く諦めてくれないだろうか。そう思っている内に姉が立ち上がり、受話器を取った。

相手と少々やり取りをした後、姉は振り返り、怪訝な表情を浮かべてAさんに訊ねた。

 

「ねえ。◯◯先生って、あんたのとこの担任?」

 

◯◯先生、というのはAさんのクラスの副担任を務める男性教員だった。

そうなると、帰宅直後のいじめグループからの電話とは違い、今度こそ本当にクラスの緊急連絡網という可能性がある。

姉から受話器を受け取り、Aさんは電話の向こうの副担任へ呼びかけた。

「もしもし?」

 

 

「いや〜。すごいなァ、おまえ。あんな距離で見てさ、まだそうやって普通に話ができるんだ。すごいなァ、おまえ」

 

 

それだけ言って、電話は切れてしまった。

「……えっ?」

わけがわからず、受話器を持ったまま立ち尽くすAさん。

一日の内にこう何度も理解不能なことが起きたのでは、さすがにもう彼女も限界だった。

正直なところ、そもそもの発端であるいじめのことさえ頭の中から吹っ飛んで、こんな気持ちの悪い学校からはさっさと転校したいと、そんな考えが浮かんだほどだった。

とはいえ、現実的にはそんなことができるはずもない。

(ああ、もういいや。寝よ寝よ……)

そうして彼女は理解不能な出来事の記憶を振り払おうと、さっさとベッドに潜り込んだのであった。

 

 

しかし、記憶というものはそう簡単に消えてくれるものではない。

深夜、Aさんは汗まみれになって飛び起きた。

悪夢を見たのである。

夢の中、彼女は何処とも知れない廃墟の中を、何かに追われて逃げ回っていた。

足がもつれて転び、それでも四つん這いになって逃げようとする。

そんな彼女の汗まみれになった身体に、埃や蜘蛛の巣がまとわりつき、全身がドロドロになっていく……。

そんな夢の中での気持ちの悪い感覚。それが飛び起きた後もなかなか消えてくれない。

とてもじゃないが、そのまま再び眠れるような状態ではなかった。

汗まみれの上に喉もカラカラになっていたAさんは、まずは落ち着こうと考え、台所へ水を飲みにいくことにした。

二階にある自室を出、階段を下り、廊下を通って台所に入る。

そして浄水器からコップに水を汲み、それに口をつけようとして……。

 

 

ある違和感に気がついた。

 

 

台所へと続く廊下。その壁には鏡がかかっている。

いつも家族が外出前に身嗜みを整えるために使っている、顔だけが映るくらいの小さな鏡だ。

 

 

それなのに。

さっきAさんがその前を通った時、チラリと横目に見えたその鏡には、彼女の全身が映っていたような気がした。

 

 

気のせいだ。見間違いだ。

そう何度も自分に言い聞かせるのだが、その度に記憶が鮮明になっていく。

確かに、その鏡には全身が映っていた。

それだけの大きさの鏡が、そこに確かにあった。

そんな確信が強まっていく。

 

間違いなく、そこに『姿見』があった。

そして、そこには前を横切るパジャマ姿の自分が映っていた。

Aさんの脳内に鮮明に画像が浮かぶ。

 

今すぐ脇目も振らず自室に逃げ込み、ベッドに潜り込みたい。

だが、台所から出た瞬間、視界の隅に自分の全身が見えてしまったら。

本当にそこに姿見があることを確認してしまったら。

もっと恐ろしいことになってしまうかもしれない。

そう考えると、もう台所から外に出るどころか、その場から一歩も動けなくなってしまった。

 

 

そしてその内に。

唐突に、Aさんは思い出してしまった。

 

 

旧校舎で姿見を撮影していた、あの時。

 

姿見の前に立つAさんに向かい、階段を登ってきた誰か。

 

 

それは、目の前の姿見と同じくらいの大きさの鏡を抱えた、女の子だった。

 

 

そして、その女の子の姿を目の当たりにして。

恐怖に震えながらも。

 

「ああ、だから『双子鏡』って言うのかぁ」

 

と、自分が呟いたこと。

 

 

……そんな記憶が、一気にAさんの中に蘇った。

 

 

もはや、理屈ではない。

旧校舎での記憶。

台所の外の鏡。

その二つの付合により生じる恐怖。

それによって、Aさんはその場から動くことすらできなくなっていた。

どうすればいいか。あれこれ考えるものの、良い手が思い浮かぶはずもない。

もうどうしようもない。最終的にそう判断し、彼女は台所で夜を明かすことにした。

直に床で寝ることになるため、翌朝全身が痛むことになるだろうが、それでも廊下に出て姿見を直視することと比べれば、はるかにマシだ。

台所で一夜を明かすにあたり、まずは入り口を何とかしなくてはならない。

外にある鏡のことを考えると、まず台所の扉を閉めておかないことには安心できない。

扉には鍵がついていないので、そこだけは心配だが、椅子で押さえておけば少しは安心できるだろう。

そう考え、Aさんは椅子を抱え、扉へと歩み寄った。

 

 

『よいしょっと』

 

 

廊下から、自分と同じくらいの歳の女の子の声が聞こえた。

続いて。

 

バキッ

 

バキッ

 

壁から何かを取り外すような音も聞こえた。

 

 

 

……そこから先の記憶がない。

 

次に気がついた時、Aさんは入院患者用の服に着替えさせられ、点滴に繋がれ、病院のベッドの上に横たわっていた。

 

後で家族から聞いた話によると。

病院に搬送されるまでの間、彼女はかなり暴れていたらしい。姉が言うには、完全に発狂したのではと思うほどだったそうだ。

(Aさん曰く、家族のその説明は随分とオブラートに包んだ表現に思えたそうである)

