仮置き場

ツイキャス『禍話』で語られた怖い話の文章化を主にやらせていただいてます

禍話リライト 怪談手帖『とっくに……』

以前、とある集まりで怖い話が話題となったことがある。

突発的だったこともあってタネはすぐに尽き、いわゆるブラック企業の怖い話が主役となってしまった。

僕(怪談手帖の収集者、余寒さん)は聞き役に徹していたのだが、座の終わり頃になってお鉢が回ってきた。

結局、自分の知るその系統での怖い話。『つ』というひらがな一文字にまつわる怖い話を語ってみたものの、そこは語り慣れない素人の悲しさ。怖がってもらうどころか話の要点すら上手く伝わらず、何とも今一つな反応で終わってしまった。

 

(※禍話リライト 怪談手帖『つ』)

https://note.com/bs_jima/n/na6a5bacdff06

 

しかしながら。

お開きとなった後、同席していたFさんという男性からメールでご連絡をいただいた。

曰く、

『似ている、というほどではないが。行方不明になったかつての同僚についての、気味の悪い思い出があるので聞いてほしい』

という。

彼へ正式に採話と公開の許可を取り、伺うことができたのが、次に紹介する話である。

 

 

去年不惑を迎えたFさんが、まだ二十代の頃のこと。

当時勤めていた、彼曰く杜撰な会社で、奇妙な迷惑電話が問題となったことがあった。

「最初は単なる無言電話でね。ハイって言って取っても、声も何にも聞こえなくて、首を傾げながら切る、っていう。それが何回か続いたんだったかな」

途中から完全な無音ではなく、サーッとホワイトノイズのような音がするようになったが、相変わらず何も喋らない。

どうしたものかと話している内に、何度目かにFさんが取った電話で、初めて相手が喋った。

ノイズに混じって、明らかに合成音声とわかる男性の声で、

 

『アマギ、クニヒコさん』

 

と、名前を告げてからプツリと切れた。

 

それは、Fさんの後ろの席の、同年代の同僚の名前だった。

(※当然、名前は変えてある)

アマギというその同僚に『何か心当たりは』と問うたものの、『知らない』と答えたので、その場はそこで終わりとなった。

 

 

──しかし。

アマギ氏の名だけを告げて切れる電話は、その後も何回も繰り返された。

「大きな会社じゃなかったから、番号をちゃんとフィルタリングしたわけでもなくて。みんな、反射的に取っちゃうんだよね。で、次にかかった時、また俺が取ったんだけど……」

サーッというノイズを聞いて、

(……またか)

と思っていると、不意に……。

 

『アマギさん、イマスカ?』

 

と言われた。

それまでの合成音声と、声の主は同じに聞こえなくもないが。妙なイントネーション、ちょうど日本語を勉強し始めの外国人のような調子で、録音ではなく、確かに喋っている。

Fさんは慌てて、

「どのようなご用件ですか?」

と問い返したものの、それには答えず、

『アマギさん、イマスカ?』

と繰り返すだけ。

「……何て言うのかなあ。電話口に向かって喋ってる感じがしない、っていうか。まあ、変なことを言うけど。壁にピッタリ向かい合ってさあ、壁に声かけてる感じ。わかるかなあ」

何度か問い返したものの結果は同じで、結局そのまま電話はプツリと切れた。

そのあたりで、控えておいた番号を検索してみたりもしたものの、どうやら別の県かららしい、というくらいで、該当する業者などは出てこなかった。

「しばらくして、番号を変えて同じ電話がまたかかってきたんだよね。その時は別の同僚が取って、やっぱり同じこと言われて。『アマギさん、イマスカ?』って。聞き返してもダメで。

そいつはねえ、『のっぺらぼうが電話に口つけて喋ってるみたいなイメージだ』って言って青くなってた。俺も『流石に怖がり過ぎだよ!』って言ったけど……」

 

 

そのあたりになると、迷惑電話も本格的な問題とされ、対策が話し合われるようになった。

当時、管理職の間では既に、ある程度当たりがつけられていたという。

というのも、過去に私的なギャンブルが原因で、怪しげな消費者金融に手を出し、逃げるように辞めた社員がいて、職場へも嫌がらせの電話がかかってきたことがあったからだ。

細部は違えど、同じケースなのではないか。即ち、名指しされているアマギ氏が何かしらのトラブルを起こしたのではないか、というのが会社の見解だった。

「まあ、決めつけるのもひどいとは思うけど。そのアマギってやつも、俺は結構仲良かったんだけど、ちょっと問題があってさあ……」

Fさん曰く。アマギ氏はどこか地に足のついていないようなところがあり、アマチュアの占い師を自称し、神社仏閣や霊跡などの、いわゆるパワースポット巡りを趣味にしていた。

「いや、もちろんそれ自体が悪いわけじゃないよ? 他の同僚にもそういうの好きなやつはいたし、占いとか風水と上手く付き合ってるやつも、うん、いるいる。でも、あいつはタガがちょっとはずれちゃってたっていうか……」

あからさまなサギ商法にはまり込んで給料を注ぎ込んだり、怪しい装飾品や妙な友の会などに入って散財した話を嬉しそうに周りに話したり。

個人の自由でもあるし、それまでは特に問題にはされていなかったのだが、ちょうど迷惑電話が繰り返され始めたあたりで、彼は側から見てもわかるほど落ち着きがなくなっていた。

携帯電話の電源を切っていることを指摘されると、『プライベートの関係で……』などと弁解していたこともあり、前述のように疑われることになってしまった。

「まあ、要するに。趣味のあれこれでトラブって、携帯が繋がらないから職場にかかってくるようになったんじゃないか、ってことだよね」

 

そろそろ直接の上長か部長あたりから裏で詰められるだろうという頃。気になっていたFさんは思い切って、ある日の昼休みに彼へ直接訊ねてみた。

「近所の公園でね、一緒に座って。借金か何か、でっかいのを作っちゃってんじゃねえか、って。ぶっちゃけてみたんだよ」

ベンチの片方に腰掛けたアマギ氏は、借金という言葉に対しては強く否定した。

「……ただ、いわゆる『きっかけ』は、あったかも知れない」

と、やや自信無さげに続けたという。

それは何なのかとFさんが問うと。

アマギ氏はしばし逡巡した後、とあるパワースポット探訪の話をいきなり始めたのだという。

 

「ずっと前から気になっていて、少し前の連休に思い切って出かけて、夜に車を飛ばして県を跨いで。そこは道路をグルグル登っていった先にある高台の建物で……」

 

急に趣味の話を始めたのにも面食らったが、Fさんは話を聞いている内に違和感を覚えた。

「いや、どう考えてもなんかヤッベエ廃墟に行ってんだよ……」

元はどこかの保養所だったと噂の、独特な形の建物へとアマギ氏は赴いていた。

そこは窓ガラスが割れて、電気などもとっくに通っておらず、外壁には無数の亀裂や傷が刻まれていたという。

 