 

 

一週間ほどの入院生活の後、Aさんは無事回復し、再び学校に通えるようになった。

久々に登校した彼女は、いじめっ子や副担任へ、あの晩自宅に電話をかけてきたか、訪問してきたかと訊いて回ったのだが。

全員『そんなことはしていない』という答えだったそうである。

 

 

 

──この『双子鏡』の話を収集した某大学のオカルトサークルの面々は、話の裏付けを取るべく調査を行ったそうだ。

 

(※『忌魅恐序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

 

(冊子に記された内容は、かなりオブラートに包んだ、ぼかした表現だったそうだが)

 

 

……調査によれば。

Aさんをいじめていた生徒たちは。

亡くなってはいないものの、その学校で卒業を迎えることができなかったらしい。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐 最終夜』(2021年5月7日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/681385848

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:51:40くらいから)

題はドントさんが考えられたものを使用しております。

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禍話リライト 忌魅恐『夜になると誰かが私を描いている話』

f:id:venal666:20240815173451j:image

 

提供者であるAさん(女性)が高校生だった頃の体験。

 

当時、同じクラスにBさんという女生徒がいた。

絵に描いたような成績優秀な生徒で、それでいて快活な性格で誰とも仲の良い、非の打ち所がないような女の子だった。

 

そのBさんの様子が、ある日を境に、急におかしくなった。

顔色が悪く、明らかに疲労が溜まっているように見える。

目元にはクマが浮かび、本人曰く食欲が落ちているわけではないとのことだが、以前と比べると痩せたように、というか、やつれたように見える。

Aさんを始めとしてクラスメイトも当然心配したし、担任からも、

「まだ三年じゃないんだから、そんなに根を詰めて勉強しなくてもいいんだぞ?」

と声をかけられた。

 

ある日の休み時間。

そうして心配する周囲の声に、Bさんは困ったように笑いながら答えた。

 

 

「ん〜。なんだか、最近ねえ? 夜寝てると、フッと目が覚めて。それで、身体が動かない、って時がよくあるんだよねえ。あれって、なんなんだろうねえ?」

 

 

その言葉を聞いて、クラス中がざわついた。

「えっ、Bさん、知らないの⁉︎ それって金縛りだよ!」

「……え?」

クラスメイトの言葉に、Bさんは首を傾げた。

「え、ホントに知らないの⁉︎」

再びクラス中がざわついた。

 

 

なんと、Bさん。

勉学に励むあまり、それに関係ない分野への知識に疎く。金縛りについても、名前を聞いたことはあるが、具体的にどういうものなのか、全く知らなかったのである。

 

 

(ウソでしょ…⁉︎)

そう思いつつも。

そこで、みんなで金縛りについてBさんに説明することになった。

 

「……つまり。金縛りっていうのは、身体や心が疲れてる時になりやすいとか、そういう影響だ、って言われてるけど。一般的には心霊現象だって言われてて……」

「え、本当? オバケのせいなの?」

「うん。だから、部屋に幽霊がいるから、そのせいで身体が動かない、みたいなことなのかも……」

「……ホントに〜?」

クラスメイトの話を聞いたBさんは、心霊現象なんてそんなバカな、といった様子である。きっと単なる疲れなのだろうと、そう考えているようだった。

先述した先生の言葉の通り、受験までまだ間があるため、本人からすればそこまで自分を追い込んでいるつもりもなく、疲れが溜まっているという感覚もなかった、ということもあったからのようだ。。

 

結局、その日はそのようにしてBさんへ金縛りの説明をしただけで終わったのだが……。

 

 

──翌日。

普段、Bさんは早くもなく遅くもない、それくらいの時間に登校するのだが。

その日はいつもより早く、クラスの誰よりも早く登校してきた。それこそ、いつも一番に登校する男子がクラスの扉を開けると、すでにそこに彼女がいたので驚いたほどだった。

次々登校してくるクラスメイトたちも、いつもより早く教室にいるBさんに驚いた。

そうして、ある程度人が揃うのを待っていたのだろうか。クラスメイトの半数以上が登校してきたところで、Bさんはおずおずと喋り出した。

 

 

「……あの、変な話なんだけど。金縛りとか幽霊とか、そういうの詳しい人っているかな……?」

 

 

「えっ、どうしたの⁉︎」

急な話に教室内がどよめいたが、

「……それなら、Aちゃんじゃない?」

「……え、私⁉︎」

すぐにAさんに白羽の矢が立った。

 

高校生にもなると少し珍しいが、この学校ではいわゆる学級文庫のようなシステムを採用しており、各クラスの本棚には生徒たちの持ち寄った本が入れられていた。

そこにある時、Aさんが心霊、オカルト関係の本を持ってきたことがあった。

彼女の名前が挙がったのは、そのためである。

 

「このクラスで言ったらさ。そういうの詳しいのって、アンタじゃないの?」

「いや、そういう本を持ってきただけじゃん!」

そう反論はするものの、そんな本を持ってくるくらいなのでその手の話に興味がないわけではなかった。

そして何より、クラスの中心人物、人気者のBさんの役に立ってあげたい。そんな気持ちもあった。

そこでAさんは、

「じゃあ、私で良ければ……」

と、話を聞くことにした。

そしてBさんが詳細を話し始めた。

 

 

「じゃあ……。 

こんなこと、家族に話すと頭おかしいとか思われそうだから、ちょっと言えなかったんだけど。

みんながそう言うから、金縛りってのは幽霊のせいでなることなのかあ、って。そう思って。

 

 

で、ほとんど毎晩、金縛りになるんだけどさ。

今度動けなくなったら、例えば目が見えなくても耳をすますとか、ちゃんと周囲の様子に気をつけてみようって、そう思ってね。

 