そして彼の語りは、外壁に沿ってその建物を巡った後、二周目に戻って来たところで異様な遭遇に至る。

 

最初は確かに誰もいなかったはずの、一階の会議室の中。

ガラス越しに妙な光のようなものがまばらに浮かび、子供のような小さなボンヤリした白い影がビッシリ並んで、こちらを見ていた。

驚いて逃げようとした先、ふと見上げた正面玄関の真上。壁の亀裂だと思っていたものが、誰かの刻んだ歪な形のカタカナであることに気がついた。

 

 

『トックニ』

 

 

まるで、手遅れだとでも言うように、そう書かれていた……。

 

 

「……いや、まあ。どう聞いてもなんか、怪談で肝試しとかに行った、っていう語り口なんだよ。普段行ってたパワースポットの話とも、話し方が違うわけ」

その違和感をFさんが素直にアマギ氏へ告げたところ。

彼はむしろ興奮を強めつつ、『パワースポット』という単語の『パワー』の方を強調したのだという。

 

「あのスポットにはこれまでに回った全てを過去にするような威力があった。特に壁に書かれた『トックニ』という文字。それを見た時全てはとっくに終わっていたんだと精神的なものではなくハッキリと実感があった!」

 

興奮気味に口から泡を飛ばして語るアマギ氏を前に、Fさんはひたすら困惑する他なかった。

「いや。正直言って、理屈が全然わからないし、文字がどうこうってのも、たまたまそう見えた、ようにしか思えないし……。まあ、わかったのは。いよいよコイツ、精神的にヤバいんだな、ってことぐらいで……」

 

 

結局、有用な答えも引き出せないまま話は終わってしまった。

迷惑電話に関しては、その後、かかってきた番号を控えておいて絶対取らないように、という正式な通達が回った。

通信会社へ対策の依頼をする話なども出て、いよいよ会社としても対応をするのだなと伺い知れたという。

「いやあ。だから薄っすらと、

(これ、アマギも飛ばされるんじゃねえか……)

って、そんな気がしてたんだけど……」

 

 

──そんなある日。

休み明けの繁忙でピリピリしている職場へ、重なり合った電話の着信音が、同時に鳴り響いた。

ハッとして見ると、電話の振り分け番号が、ランプを全て埋める勢いで一斉に灯っている。

複数箇所から、すごい数の電話が、同時にかかってきているのだ。

「いやあ、さすがに誰も取らなかったねえ。上司からも『……いいから無視しろ!』って言われたよ」

電話はしばらくの間、ずっと鳴り響いていたが、やがて止んだ。

同時に、Fさんの背後でギィッと椅子が鳴って、アマギ氏が立ち上がったのがわかった。そうして、彼は黙ったままオフィスを出ていってしまった。

「さすがにいたたまれなくなったんだろうな、って。みんな、そこは察してて」

Fさんも少し気の毒に思いつつ、自分の業務に集中していた、のだが……。

「二十分くらい経っても帰ってこないから、アレッ? って思って。トイレにでもいったんだろうと思ったから……」

そうして、仕方なくアマギ氏を探しに行ったのだが……。

 

「……もう、わかるでしょ? それっきりだったんだよ」

 

アマギ氏は会社を出て、そのまま行方不明になってしまったのだという。

「いやあ、それからだいぶゴタゴタしてねえ。ただでさえ繁忙期なのに、一人いなくなっちゃって、地獄みたいに……。ああ、でも、余寒さんに話したいのはそこじゃなくて……」

 

 

……アマギ氏を探しに社内のあちこちを回った時、Fさんは最後に総務課のある一角へと向かった。

会社には表の出入り口と配達を受け取る裏口があって、そちらは裏口に通じている。

総務に訊ねると、

「……あ。じゃあ、もしかしてさっきのがそうだったのかなあ」

と返ってきた。少し前に、アマギ氏らしい影がパーテーションのむこうを横切って、裏口から出ていったのだ、と。

「こっちも忙しかったから気にしなかったよ」
とか、
「早退きとかじゃないの? 例の件?」

などと続いて訊いてくる総務をよそに、胸騒ぎを覚えたFさんはカメラを見せてもらうよう頼んだ。

「いや、裏口に防犯カメラつけてたんだよね。その会社。回しっぱなしで記録できるやつ。あんまりいいカメラじゃないから、画質も悪いし音声も録れないんだけど」

管理が割と大雑把で、普段から総務と仲の良かったFさんは抵抗なく見せてもらえたらしい。

そこには、裏口から出ていくアマギ氏の姿が記録されていた。

 

……そのほんの一分間ほどの映像が、明らかに異常だったのだ、と。

Fさんは言った。

 

 

──以下は、彼の口述に沿った内容をまとめたものである。

 

裏口の戸が開き、アマギ氏が出てくる。

画面に白い波のようなノイズが走り、映像が数秒間乱れる。

映像が回復すると、裏口に立つアマギ氏の前に、いつの間にか人物が二人佇んでいる。

一瞬、子供かと見紛う。中肉中背のアマギ氏の半分ほどの背丈しかない。

その二人は帽子を被って、トレンチコートのようなものを着ており、頭もひどく小さい。

サイズが子供並みなだけで子供ではない。むしろ大人をそのまま縮小させたような……。

そのせいで、手前にいるアマギ氏が、まるで巨人であるかのような錯覚を起こさせる。

顔の小ささとカメラの画質のひどさもあって、目鼻口が見てとれず、マネキンのようにも見える。

そんなものが鏡写しのように、ピッタリ同じ姿で二体立っている。

画面の中のアマギ氏は、不自然なほどにリアクションをとらない。

いや、それどころか、背の低い『それら』と視線が全く噛み合っていない。まるで、そいつらがそこに存在していないかのように……。

手前のアマギ氏とその前の二人が向かい合って静止したまま、サーッと低画質のカメラ映像の微細な揺らぎだけがしばらく続く。

タイマーを見るとほんの数十秒であるが、異様に長く感じられる。

やがてまたノイズが細かく走り始めたかと思うと画面が激しく乱れ……。

線の嵐になった次の画面で、二人はアマギ氏を挟んで両側にいる。

片手ずつを出して、アマギ氏と同じ方を向いて、左右から彼の手を取っている。

そしてそのまま三人とも、スーッと滑るような明らかに異常な動きで、画面外へと出ていった……。

 

 

「(ああ、これは見ちゃいけないものを見た……)

って、そう思ったよ、本当に……」

Fさんと総務の男性は画面をつけっぱなしにしたまま、人を呼びにいった。

あまりに衝撃的でその映像をいろんな人に見せたので、社内の結構な人数がそれを見ているのだという。

 