 

で、昨日の夜なんだけど。

二時くらいに、トイレに行きたいわけでもないのに急に目が覚めたんだ。

 

 

普段なら目も開かなくて、

(やだなあ、怖いなあ、何これ……)

で済むんだけど。

みんなから『オバケのせいだ』って聞いてたから、ヨシ! って思って。

普段よりも、耳を澄ませてみたんだ。

部屋の中に何か動きがあったら耳で捉えよう、って。

そうして静かにしてたら……。

 

 

サラサラ、サラサラ。

 

……って。

紙の上を何かが滑るみたいな音がしてね。

 

 

明らかに、紙の上を何かが滑ってる音がして。

(……えっ、えっ⁉︎ 何これ⁉︎ ……これ、美術の時間にスケッチしてる時の音だよね?)

って思って。

鉛筆か何かで、サラサラ、サラサラ、って。

そういう感じ。

 

(え〜っ……)

って思ってたら。

今まで金縛りの時って目が開かなかったんだけど、今日はうっすら目が開くな、って気づいて。

身体は動かなかったんだけどね。

で、音が足元からするから、ソッと薄目で見てみたら……。

 

 

完全に目を開けてないから、断定はできないんだけど。

誰かが、私の足元にうずくまってて。

たぶんだけど、紙か何かを手に持ってて、サラサラサラサラ音をさせてて……。

 

 

(うわっ、私のことスケッチしてる……。何だこいつ……)

って怖がってたら、そこで意識を失っちゃって。そこで朝になってたんだけど。

 

……すっごい怖いんだけど、どうしたらいいのかなあ?」

 

 

「ええ……」

「なにそれ……」

影みたいなものが見えたとか、お経が聞こえたとか。せいぜいそれくらいの話だろうと思っていたのに。予想外の内容に、Aさん始め、その場の全員が絶句した。

そして、Bさんが続けて口を開く。そこから放たれた言葉に、Aさんは再び絶句してしまった。

 

「……これさ。ホンットに申し訳ないんだけど。Aちゃん。今夜、うちに泊まってみてくれないかな?」

 

「えっ、いやいやいや……」

予想外の展開だった。

さすがにそんな話になるとは思っておらず、

(いや、うちは親が厳しくて……)

と、Aさんは適当に言い訳をして断ろうと思ったのだが。

悪いことに、ほんの数日前。

『この前、友達の家でお泊まり会をやって、すごく楽しかった』

そんな話を、みんなの前でしたばかりであった。

(ええ〜……)

困ったことになった。そんな思いがAさんの顔に現れていたのだろう。Bさんが何とかお願いしたいと、条件を出してきた。

「いやいや。タダで、とは言わないからさあ……」

(そこで提示された内容が何だったのかは伝わっていないが)

結局、Aさんはその条件で了承し、Bさんの家に泊まりに行くことになったのだという。

 

 

放課後。

Aさんは準備を整え、Bさんの家にやってきた。

いかにも彼女らしい。上品、豪勢、立派。そんな印象を受ける家だった。

親御さんも快く迎え入れてくれたし、夕食もかなり豪勢なものを出していただいた。

それは良かったのだが。

『何のためにこの家に来たのか』

ということを考えると、とても心の底から楽しめはしない。

 

夕食後、早々にBさんの部屋へと引き上げ、宿題だ予習だと明日の準備をした後。

本題について、話し合った。

 

「……でも、コレ。例えば、二人とも金縛りになっちゃったら、どうしようもないよねえ?」

「そうだよねえ……」

「まあ、でも。一人でいるより二人でいた方が、何が起きてるか確認できる確率は上がるわけだし……」

「まあ、対策にはなる、よね……」

 

そうして、その晩。

AさんとBさんは、その部屋で並んで眠りについた。

 

 

正直なところ。

Aさんはこの計画について、疑問に感じていた点があった。

つまり、深夜にそんな怪現象がBさんを襲ったとして、そのタイミングで自分が目覚めているか、その確証がないわけである。

(……あれ? その時に、私が目を覚ましてる確証なんか、なくない?)

床に就いて間もなく、そんな疑念がAさんの脳裏をよぎった。

 

しかし。

(……ま。その時は、その時か……)

そう考え、すぐに眠りに落ちてしまったそうだ。

 

 

──だが。

大したもので、正に『その時間』に、Aさんはフッと目が覚めたのだという。

(後で確認したところ、彼女が目覚めたのとほぼ同時に、Bさんも目覚めていたそうだ)

  

 

(……ん? アレ?)

夜半、急に覚醒したAさん。

何故、自分は目覚めたのだろうと、そう考える。

途端に、自分が何故この家に泊まっているのか、全ての記憶が蘇った。

(そうだ、Bちゃん……)

隣に寝ているはずの彼女へ、首だけ動かして、視線を向けた。

 

隣にいるBさんは、ものすごい汗をかいていた。

布団から出ている顔しか見えないが、脂汗を流し、苦しそうに呻き声をあげている。

(え、えっ、えっ⁉︎)

Bさんの枕元に置いてある目覚まし時計、その盤面が目に入る。

正に彼女の言っていた時刻、夜中の二時を指していた。

 

パニックに陥りそうだったが、それを何とか抑えて心を落ち着かせた。

そうして、耳を澄ませてみると。

 

 

確かに、Bさんの言った通り。

横になっている自分たちの足元から、

 

サラサラ、サラサラ

 

という音が聞こえる。

 

 

(ええ〜ッ……)

 

Bさんの話通りなら、自分たちの足元の方に、何かがいるはずだ。

すでにBさんの方を見た時点でかなり大きく顔を動かしていたのだが、それはそれとして。

Aさんは、ソ〜ッと、目線を足元へ向けてみた。

 

 

(えっ……)

 

髪の長い女が、横たわる自分たちの足元にいた。

大きな紙を顔の前、床に敷いて、その上に突っ伏すような体勢で座り込んでいる。

 

 

(Bちゃんの言ってたヤツだ……!)

彼女の話を思い出し、ゾッとするAさん。

 

 

……だが。

同時に、違和感を覚えた。

何かおかしい。

何かが、Bさんの話と違う。

 

 

いったいこの違和感は何だ。

しばらく見ていて、その答えにやっと気がついた。

 

 

(これ、紙に何かを描いてるんじゃない……!)

 

 

女は、その長い髪を垂らし、頭を上下に動かしている。

その髪の先端が、床に敷いてある紙に触れていた。

サラサラという音は、その際に生じる音だったのだ。

 

 

「……ウワアッ!」

Bさんと異なり、彼女は金縛りになっていなかったということもあり。

スケッチしているものと聞かされていたのに、実際は全く違うものを目の当たりにしてしまい、Aさんは思わず大声を上げていた。

「うわっ、ちょっ、えっ⁉︎ ヤバいヤバい!」

慌てて布団から飛び出し、隣に寝ているBさんの頭を叩いた。

そのおかげか、Bさんもすぐに飛び起き、我に帰った。

 

そうして周囲を見ると、すでに室内には彼女たち二人だけ。

他には誰もいなくなっていた。

 

 

「……いやいやいや! 描いてるとか描いてないとか、そういう話じゃないよコレ!」

少々落ち着きを取り戻してから、Aさんは自分が何を見たのか、詳細をBさんへ語って聞かせた。話を聞き、Bさんも青ざめる。

「え〜、何それ、ヤダ〜……」

「いや、何かよくわかんないけど、紙を覗き込んでたんだよ。長い髪の女が。そいつが顔をブンブンブンブン上下に振るんで、それでそんな音がしてたんだよ!」

「うわ〜、何それ、イヤだ〜……」

 

「え、私、もうこの部屋で寝たくないよ……」

何があったのか、一部始終を聞かされ、Bさんがそう呟く。

「い、いやあ。そうだよね。正直、初めて来た家でこんなこと言うのもアレなんだけど、私もちょっとイヤだよ……」

しょうがない。明日の朝、聞かれた時にご両親に説明すればいい。ちょうどいいことに、Bさんの家のソファは引っ張ると変形してベッドにもなるタイプのものだった。

ということで、その晩は二人でリビングで寝ることにした。

 

翌朝。

リビングで寝ている二人を見て、Bさんの母親は驚いたそうだ。

「あなたたち、何でこんなところで寝てるの⁉︎」

「いや、まあ。いろいろあって……」

そうやって親御さんは誤魔化したものの、正直なところ、どうしたらいいのかわからず、二人とも困惑していた。

「いや、でもこれ、誰に相談したらいいの?」

「え、これって何? どこに言ったらいい話なの?」

そんな風にあれこれ二人で話し合ったが、答えが出るはずもない。

その日も平日だったため、その内に学校へ行かなくてはいけない時刻となった。

「そろそろ準備しないと……」

二人の荷物は、Bさんの部屋に置いてあった。正直、怖いのであまり行きたくはないが、そんなことも言っていられない。意を決して、二人で一緒に部屋へ行った。

すると……。

 

 

「あっ……」

昨夜は恐怖で気が動転している間にリビングに降りてきてしまったため気がつかなかったが。

昨夜、あの女のいた、ちょうどそのあたりに。

全く見覚えのない、クシャクシャになった紙が置いてあった。

 

 

「え、紙がある……」

「たぶん、これだよ。昨夜、これを見てあの女、頷いてたのか何なのかわかんないけど、頭動かしてたんだよ!」

「えっ、なんで⁉︎ こんな紙、今までなかったのに⁉︎」

「いや、知らないけど……」

「え、あるのはあるので、それはそれでイヤなんだけど……」

「いや、もうそれはしょうがないよ。それこそ、アタシが姿を見ちゃったからこれを残していった、ってことかもしれないし……」

「そっか……」

 

そうして話し合った後、二人は紙を確認してみた。

そこには、短い文章と、矢印が書いてあった。

「……なんだこれ?」

『ひび割れたカーブミラーを右』だとか、そうした短文の後に、それぞれ別の方を向いた矢印が書いてある。

 

最初は、それが何なのか、全くわからなかった。

だが、いくつも書かれたその短い文章を見ていく内、二人にはその意味がわかった。

「あっ……」

 

 

それは、最寄りの駅からBさんの家までの、大雑把な道順だった。

 

 

つまり、誰かに路上で道を尋ねられた時。

何となく目的地はわかるが、具体的な番地がわからない。そんな時、建物などを目印にして簡単に説明するような。それをメモにしたような。

そういう文章だったのだ。

 

 

「えっ、何これ!」

「うわっ、気持ち悪ッ!」

慌てて二人で台所へ行き、Bさんの父親の灰皿を使ってその紙を焼き捨てたそうである。

 

 

紙を焼き捨ててようやくひと心地つき、Aさんは問い正した。

「……いやいやいや! よくわかんないけど、これはヤバいよ! 素人考えだけど、これは呪いとか生き霊とか、そういう類のやつだよ!」

「えっ、呪い⁉︎」

「いや、ここまで来たら、なんか身に覚えあるでしょ! 学校休んででも、思い出しなさいよ! なんかあるでしょ! 寝付けなくなる前に、なんか恨みを買ったとか!」

「いや、でも、私、恨みとか……」

「いや、ほら! 何となくだけど、肩が当たっちゃったとか! 何かないの⁉︎」

 