アマギ氏はその場では無断退勤ということになり、連絡が試みられたのだが、携帯電話の電源は相変わらず切られたままだった。固定電話も通じず、最終的に家族から捜索願いが出された。

警察へ届出となった際、防犯カメラの映像も提出されたと聞くが、それが扱われたかはわからない。

 

その後の続報を聞かない内に、程なくしてFさんも転職したのだという。

「……いやあ。なんか、会社の出入り口も怖くなっちゃってさあ。仕事のつらさ以外で辞めた、唯一の職場かもしれない……」

あの防犯カメラの映像は今でも夢に見るくらい怖いのだと、Fさんは言った。

 

 

「……あの、それでね? 俺、何だかあの映像に、デジャブっていうか、既視感? みたいなのをずっと感じててさあ」

悪夢の形で何度も反芻していたせいか。

ある時、彼はその既視感の正体に思い至った。

 

「……昔。すごい昔。最初の頃かな、UFOが流行った時に。有名な写真があるじゃん。外国で撮られた、合成ってわかったやつ。コートの二人が、小さい細いやつを挟んでるやつ。

単なる印象でしかないんだけど、あのあいつの映った防犯カメラの映像。それはまるであの写真の、……パロディ? っていうのかなあ。左右と真ん中のやつをひっくり返したみたいな、そんな構図に思えて仕方ないんだよ……」

 

※捕まった宇宙人の写真 ① 【世界のUFO事件簿】

http://blog.livedoor.jp/choko_suke_/archives/78911461.html?ref=head_btn_st_prev&id=6520320

 

 

──最後に。

謎の文字について、Fさんが最後に語った印象のせいだろうか。僕は亀裂に見えるその文字は、もしかすると『とっくに』ではなく、『外つ国(とつくに)』ではなかったろうかと思ってしまう。

外つ国。外国、すなわち異国、異なる世界のことである……。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話2024夏の納涼祭 第二部・余寒怪談三連発!キミは耐えられるか!』(2024年7月20日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/798213926

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:26:40くらいから)

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禍話リライト 忌魅恐『もうすぐ事故が起きる話』

f:id:venal666:20240712233725j:image

『恐ろしい出来事』というものは。

曰く因縁の有無に関係なく、突然やってきて、去っていく。

そういうものらしい。

 

 

当時、某地方の大学院生だった男性、Kさんの体験談。

 

 

条件次第、ではあるが。大学生の夏休みは長くて暇なものだ。院生も、場合によっては、そうなることもある。

当時のKさんは、正にそういう学生だった。一年目にしっかり授業もレポートもこなしていたので、後は論文執筆のため、ちゃんとゼミに顔を出せばいい。そんな状況だった。

そんなわけで、二年目のその年の夏、Kさんは自室でのんびりと過ごしていた。

 

そんな夏休みのある晩。

夜のかなり遅い時間、突然インターホンが鳴った。

(こんな時間に、誰だ?)

知り合いなら携帯に電話すればいいのに、そう思いつつ、玄関を開ける。

 

訪ねてきたのは、ゼミのOBであるA先輩だった。

 

確か、先輩の住む家は結構遠くにあったはずだ。

それが、こんな遅い時間に、いったいどうしたのだろう。

 

「え、どうしたんすか? 急に」

「悪いな、急に。ちょっと上がらせてもらうけど、いい?」

「あ、どうぞどうぞ」

 

そうしてA先輩は部屋に上がり込んだのだが、どうも妙にソワソワした様子である。

今までにも何度か、夜遅くに酒瓶を携えて『飲もうぜ!』とやって来たことはあったが、その時と比べると、明らかに様子がおかしい。

だいたい、その時だって、ちゃんと事前に連絡してから来ていたわけである。

 

(……おかしいな、どうしたんだろう?)

 

例えばカラオケだとか、どこか遊びに誘おうとしているのだろうか。そう考えたが、それでも事前に電話で約束したりするものだろう。

やけにソワソワして、時折チラチラと自分の方を見るA先輩の様子が気になり、Kさんは訊ねた。

 

「え、何すか? 今日、何かあるんすか?」

「……お前、ちょっと付き合ってくんねえか」

「……へ? 付き合う?」

「いや、悪いなあ。調べたら、お前の近所らしいからさあ。ちょっと、申し訳ないんだけど……」

 

A先輩の言っている意味がわからず、どういう意味かと再度訊ねると。

 

「……悪いんだけどさ。ちょっと外に出てきてもらっていい?」

 

と、詳しく説明することなく、外出を促してきた。

 

「はあ。まあ、いいですけど……」

よくわからないが、近くの美味いラーメン屋にでも一緒に行こう、という話なのだろうか。

「それなら、まあ」

と、Kさんは上着を羽織り、促されるままにアパートの外へ出た。

 

 

「……いや、悪いなあ。あ、こっちこっち」

そうして、A先輩の後について歩いていった。

結局、十五分ほど歩いたそうだ。

到着したのは、公営の団地が立ち並ぶ区域。その一角にある十字路だった。

知り合いが住んでいるわけでもなく、近くに買い物ができる場所もない。そのため、割合近くに住んでいるKさんも、これまで一度も来たことのない場所だった。

 

周囲を見ると、十字路の脇に、金網で囲まれた土地がある。

かなり狭く、何のための場所なのかわからないが、ベンチが一つだけ置かれていたため、恐らくは公園なのだろうと、Kさんはそう考えた。

 

その公園へ視線を向けた流れで、Kさんは周囲の団地へと目線が向いた。

建てられた当時は、もっと人が多く、活気に溢れていたのかもしれない。

だが、現在のその団地には、入居者もほとんどいないのだろう。カーテンのかかっていない、空室と思われる部屋も多く、明かりの灯っている部屋も数えるほどしかない。

『うら寂しい』という表現がピッタリの、全く人気のない場所だった。

 

「……え? 何すか? なんでこんな場所連れてきたんですか? ここ、どこなんですか?」

そう訊ねながら周囲を見渡すKさんの視界に、電柱に貼られた金属板が入った。

日本全国、どこの地域にもある、町名や番地を記載した看板だ。

 

 

『◯◯町』

そこまで記された、その真下で。

金属製の看板は、引きちぎられたようになっていた。

 

 

(えっ、気持ち悪……)

通常、そうした看板は破損したらすぐ新品に交換されるものだろう。それなのに、その看板は表面に浮かぶ錆の様子から、破損してから長期間、そのまま放置されているだろうことが見てとれた。

 

(気持ち悪い場所だなあ……)

そう思うKさんの横で、A先輩は十字路をあちこち見て回っている。

先輩が何をしているのか全くわからず、先程の質問に答えてもらえていないこともあり、耐えかねてKさんは再度質問した。

「えっと、すいません。今、これって、何待ちなんですか?」

その質問に、A先輩は十字路のあちこちを見たり道路の奥の方を眺めたりしながら、Kさんの方を振り返ることさえせずに答えた。

「いや、ここね。見通しがいいだろ?」

「まあ、確かにいいですね」

 