 

「……あ。あー。あーあー」

 

 

急にBさんが、合点がいったように声を上げた。

「……言われてみて、思い出した」

「え、なに?」

「いや、言われて初めて思い出した。夢かと思ってたんだよね」

「な、何が?」

そうしてBさんは、こんなことになるような心当たりについて、Aさんへ向けて語り始めた。

 

 

「……いや、それがね? こういう風に夜眠れなくなる前。確か土曜日、塾の帰りだったと思うんだけど。

 

誰かに尾けられてるような気がして。

 

普段、そんなことはないんだけど。

音もしないし、気配も何にもないんだけど、とにかく尾けられてるような気がして。何度も振り返るんだけど、誰もいない、ってことがあって。

(どうしたんだろう、神経過敏になってるのかな? 疲れてるのかな?)

って思って。

で、五回か六回くらい振り返ったんだけど誰もいなくて。

音も気配もしないのに何度も振り返るのもおかしいな。でも、確かに見られてるような気がするんだけどな、って。

気のせいか、って思って帰ってきてね。

『ただいまー』って言って、ドア閉めて、鍵かけて。

それでも何か気配がする、見られてるような気がするなあって思って。

 

で、そこで『あれっ?』ってなって。

 

玄関の外に誰か立ってるのが、磨りガラス越しに見えたんだ。

 

自分と同じくらいの背格好の、制服を着た女子高生くらいの子が立ってて。

『えっ、なに⁉︎』って思ったら、そいつがガラスにピッタリ身体を押し付けてきて。

磨りガラス越しだからよく見えないんだけど、私によく似た格好をしてて。でも髪だけは私より短いショートカットで。

ガラス越しで見えないはずなんだけど、こっちの様子を伺ってる感じだったんだよね。

で、思わず『誰、誰⁉︎』って言ったら。

 

 

『いや〜、ごめんなさいねぇ。あなた、背格好がちょうどだったから。ごめんなさいねぇ』

 

 

そう言って、パァッとどこか行っちゃって。

『何、今の子⁉︎』と思って外出たんだけど、もうどこにもいなくって。

疲れてるのかなって思ってその後お風呂に入ったんだけど。すぐに開けてそこにいないわけがないから、疲れてるんだろうなって済ましたんだけど……」

 

 

「……身に覚えがあるって言ったら、それかなあ」

「……それだッ!」

Bさんの話を聞いて、思わずAさんは叫んでいた。

 

 

そんな話を聞かされ、さすがにAさんもどうすればいいのかわからなかったのだが。

もしかすると、紙を焼いたのが良かったのかもしれない。

その晩以後、Bさんの周囲で奇妙なことは一切起こらなくなり、彼女は再びグッスリ眠れるようになったそうである。

 

結局、Bさんを尾けてきた相手の正体も含め、いったい何だったのか、全くわからないままだそうだ。

 

 

──ところで。

禍話の語りであるかぁなっきさんは、この話を本放送で披露するにあたり、終盤の展開がどうにも腑に落ちず、知人に語って聞かせ、感想を求めてみたそうだ。

 

「……っていう話なんだけどね。現れた女の子って、何だったんだろうね。そんな、黒◯ミサじゃあるまいし、人を怖い目に合わせようなんてやつもいないだろうし」

話を聞き終え、少し考えてから知人が口を開いた。

「……まあ、でも、磨りガラス越しだからねえ」

「ああ、まあまあ、そうね。どんな感じか、パッとわかんないしね」

 

 

「……例えば、結構な歳の人が無理して女子高生の格好をしてたのかもしれないし」

 

 

「……おまえ。すごい怖いこと言うなあ。その発想はなかったわ……」

知人の言葉に、かぁなっきさんはゾッとしたそうだ。

 

 

 

(※忌魅恐シリーズについては『忌魅恐序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐 最終夜』(2021年5月7日)

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から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:26:55くらいから)

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禍話リライト 忌魅恐『線香の匂いがする夜の話』

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元は葬儀屋だというような物件は、よくない。

そういうお話。

 

 

どこの地方か。なぜ業種が変わったのか。

それらについては一切の情報が伏せられているが。

元は葬儀屋だった、という老人介護施設があった。

そこで夜間警備員のバイトをすることになった男性、Nさんの体験談である。

 

交通費は全額支給。

時給も、同じ地域の同じ業種と比較すると数百円は高い。

その他諸々の待遇も、かなり良い。

そんなバイトだったそうだ。

 

 

無事採用され、現場に赴いた、バイト初日。

先輩の案内の下、Nさんはまず施設内を巡回した。

先輩は人当たりのいい、気さくな中年男性で、施設内のどこがどうなっているのか、巡回中にいろいろ丁寧に教えてくれた。

 

紹介がてらの最初の巡回を終え、警備員の待機部屋に戻ると、先輩が言う。

「……じゃ。今回は一緒に回ったけど、次は一人で行ってみてね。次の巡回は俺が行くから、その次から、ね?」

「はい、わかりました」

 

先輩からそう言われて、待機部屋でNさんは巡回に出た先輩が戻るまで、そして自分の巡回の番がくるまで、ボンヤリと時間を潰していた。

部屋の中央に置かれたちゃぶ台に肘をつき、テレビを見ながら待っていると、しばらくして巡回を終えて先輩が戻って来た。

そうして自分の番が来るまで、待機部屋であれこれ雑談をしている時。

 

不意に、先輩が言った。

 

 

「……ああ、そうそう。

もし『したら』なんだけどさ。

『線香の匂い』がしたら、部屋から出なくていいからね」

 

 

意味がわからず、思わず訊き返した。

「……へ? なんですか?」

 

 

「いや、そんなことないと思うんだけど。ないと思うんだけどね? 『線香の匂い』がするなぁ、って思ったらさ。もう、その日は巡回に出なくていいから。ほら、この部屋にもトイレがあるし、ね?」

 

 

確かに、先輩の言う通り、待機部屋にもトイレがあった。

別に、職員用のトイレを使えばいいだろうに。

(……なんでここにもトイレがあるんだろう?)