 

「見通しいいのにな。よく人が死ぬんだよ。それも、必ず自動車絡みでな」

 

 

「……ん?」

先輩が何を言っているのか、理解できなかった。

「……え? つまり『死亡事故待ち』みたいなこと、ですか?」

Kさんが無理やり言葉を捻り出すと、

「おう」

こともなげにそれだけ言い、A先輩はまたあちこち見て回り始めた。

 

「しかし、ぜんぜん車来ねえな……」

(何言ってんだこの人……)

 

突然放り込まれた異様な状況。

先輩はよくわからないことを言い、自分を無視するかのようにあちこち見て回っている。意味不明なことが多すぎて、頭の中がグチャグチャになってきた。

その混乱を脳裏から振り払うかのように、Kさんは続けて訊ねた。

 

「え、なんでそんなの待たなきゃいけないんですか」

「いや、ちょっとね。インターネットで、掲示板で教えてもらったんだけどね。近所だから」

「いや、近所って! ここから先輩の家は遠いでしょ!」

「まあ、そうだけどさ。知り合いが近くにいるから、ね」

「いや、事故って言ったって! せいぜい半年に一回とか、必ず決まった日に起きるわけじゃないでしょ⁉︎」

「う〜ん。だから、今日来たって別に、何もないかもしれないしな」

「え? そのためだけに来たんですか⁉︎ 先輩の家、ここから結構遠いでしょ⁉︎」

「う〜ん」

「え、先輩。今日はどうやってここまで来たんですか⁉︎」

「いや、う〜ん……」

「いや、バスとかだったら、もうないから帰れませんよ⁉︎」

「う〜ん……」

 

その内に、A先輩は何を訊いても、話を聞いているのかいないのか、不機嫌に唸るように『う〜ん』としか言わなくなってしまった。

(しょうがねえな……)

 

結局、A先輩はうんうん唸りながら三十分近く十字路周辺を見て回っていた。

その間、Kさんはといえば、特にすることもなく、あちこち観察したりうろついてみたり、適当に暇を潰すしかなかった。

その内、何もすることがなくなり、どうしようもないので公園らしき区画に設置されたベンチに座り、ただボーッとAさんを眺めていた。

 

 

そうしてボンヤリしながら周囲を見て、

(変な公園だなあ……)

Kさんはそう思った。

 

決して広くはないが、かといって狭いわけでもない。中途半端な大きさの土地だった。

空いているスペースを考えれば、ブランコか滑り台か、一つくらいは遊具を設置できそうなのに、設置物は彼が座っているベンチしかない。

改めて見てみると、公園内での禁止事項、作られた年度や公園の名称、それらを記した看板などもなかった。

 

(……ここはいったい、どういう公園なんだろう?)

 

Kさんがそんなことを考えていると。

さすがに飽きてきたのだろうか、A先輩が傍に来て声をかけてきた。

「何にも来ないな。車も来ないし、人も通らないし」

「そうでしょ? もう帰りましょうよ」

「う〜ん、そっか……。じゃ、悪いんだけど、今晩、泊めてもらえる?」

「そりゃ構いませんけど……。だいたい、今日は急にどうしたんですか。先輩、そんなに肝試しとか好きじゃなかったでしょ」

「いや。面白いかな、って思って……」

「何言ってんですか。もういいですよ、帰りましょ」

そうして、二人揃って公園を出た。

 

 

「……あ。車があるなあ」

 

 

「……へ?」

急に立ち止まったA先輩がそんなことを言うので、つられてKさんも先輩が見ている方へ目を向けた。

 

先輩の言葉で初めて気がついたが。

公園の横には、砂利を敷き詰めた広い敷地があった。

よく見ると、地面に古い虎ロープが等間隔に埋められている。どうやら私設の駐車場らしい。

そして、そこには黒い普通車が一台停まっていた。

 

(あれ、いつの間に……)

 

Kさんたちが来た時にはもう停まっていたのならば、到着した時点で目についていただろうし、その後もしばらくウロウロしていたのだから、その途中で絶対に気づくはずだ。

Kさんが公園にいた時にやって来た、というのなら、エンジン音や砂利を踏む音で絶対に気づいたはずである。

そして何より、場所的に、十字路周辺をずっとウロウロしていた先輩が気がつかないはずがない。

「気づかなかったなあ」

「ホントですねえ」

先輩と話しながら、Kさんは『ブーン……』という微かな音に気がついた。どうやら、あの車はエンジンがかけっぱなしになっているらしい。

 

(あれ。エンジン、かかってる……?)

 

そう思い、再び目を向けると、車内に人がいることに気づいた。

暗くてよくわからないが。二人、運転席と助手席に座っている。

「あ、人いるな」

「いますね。先輩、あんま指とかさしちゃダメですよ」

「おお……」

 

しかし、A先輩は駐車場の入り口に立ったまま、自動車の方を見つめて動こうとしない。

「いや、先輩。ダメですよ。あんまり見てたら『なんだお前!』ってなりますよ」

「おお。でもさあ、あの車の運転席と助手席のやつ。ずうっと前を見てるなあ」

 

確かに。

言われて見てみると、車内の二人はシートに座って前を見た体勢のままピクリともしない、ようにも思えた。

「……そう、ですねえ」

 

 

「……アレ、さ。死んでんじゃねえか?」

 

 

「えっ……」

突然A先輩がそんなことを言ったため、虚を突かれてKさんは言葉に詰まった。

そんな彼に対し、先輩は繰り返して言う。

「いや、死んでんじゃないの? アレ」

「えっ、でも……」

「いや、瞬きしてる? あの人たち」

距離があるのでハッキリとはわからないが、確かに、そう言われればそう見えないこともない。

「ちょっと、見てきてくれる?」

「えっ?」

「いや、見てきてよ」

「なんでですか、イヤですよ! 本当に死んでたらイヤじゃないですか!」

「いや、ちょっと見てきてもらっていい?」

「イヤですよ! 先輩が見てきたらいいじゃないですか!」

「いや、そっち見にいってる間にさ、道路で何か起きて人が死んでさ、それで決定的瞬間を見逃したら、イヤじゃん?」

先輩があまりに無茶苦茶なことを言うので、ついKさんも語気を強めて反発してしまった。

「いや、何言ってんですか! だから、イヤですよ、俺!」

 

 

その瞬間、いきなり左頬を殴られた。

 

 

「……ハア⁉︎」

A先輩は体格こそ大きめだが、至って温厚な性格の先輩だ。思えば、そんな彼から暴力を振るわれたのはそれが初めてであった。

突然のことに、地面にへたりこんで呆然とするKさん。そんな彼を見下ろしながら、先輩が静かに言う。

「いや。結構こっちも、真剣なんだよね」

なぜ、どういう理屈で今自分は殴られたのか。

Kさんは全く理解できなかったが、知り合って初めて、目の前にいる人物に対して恐怖を覚えていた。

「ほら。俺、道路の方、見とくからさ」

相変わらず静かな口調で、真顔で言うA先輩。とにかく今は逆らうべきではないと判断し、Kさんは立ち上がり、その命令に従うことにした。

 

「死んでたらちゃんと言えよー」

車に向かって歩くKさんの背中へ、A先輩がそんな風に声をかける。

「はいはい……」

そう返事はしたものの、

(先輩との今後の付き合い方を改めなくては)

と、内心ではそんなことばかり考えていた。

 

(少なくとも、今夜は適当に理由をつけて泊めるのを断るし、今後も距離を置いて付き合うようにして、可能なら関係を断とう。そうしよう。

そして、それはそれとして。今は逆らわないようにして、この状況を早く終わらせないと……)

 

車に向かって歩きつつ、Kさんはそんなことを考えていた。

 

近づいていくと、車内にいる二人はどちらも男性だとわかった。

普通、自分たちの方へ接近してくる者があれば、顔や視線をそちらへ向けそうなものだが、車内の二人は前方を凝視したまま微動だにしない。

(ええ……)

普通なら窓を開けて顔を出し『何ですか?』と訊ねてきそうな、それくらいの距離まで接近しても、やはり二人は全く動かない。

 

(やっぱり、この人たちもおかしいよな……)

異様さに眉を顰めるKさん。

その背に向けて、道路に立っているA先輩が声をかけてくる。

「どうだ〜?」

「いや! いや、ちょっと待ってください!」

 

返事をしつつ、さらに接近し、助手席側の窓の側まで来た。

周囲に明かりが乏しいため、暗くてよくわからない点もあるが。今や窓ガラス越しに車内の二人の様子はかなり視認できるようになっていた。

 

やはり、二人は前方を凝視したまま硬直したようになっていて、車両のすぐ傍まで来たKさんへ微塵も反応を見せない。

全く動きがないため、まるで人形のようにも思える。

しかし、窓越しに見ていると、そうではないと、何となく感覚でわかる。

(やっぱり、この人たちもおかしいよな……)

そう思いながら、後部座席へと目を向ける。

 

(えっ……)

後部座席に、うつ伏せになって横たわっている人物がいた。

 

 

後部座席二つ分を使ってうつ伏せになっている人物。その着ている服に、Kさんは見覚えがあった。

アメコミのキャラをプリントした、特徴的なデザインのシャツ。

それは、先輩が着ているものと、同じだった。

 

 

(えっ、ん? アレ?)

困惑しつつ見ていると。

後部座席に横たわる人物。その髪型も、体格も、先輩そっくりに見えてくる。

というか、先輩本人にしか見えなくなってきた。

 

 

「え⁉︎ ちょっと、Aさん! これ! この車、おかしいですよ!」

大声を上げたKさんだったが、しかし彼のその声に、何も反応がなかった。

だが、パニックに陥っていた彼は、A先輩の反応がないことになど全く気づかなかった。

目の前の車内。運転席と助手席に座る二人は、相変わらず何の動きも見せず、そのことがさらにKさんの混乱を深めた。

「いや、先輩! この車! おかしいですよ!」

Kさんが叫んだ、その時だった。

 

 

『なんだぁ? 死んでるかぁ?』

 

 

背後から。十字路の方から。

老人の声が聞こえた。

その声色、口調は、A先輩のそれによく似ていた、という。

まるで、先輩の真似をしているかのように。

 

 

(……えっ⁉︎)

驚いて、振り返るKさん。

目線の先。

十字路には、誰もいなかった。

先輩も、いなくなっていた。

 

 

「えっ、えっ⁉︎」

慌てて十字路の真ん中まで走り出て、周囲を見回した。

「え、ちょっと⁉︎」

さっきまで、確かにそこにいたはずの先輩の姿が、どこにも見えなくなっていた。

そして、さっき背後から確かに聞こえた声、その主らしき姿も、どこにもなかった。

「ちょっと⁉︎ ちょっと、Aさん⁉︎」

先輩の姿を探し、あちこち視線を巡らせるKさん。

その視界に、十字路の周りを囲むように立ち並ぶ団地が映る。

 

 

団地の窓辺に、人影が立っていた。

 

 

明かりが乏しいのでよく見えないが。

カーテンのかかっていない、つまり無人のはずの部屋の窓辺に立っている、人影が見えた。

 

 

それも、一人だけではない。

一部屋だけではない。

空き部屋ごとに、窓辺に立つ影があった。

 

 

それだけではない。

団地の階段の踊り場。そこにも、各建物の、各踊り場ごとに、人影があった。

そして、どの人影も、こちらをジッと見ているような、そんな視線を感じた。

 

 

それまで、全く人の気配がなかったはずなのに。

何十体もの人影が、団地からKさんの方を見ていた。

 

 

(えっ、なに⁉︎ 何なの、この人たち⁉︎ 何見てんの⁉︎ 何待ってんの⁉︎)

 

 

恐怖と困惑で硬直するKさん。

そんな彼の耳に、遠くから響く何かの音が聞こえてきた。

 

ブウウゥゥーン……

 

音の方へ目をやると、十字路のむこうに小さな明かりが見えた。そしてその明かりは、音と共に次第に大きくなっていく。

Kさんは理解した。自動車のヘッドライトと、エンジンの音だ。

そしてその自動車は、彼の見ている前で急に速度を上げ、猛スピードでこちらへ突っ込んできた。

「ウワッ⁉︎」

間一髪、横に飛んで避けたおかげで、何とか撥ねられることだけは免れた。

だが、その瞬間に、彼は見てしまった。

 

 

その車を運転していたのは。

A先輩だったのだ。

 

 

なぜ先輩は自分を轢こうとしたのか。

先輩はいったいどこへ行っていたのか。

 

わからないことばかりだったが、一つだけ、わかったことがあった。

 

先に述べたように、A先輩の家は遠くにある。

部屋を訪ねてきた時からずっと、(今日はどうやって来たんだろう?)と思っていたが、何のことはない。車で来ていたのだ。

そして、その車をどこかこの近くに停めていて、さっき一瞬姿が見えなくなった時、それを取りに行っていたのだ。

 

「イテテ……」

横っ飛びをした際の痛みに呻きつつ上半身を起こし、Kさんは十字路の奥、先輩の車が走っていった方へと目を向けた。

まっすぐな道路の奥に、赤い光点が二つ見える。

先輩の車、そのバックライトだろう。

その光点が、一瞬フッと見えなくなり、続いて白く眩しい光が現れた。フロントライトだ。

(……Uターンした!)