Nさんは控え室に入った時から、疑問に思っていた。

 

「え、行かなくてもいいんですか?」

話がよくわからず、思わずNさんがそのように言うと、先輩がさらに話を続ける。

 

「うん。ほら、この記録帳。あるじゃん?」

巡回の際、何かしらの異変を見かけた時。それについて記す。そのためのノートだ。

それを手に取り、先輩が言う。

 

「……ここにね?

例えば、何日の何時頃から、とかさ。

まあ『線香の匂いがした』とまでは書かなくていいんだけど。

例えば、

『匂いがしたので、見回りには出てません』

とか書いといたら、それで全然わかるからさ」

 

 

「……え? ど、どういうことなんですか?」

わけがわからず質問したNさんへ、先輩が説明してくれた。

 

 

「……いや、ここ。元は葬儀場だったのは、知ってるよね?」

「あ、はい。それは、聞いてます……」

「うん。いや、別にそれで何か問題があったわけじゃない。とは、思うんだけどね?」

「はあ……」

「葬儀場が使われなくなった、廃業した理由の一つ。だと思うんだけどねぇ……」

そう前置きして、先輩が次のような話をした。

 

 

──この建物が、まだ葬儀屋だった頃のことだそうだ。

 

ある日、通夜の準備をしている最中。

クレームの電話が入ったそうだ。

電話の主は、近くの住宅地に住む老夫婦だった。

 

「……ご遺体を物扱いするようなことして! どうかと思いますよ!」

 

何のことか全くわからなかったため、電話を取った職員は詳しく訊いてみたそうだ。

 

その日、散歩をしていたその老夫婦は、偶然ご遺体が運び込まれる現場を見かけたらしい。

(どなたか、亡くなられたんだな……)

そう思い、病院から来た車両から棺が運び出される様子を眺めていた。

 

 

その棺から、ご遺体が飛び出していたのだという。

 

 

職員が施設内へ運び込もうとする棺。

その蓋が開き、起き上がるような形で、ご遺体の上半身が外に飛び出していたのだそうだ。

 

 

「そういう棺に納められないような亡くなり方をすることもあるだろうけど。それなら周囲をブルーシートで覆うとか、配慮のしようがあるんじゃないのか」

老夫婦は、そのように苦情を言う。

 

しかし。

電話対応をした職員が、同僚に調べさせると。

 

その老夫婦が通りかかったという時間帯。

病院からご遺体が搬送され、施設に運び込んだ記録は、確かに残っていた。

 

だが、その棺の蓋が開いていたとか、ご遺体が飛び出していたとか、そんな記録は一切なかった。

もしそんなことになっていれば、当然担当の職員たちが覚えているし、病院からも何らかの伝達があるはずである。

 

さらに、老夫婦によると、遠目に見たのではっきりとは言えないが、長い髪をしていたことから、棺から出ていたのは若い女性のようだったらしい。

そして黒い喪服のようなものを着ていた、と。

 

それもおかしな話だった。

そもそも、喪服というのは葬儀に参列する遺族側が着るものだ。

ご遺体には死装束、つまり白い服を着せるわけで、棺の中のご遺体が喪服を着ているはずがない。

さらに、その時間に搬送されてきたのは、若い女性ではなかった。

持病が悪化して亡くなった、高齢の男性だったのである。

 

何度記録を確認しても。

確かにその時間にご遺体を搬入してはいるが。

老夫婦の言うように、

『喪服を着た若い女性を、棺からはみ出したまま運び込んだ』

などということは、なかったわけだ。

 

さらに言えば。

その日に行われた葬儀は、その高齢男性の一件のみ。他に搬入されたご遺体もない。

その旨を丁寧に伝えたのだが、老夫婦は聞く耳を持たない。

結局、埒が開かないため、悪質なクレームと判断し、対応した職員は電話を切ってしまったそうだ。

 

 

──そして、その晩。

その高齢男性の通夜が営まれた。

通夜自体は滞りなく終わり、男性の親族と共に何人かの職員も葬儀場で待機していたのだが……。

 

 

そこへ、急に訪ねてきた者があったそうだ。

 

 

夜間でも正面入り口の自動ドアは稼働している。だから、そちらを使えばいいのに、その訪問者は自動ドアの隣、職員用のドアを乱暴に何度も叩いた。

 

(……こんな時間に、誰だろう?)

 

遠方に暮らす親族が遅れて着いたのだとしても、普通に自動ドアを使えばいいわけだ。

なのに、なぜ職員用のドアを叩くのか。

 

葬儀場から少し行ったところに飲屋街があったため、そこから酔っ払いが来たのでは、という話になり、念のため、一番体格のいい男性職員が応対することになった。

 

(でも、今までに一度も酔っ払いなんか来たことなかったんだけどな……)

そう思いながら、職員は自動ドアの方から出て声をかけた。

 

「はい……?」

職員が外に出てみると、そこにいたのは若い男性だった。

ジョギングでもしていたのか。ジャージ上下、運動靴という出立ちである。

その格好からもわかるが、目をカッと見開き、脂汗をダラダラと流すその様子は、タチの悪い酔っ払いではないのは明らかだった。

 