そう思った次の瞬間、再び先輩の車はKさんの方へ走り始めた。

(ウワッ! あの人、いったい何を考えてんだ!)

そうして、安全な場所まで逃げようと身体の向きを変えた瞬間。Kさんは見てしまった。

 

 

団地の踊り場にいた、何体もの人影。

それが、自分の方へ向かって一斉に走ってきた。

 

 

団地のあちこちから人影が飛び出してきて、先輩の車と同じくらいの勢いで向かってくる。

「……ウワアアァァッ!」

恐怖と驚愕で頭の中がグチャグチャになり、悲鳴を上げながらKさんは死に物狂いで逃げ出した。

 

 

そうして、何とかKさんは人通りの多い大通りまで辿り着いた。

肩で息をしながら背後を見ると、遠くに先輩の車のライトが見えた。

どうやら、あの公園の前あたりで停車しているらしい。さすがに大通りまでは追っては来れなかったようだ。

そして、車と共に追ってきたあの無数の人影は、もうどこにも見えなくなっていた。

「何だよこれ、何だよこれ……」

全くわけがわからない。恐怖に震えながら、Kさんは急いで家に帰った。

 

その晩、Kさんの携帯電話にはA先輩からの着信が何度もあったが、当然、絶対に取らないようにしたそうだ。

 

 

翌日。

大学に顔を出したものの、昨夜のことを思うと怖くて仕方ない。どこかでA先輩と遭遇したら、今度はどんなことになるかわかったものではない。

そこでKさんは、昨夜の出来事については伏せて、共通の知人にA先輩について訊ねてみた。

 

知人が言うには。

伝聞なので詳細はわからないが、A先輩は職場でトラブルを起こし、仕事を辞めた。

というか、辞めさせられたらしい。

それを聞いて連絡を取ろうとしているのだが、全く連絡が取れないのだという。

「お前は、何か知ってる?」

知人から逆にそう訊ねられたが、Kさんは何も言うことが出来なかった。

 

その後、A先輩がどうなったのかは、誰も知らない。

 

 

それからしばらく経って。

友人に付き合って、Kさんは当たると評判の占い師のところに行くことになった。

 

その際。

あの晩の出来事について、占い師に訊いてみたそうだ。

 

「……そういうことがあって。まあ、先輩は病んでたのかもしれないけど。わかんないのは、団地にいた影が一斉にこっちに走ってきたことなんですよ。あれは、いったい何だったんでしょう?」

Kさんの話を聞き、しばらく考えてから占い師は言った。

「う〜ん、こういう言い方は変かもしれないけど。たぶん、それはねえ……」

 

 

「……『かぶりつき』で見たかったんじゃないの?」

 

 

「……『かぶりつき』?」

「……たぶん、だけど。そいつらは人が事故で死ぬところを『かぶりつき』で、間近で見たかった、ってことなんじゃないかな」

占い師のその言葉に、Kさんは心底ゾッとしたそうだ。

 

 

 

某大学オカルトサークルのメンバーがKさんからこの話を取材したのは、その体験から十年ほど経った後だった。

(※『忌魅恐序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

メンバーがKさんからの情報を元に現地を調査したところ。

団地や事故についての詳細はわからなかったが、その場所は、当時はまだ存在していたそうである。

 

 

そんな地区が、北九州のどこかにあるらしい。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話Xスペシャル』(2021年2月24日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/669122947

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:55:00くらいから)

禍話Twitter(X)公式アカウント

https://twitter.com/magabanasi

禍話wiki

https://wikiwiki.jp/magabanasi/

見出しの画像はこちらから使用させていただきました

https://www.photo-ac.com/main/detail/30243877&title=%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E3%81%AE%E5%9B%A3%E5%9C%B0

禍話リライト 忌魅恐『開かずになった自習室の話』

f:id:venal666:20240603164549j:image

提供者である鈴木さん(仮名、女性)

彼女が、某大学の院生だった頃の話。

 

 

大学院生ともなると、論文執筆の際に参照する書籍の量が膨大になる。

それらを持って大学と自宅を行き来するのも、かなりの重労働である。

それ故、ほとんどの大学でそうであるように、鈴木さんは学部から割り振られた自分の部屋、研究室に、書籍や資料を置いていた。

 

 

鈴木さんの通う大学は、学部生と院生で使用する建物が分かれていた。

院生用の棟は、表向きは夜間は閉鎖されることになっているが、実際は個々人に入り口の鍵が渡されており、二十四時間、出入りが可能となっていた。

また、名目上は休憩室となっているものの、横になるスペースやタオルケットなどが用意された仮眠室もあり、研究に没頭しがちな真面目な院生にとってはありがたい環境となっていた。

 

鈴木さんもまた真面目な院生だったため、それらをありがたく感じていた。

が、不満がないわけでもなかった。

 

この大学では、個人用の研究室にはパソコンが設置されていないため、調べ物等の際には共用のパソコンのある自習室へ行かなくてはならない。

自習室自体も決して広くはないため、あまり大量の資料を持ち込むことができない。

 

つまり。

必要な資料があれば、その都度、自習室と研究室を行き来しなくてはならないわけだ。

 

他と比べれば些細なことだ、とも言えるが。

至れり尽くせりの環境下で学問に励む鈴木さんにとって、その煩わしさが唯一の不満であった。

 

とはいえ。

それなりに歴史のある大学である。

まだまだIT化に対応しきれていない、と考えれば。その当時としては、仕方のないことと言えるだろう。

 

(……まあ、それくらいの不自由はしょうがないか)

 

そう思い、鈴木さんは毎日、院の研究に勤しんでいた。

 

 

──そんな、ある日のことだった。

 

その日。

鈴木さんは、自習室で作業をしていた。

ようやく作業が一段落つき、疲れた両目に手を当て、そして大きく伸びをした。

 

そうして凝り固まった身体をほぐそうと、左右に身体を捻った時。

 

視界に入ったことで。

今まで気がつかなかった『あること』に、初めて気づいた。

 

 

自習室の隅の壁。

そこだけが、何か違和感がある。

 

 

パーテーションで急遽、壁を作り。

そうやって仕切ってあるような。

そんな、何やら不自然な感じがする。

 

 

(……なんだろう?)