男性は横の自動ドアから職員が出てきたことにも気づかず、職員用のドアを叩き続けている。

何やら様子がおかしい。

そう思いながらも、職員は彼に改めて声をかけた。

 

「ちょっと、ちょっと! お兄さん、どうしたの⁉︎」

「……あっ、ああ! スイマセン! ……あっ、そうか。自動ドアがあったのか……」

職員に声をかけられ、そこでようやく人が出てきたことに気がついたらしい。かなり動揺している様子である。

 

「……えっ、アンタ、どうしたの?」

「えっと、あの、その……。スイマセン、これぇ……」

職員が訊ねると、男性は握った右手を差し出した。

 

 

男性の差し出した手には、線香が数本握られていた。

汗に濡れた手で握りしめていたからか。

その線香は湿り、曲がってしまっていた。

 

 

なぜ男性は、その格好と不釣り合いな線香を持っているのか。

そして、なぜそれをこちらに渡そうとするのか。

全く理解できず固まっている職員へ、男性はなおも線香を握った手を差し出す。

「……あの、これ」

「いやいや! これじゃないですよ! いったい何なんですか⁉︎」

 

 

「いや、渡されたんで……」

 

 

(……ん? 渡された? 葬儀に来た家族か、職員の誰かから線香を渡された、ってこと? 何言ってんだ?)

どういうことかわからず、職員が訊ねると。

男性は何があったのかを語り始めた。

 

 

「……いや、自分。この辺りをよくジョギングしてるんですけど」

「う、うん」

「裏が、駐車場になってるじゃないですか。こちらの建物って」

「いや、なってるけど……」

 

 

「……そこを通った時に、駐車場からフッて人が出てきたから、危ない、当たっちゃうなと思って、立ち止まったら……。

あの……。

線香を持った、喪服を着た女性がいて。

……普通。その格好なら葬儀場に入っていくのならまだわかるけど、何で外へ出てきたんだろうって。

そう思ってたら、なんか、これを渡されて。

『どうぞどうぞ』って感じで。

『いや、なんですか! 困ります!』って言ったら、その女の人に何か言われたんですけど……。

ごめんなさい。何て言われたのか、それはちょっと記憶にないんですけど……」

 

 

「……とにかく、渡されちゃったんで。これ、お返ししていいですか」

「ええ……」

わけがわからず固まっている職員へ、汗で曲がった線香を押し付け、その男性は帰っていってしまったのだそうだ。

 

 

「──みたいなことが。昔、あったらしいんだよね」

「ええ……」

 

思いがけず怖い話を聞かされてしまい、Nさんは絶句した。こんなに待遇が良い理由が何となくわかったような気がして少し後悔したが、しかし、今さらそんなことを考えても仕方ない。

それよりも、話の続きが気になった。それからどうなったのか。線香の匂いがするとどうなるのか。それを詳しく聞かないと、仕事もまともに出来ない。それに何より、単純に好奇心に負けてしまった。

 

「……で、それからどうなったんですか?」

「いや。何か、それからね。元々のお葬式は無事に終わったみたいなんだけど、それからちょくちょく黒い服を着た女が周辺に出る、みたいなことになって。悪い噂も立っちゃって。気持ち悪い、つって。で、まあ、今ここってそういう施設になってるわけなんだけど」

「え、今は大丈夫なんですか?」

「ま、俺はそういうの見たことないんだけどね。でも、なんか線香の匂いがしだしたら危ないらしいからさ。俺は経験ないんだけど、君の前に入ってたやつとか、その前に入ってたやつとか、辞めてるんだよね」

「えっ……」

「君の二つ前の人なんか、わざわざ出ていっちゃったらしくて。匂いがするけど何だろう、とか言ってね。で、それで辞めちゃったんだよね。だから、怖いなあ、って思っててね」

「えっ、絶対出ませんよ、俺」

「うん、出なくていいよ。それはもう、上の人も、ちゃんとわかってるから」

(……怖いなあ)

 

そんなことを初日の夜に聞かされ、Nさんはバイト中に線香の匂いがしたらどうしようかと、心配で仕方なかった。

しかし、そのことさえ考えなければ、非常に楽で良いバイトである。

 

そして仕事に励む内、何事もなく一ヶ月が過ぎた。

その頃にはNさんは、単独での夜勤を任されるようになっていた。

 

 

そうして、一人での巡回にも慣れてきた頃だった。

 

 

その日。

夜の十時過ぎ。巡回を終え、Nさんは待機室へ戻ってきた。

(あ〜、次の巡回までヒマだなあ……)

夜食を摂るにもまだ早いし、テレビを見てもロクな番組をやっていない。何もすることがなかった。

 

そうしてボンヤリとしていると、不意に。

初日にこの部屋で先輩から聞かされた『線香の匂い』の話を思い出した。

 

(……そういえば。前に先輩から線香の匂いがどうとかって怪談話みたいなの聞かされたけど。全然そんなことないし、きっと何かの勘違いなんだろうなあ)

 

あまりにも暇すぎて、Nさんは待機部屋の掃除を始めた。

床を箒で掃いてみたり、棚のファイルを整理してみたり……。

その内に、壁にかかった日めくりカレンダーに目が止まった。日付を見ると、数日前のままだ。

 

(なんだよ、誰もめくってないのかよ。しょうがない、めくっといてやるか)

 

Nさんはカレンダーをめくり始めた。

五日前、四日前、三日前、二日前、昨日……。

 

「……ん?」

カレンダーの、今日の分のページ。

その日付の横に、何か書き込まれていた。

 

 

『今日あたり』

 

 

たったそれだけ、書き込みがあった。

恐らく、待機室に置いてあるボールペンで書いたものだろう。

(何コレ? 誰が書いたんだ? 意味わかんないし、変なの)