しょっちゅう利用しているが、この部屋にそんなものがあるとは今まで気づかなかった。

そこで、ちょうど一息つこうと考えていたこともあり、確認してみようと鈴木さんは部屋の隅へ近づいていった。

 

近くで見てみると、やはりそれは建物本来の壁ではない。仕切り、パーテーションだった。

天井や床との間にほとんど隙間がなく、ドアや窓の類もないので、その向こう側に何があるか、覗くことはできない。

動かそうとすれば、できないこともないだろうが。下手に仕切りを動かして、それが原因で後々注意を受けることになっても、それはそれで馬鹿らしい話だ。

そう思い、触れないことにした。

 

……ただ。

そうして仕切られている、区画の広さを考えると。

仕切りの内側には、この部屋の他のものと同様に、パソコンとデスクが、少なくとも一セットはあるのだろう。

鈴木さんは、何となくそう思った。

 

(なんで私、こんなこと調べてるんだろう。無駄だなあ……)

 

そのように感じ。

その時はそれ以上の詮索はせず、作業を終え、彼女は自習室を後にした。

「……ま、いいか」

 

 

──それからしばらくした、ある日のこと。

自習室での作業中、数個隣のパソコンを使っていた他学科の院生が困っているのを、鈴木さんは見かけた。

たまたまそれが対処できるものだったので、彼女が助けてやった。

 

それがきっかけで。

鈴木さんから見て一年先輩に当たる、その男子学生(仮にBとする)

彼と、休憩中に会話を交わしたり、互いにお菓子や飲み物を差し入れたり、そのくらいに仲良くなった。

 

 

 

──その日も、鈴木さんは自習室で作業をしていた。

数個隣の席では、Bも同じく自分の作業をしている。

その内に、この辺で一息つこうか、という空気になった。

「あ。俺、自販機行ってくるけど、何か要る?」

「あ、じゃあ……」

 

そうして、Bに買ってきてもらった缶ジュースを飲みながら休憩している時。

ふと、自習室の隅のパーテーションのことを思い出し、鈴木さんはBに訊いてみることにした。

 

「そういえば。奥のアレ、何なんですかね?」

 

一年先輩なのだから、もしかしたらBが何か知っているかもしれないと思ったわけだ。

鈴木さんの質問に、Bは缶コーヒーを飲みながら、冗談めかして答えた。

 

 

「……ああ、アレ。アレねぇ。

『開かず』

なんだよ」

 

 

「……『開かず』?  開かずって、何ですか?」

Bの言葉の意味がわからず、鈴木さんが再度質問する。

 

「……いや、ほら。『開かずの間』みたいなもんだよ、言ってみれば」

「ん? どういうことですか?」

よくわからない様子の鈴木さんに、Bは詳しいことを教えてくれた。

 

 

「……いや、そのね。大学院ってさ。社会人で来る人がいるじゃない」

 

「……ああ。そうですね。いらっしゃいますね」

 

「うん。例えば、結構いい歳になってから、子供が大学生とかになって。それで時間が出来た人が大学に来る、みたいなこともあるじゃん。そういう年代の人が、学び直し、ってことで来ることもあるわけじゃん」

 

「あー、ありますねえ」

 

「……つまり。以前、そういう人が来たんだよ。

俺も、その人と一緒の授業を何度か受けたことがあるんだけどさ。

……こう言っちゃ悪いけど。頭でっかち、って言うのかなあ。自分で『こうだ!』って決めたら、もうそこから動かない人なのよ。

教授とかまで行って地位が固まったら、それでもいいのかもしれないけど。つまり、自分の研究分野の勉強とか、情報の整理とか、全然できてないわけだよね。

まあ、そういう人が来ることって、大学って結構あるんだよねえ……」

 

「……まあ、そうですよねえ」

鈴木さんの、そんな言葉に対し。

Bは陰鬱な表情で頷き、話を続ける。

 

「……そういう人ってだ、ってさ。担当教授もわかってるわけだからさ。

修士論文くらいなら、学内で通るから。いい気持ちでサッサと卒業してもらおうって、そう思ったわけだよ。

大学はそれで一つ仕事が終わるし、本人は修士論文が通って、お互い満足してウィンウィン、みたいになるわけだけど……。

……その人、博士課程まで行こうとしたらしくてさ」

 

「ああ、博士となるとそうはいきませんね。博士課程だと外部の審査も入るから、いい加減な人だとあげられませんもんね」

 

「……そうなんだよ。

で、修士論文はそういう風に通ったんだけどね。外部の人を入れて博士課程の審査、ってなると、そうはいかなくなっちゃって。

教授が直接注意するのもアレだし、ってことでゼミの人に代わりに指摘してもらったんだけど。全然効果がなくてね。

元々『こうだ!』って決めたら、もう話を聞かない人だからさ。

論文の内容が完全に間違ってるから直してこいって、そう言われても、『言われたことを私なりに咀嚼して直してきました』とか言ってね。

『いや、自分なりに咀嚼するなよ!』って話でさ。もう、全然直ってないんだよ。

で、教授も。『これじゃ外部の人に見せられないよ』ってなって。

それで、その人。その年は卒業できなかったんだよ。論文浪人みたいな形になっちゃってね」

 

 

「……それで、その人。どんどんおかしくなっていったんだ」

 

フッと息を吐いてから、Bは話を続ける。

 

 

「……ほら、この自習室ってさ。どの席を使ってもいいわけじゃない?

そりゃあ、自然と毎回、同じ席を選ぶってことはあるけど。絶対にその席が自分のものだ、ってことはないわけだよ。時期によって、使う人が増えたり入れ替わったり、ってのもあるし。

 

……だけど、その人。一つの席を完全に占領しちゃってね。

ここってさ、スペースが狭いから、あんまり資料とか持ち込めないじゃない?

 

なのに、その人。

一つの席に陣取って、大量の資料を持ち込んで、そのパソコンに勝手に付箋まで貼るようになっちゃってね。

 

……俺も、一度気になってさ。

その付箋に何を書いてんだろうって、そう思って、見てみたんだよ。

本人は、一生懸命やってたんだろうけどさ。

申し訳ないけど、付箋に書いてある中身を見る限りはさ。

『論文書いてるごっこ』みたいなもんだったよ。全然できてないんだよ。ハッキリ言って、ね。

 

……で、さ。

ある時から『論文書いてるごっこ』じゃなくなっちゃったんだよ。

自分が論文を書けないのは自分のせいじゃない。って。その人、そんな考えになっちゃったんだ。

その頃になると、確か後は論文だけ提出して、っていう感じだったのかな。

だから、例えば前期は休学して後期だけ出席して……、って。

そういう感じでもよかったんだ。

 

……でも、結局。審査は通らなくて。二年目とかになっちゃって。

 

それで、その人。精神がおかしくなっちゃったんだろうね。

その頃の俺たちもさ。ちょっとふざけてたけど、その人のことを『お姉さん』って呼んでてね。『あのお姉さん、なかなか卒業できないねえ』って、そんな風に話してたんだ」

 

神妙な面持ちで話を聞いている鈴木さんに向け、さらにBは話を続ける。

 

「……例えば、さ?