よくよく考えれば、思い当たりそうなものだが。

Nさんはその書き込みの意味がわからず、すぐに興味を失ってしまった。

 

 

──それから少しして、巡回の時間が来た。

(お、そろそろ時間だ。じゃ、行くか……)

そう思い、待機室のドアを開けて外に出た。

 

 

廊下中に、線香の匂いが立ち込めていた。

 

 

「えっ、嘘⁉︎」

その瞬間、先輩から聞かされた話が一気に頭の中に蘇り、カレンダーの書き込みの意味も理解してしまった。

先輩から話を聞いていた時は『匂いがする、かも』くらいのことだと勝手に想像していたが、そんなレベルではなかった。

 

明らかに、露骨なほどに匂う。

というよりも『線香臭い』というレベルだった。

 

それこそ、葬儀場の中にいるのではないかと、そう思うほどに。

 

(そんな、バカな……)

Nさんは反射的に視線を左右に向け、匂いの出所はどこなのか探そうとして……。

 

「ウッ……」

低く呻き、固まった。

 

 

右側の廊下。

その突き当たりに、女の後ろ姿があった。

俯き、ダラリと下げた両腕をユラユラと左右に動かしている。

そして右の拳を、軽く握っているように見えた。

 

(……線香を、握ってる)

ハッキリと見えたわけではないが、そんな考えが浮かんだ。

 

 

「……ウワァッ!」

慌てて待機部屋へ引っ込み、ドアに鍵をかけた。

十円玉を使えば開くような簡単な鍵だったが、何もしないよりはマシだ。

 

だが、そうして籠城することを選択したものの。

次にどうするべきかと室内を見渡し、部屋の構造を改めて確認して、

(しまった……)

Nさんは後悔した。

 

 

待機部屋には、一応、窓はある。

しかし、その窓はせいぜい換気のために使う程度のものでしかない。あまりに小さく、そこから外へ出られるようなものではなかった。

そして、その窓と、自分が今閉めたドア以外に、部屋と外部を繋ぐ経路は、ない。

 

 

つまり、自分から袋小路へ入ってしまった。

そんな状況だった。

 

 

(ウワーッ! どうしよう、どうしよう!)

パニック状態に陥りつつ、どうすればいいのかNさんは考える。

幸い、待機部屋のドアは、室内に向けて開くタイプだった。

ということは。自分がドアに身体を押し付けて、開かないように踏ん張っていれば、何とかなる、かもしれない。

そう判断し、Nさんは自分の身体をドアストッパーにするような形で扉へ押し付けた。

 

 

(えっ、ウソだろ? マジで?)

先輩から聞かされた話が、まさかこのように自分に降りかかるとは思っていなかった。

(早く、何とかなってくれ! 早く終わってくれ!)

そう願うものの、今や廊下に漂っていた線香の匂いは、そうしてドアに背を押し付けて震えているNさんの鼻腔にまで届くほどに濃くなっていた。

古い建物なので、建て付けが悪くて隙間があったのかもしれない。

それでも、常識的に考えて、あり得ないほどの臭いだった。

 

(えっ、近づいてきてんじゃないの⁉︎ ウソだろ⁉︎ )

恐怖のあまり、Nさんはドアに背を預け、体育座りのような体勢を取って頭を抱えた。

 

(……ウソだろ! 俺、関係ないよ! 俺はただのバイトの警備員だよ!

そもそも、もうここは葬儀場じゃないんだしさあ! 勘弁してよ! 俺、関係ないよ!

あの女、喪服っぽかったけどさあ! 線香みたいなの持ってたけどさあ! 

もうここ、葬儀場じゃないしさあ! そんな話があったのも、もう何年も前だよ……!)

 

 

そうしてNさんが頭を抱え。

脳内であれこれ考えていると。

 

 

ドアにもたれ掛かり、膝を抱えていた。

つまり体育座りをしていた、Nさんの右足が。

 

 

急に、誰かに、ガッと掴まれ。

前方へと引っ張られた。

 

 

そのせいで、彼は体勢を崩し、後頭部を身体を押し付けていた背後のドアに打ちつけた。

 

「……イッテェ!」

 

(……何なんだよ)

そう思って、後頭部をさすりながら立ち上がり、前を見た。

 

 

女がいた。

 

 

待機部屋の中央に置かれた、ちゃぶ台。

その上に。

全く知らない、見覚えのない女が、腰掛けていた。

 

自分の膝の上に肘をつくような姿勢で、Nさんを見つめながら。

女は、彼へ何事か呟いたそうである。

 

 

『●●●●●』

 

 

『それにしても、●●だよねェ』とか。

 

『巻き添え』がどうとか。

 

そんなことを、もっと難解な言い回しで言われたような。

 

Nさん曰く、そんな記憶が残っているそうだ。

 

 

 

──次に気がついた時。

Nさんは、職場近くの河川敷に倒れていた。

 

時刻は早朝。

近くに住む老人が犬の散歩をしている最中、倒れている彼を発見し、声をかけられて意識を取り戻したそうだ。

 

その日のうちに、Nさんはバイトを辞めたとのことだ。

 

 

この話を取材した某大学のオカルトサークル。

(※『忌魅恐序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

彼らは、Nさんの話にあった建物周辺を調べてみたそうだ。

すると、該当する建物の外壁に、掲示物があった。

そこには、

『警備員、常時募集中!』

そんなことが記載されていたという。

 

 

Nさんから取材した内容が全て事実なのかどうか、それはわからないにしても。

問題の施設では、常時、夜間の警備員が募集されていたのは事実らしい。

 

……ということである。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話Xスペシャル』(2021年2月24日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/669122947

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:27:45くらいから)

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