極端な話、論文を出さないまま一旦卒業、ってのも。まあ一応、できるわけじゃん。

そうしたら、何年か経ってから、いくらか払って博士課程の論文だけ審査してもらって、ってのもできるわけじゃん。

……でも、それはできなかったんだろうね。たぶん、周囲に『私はできる!』って。そう言ってたんだろうね」

 

長年、大学にいる自分と、その女性を重ね合わせたのかもしれない。

Bは自嘲するような表情を浮かべ、間を置いて語り始める。

 

 

「……ある時。俺、またそのパソコンに貼られた付箋を見てみたんだよ。

それまでは、例えば『あの本の何ページまで読んだ』みたいなことを書いてたんだけど……。

 

 

『誰かが自分が保存した後に、論文を勝手にいじってる』

 

 

……みたいなことを書いてたんだよ。

そんなの、映画に出てくる凄腕のハッカーみたいなやつしか、できないでしょ? USBとかあるんだから、毎回、書いたものを自宅に持ち帰ってるわけだし。

『私の論文が盗用されてる、盗用しようとしてる連中がいる』とか、確かそんな風に書いてあったかな。

 

(うわぁ……)

って、それ見て、そう思ってさ。

 

その内に、その人、ね。

自分の研究室の扉にも、

『同じ研究分野の◯◯さんと●●さんが私の論文を盗んで使ったことはわかってます』

とか、書いて貼り出すようになっちゃってさ。

 

……ぶっちゃけ、俺も、長く大学にいるからさ?

世間には、そんな論文とかを盗用をする人がいる、ってのは知ってるけど。

でも、そんな風に貼り出したりしてアピールし始めるのは、初めてだったから。どうするのかなあ、って思ってたんだけど、ねえ……」

 

 

そこまで言って、Bが黙り込んでしまった。

当然、その後が気になったため、鈴木さんは話の先を促す。

 

「……え。それで、どうなったんですか?」

 

「……まあ、ね。『あそこまでする』ってことは。だいたい、何となく、わかるでしょ?」

 

そこでBはチラリと、例のパーテーションの方へ、嫌そうに目を向けた。

それから缶コーヒーを少し飲み、一呼吸おいてから口を開いた。

 

 

「……亡くなったんだよ」

 

 

「……え、亡くなったんですか?」

 

「……うん。そういう状況だから。結局、何日も泊まって論文を書くようなことになってね。その結果、そこの『開かず』になってるところで、机に突っ伏して亡くなってた、っていうか……」

 

「ええ……」

 

「ほら、変な栄養ドリンクとかあるじゃん? ああいうのを、バンバン飲んでてさ……」

 

 

──現代でも。エナジードリンクを日常的に飲んでいた人がカフェイン中毒により死亡した事例。それらは多く報告されている。

カフェインとアルコールの同時接種、それが危険なことは今ではよく知られているが、かつては缶酎ハイ並のアルコールが含まれた栄養ドリンクも市販されていた。

そうしたものを、普段から飲み慣れていない人が。

それも心身共に疲弊した状態で、大量に飲めば……。

 

 

「……で、まあ。あそこで机に突っ伏す感じで亡くなってて。学生側も気分悪いし、かと言って大学側もどうしようもないし、だからあんな感じにしてるんだよ」

「そうなんですか……」

 

そこまで話を聞き、話の流れで何となく鈴木さんは質問をした。

「……ちなみに。その人って、専攻は何だったんですか?」

 

 

Bからの答えを聞き、

(訊くんじゃなかった……)

と、彼女は心底後悔した。

 

 

亡くなったその女性の専攻は、鈴木さんと同じ分野だったのだ。

 

 

鈴木さんの顔色が変わったのを見て、心中を察したのだろう。Bが慌ててフォローを入れる。

「あ……。いや、まあ、気にすることはないよ。ちょっと前の話だし」

「ああ、はい……」

その日はもう作業する気になれず、鈴木さんは早々に大学から引き上げた。

 

 

──それから数日後の夜のこと。

例によって鈴木さんは自習室で、遅くまで作業をしていた。

ただ、この日はBはおらず、室内には彼女一人だけだった。

すると……。

 

 

『はあああぁぁぁ〜……』

 

 

「……⁉︎」

突然、ため息のような声が聞こえてきた。

 

 

周囲を見回すが、室内には自分以外、誰もいない。

(きっと、空調の音の聞き間違いだよね……)

そう考えようとするのだが、先日Bから聞かされた話を思い出してしまい、何だか怖くなってきてしまった。

しょうがない。ということで、警備員に見つかると小言を言われるのだが、室内の使っていないスペースまで全部の電灯を点けておくことにした。

しかし……。

 

 

『はあああぁぁぁ〜……』

 

 

(……また聞こえた!)

思わず、ビクッとしてしまった。

だが、そのため息のような音は、定期的に、一定間隔で聞こえてくることに彼女は気づいた。

ということは、やはり空調の音がそんな風に聞こえるだけ、なのかもしれない。

(きっとそうだよね……)

 

 

鈴木さんはそう考えることにしたのだが。

後になって考えてみれば、それが異変の始まりだったのだという。

 

 

──異変は、彼女の自宅でも起き始めた。

鈴木さんは、実家から大学へと通っていた。

忙しい院の生活の中、実家の自室でぐっすり眠るのが何よりの癒しだったのだが、何故か急によく眠れないようになってしまった。

思い当たる節がなく、最初の内はストレスか何かのせいだろうかと思っていたのだが、ある朝、ようやくその理由が判明した。

その日、目覚めた瞬間、夢の内容を覚えていたことからわかったのだが、彼女は毎晩、悪夢にうなされていたのだ。

 

 

──夢の中。

彼女は、大学院の建物の中を、何者かに追われ、逃げ回っていた。

追われているのだから走ればいいのだが、何故か彼女は歩いて逃げようとしている。

そうして逃げながら、

「やめてくださいよ、やめてくださいよ」

そんな風に懇願していた。

 

背後からは、何者かが、

『はあああぁぁぁ〜……』

と、そんな声と共に追ってくる。

 

三階建ての棟内を逃げ回る内、階段を降りて一階へ来た。

一階には出入り口が複数ある。

建物内にいるのだから普通に鍵を開けられるし、そもそも先述したように鍵を渡されているのだから、普通にそこから出られるはずだ。

 

なのに、夢の中の彼女は外に出ようとしない。

出入り口の前を通りかかり、何度も脱出する機会があった。

なのに、その前を素通りしていく。

 

そうして時折、

「やめてくださいよ、やめてくださいよ」

と、背後に向かって懇願している。

 

そして背後からは定期的に、

『はあああぁぁぁ〜……』

という声が聞こえてくる……。

 

鈴木さんが覚えているのは、そんな内容の夢だった。

(何だろう、気持ち悪い。それに、あの声って、自習室で聞こえた空調の音じゃん……)

 

 

毎夜うなされ、寝不足であることから来る体調不良と、夢の内容の気持ち悪さ。

それらでフラフラになりながらも、鈴木さんはその日も大学へ行った。

 

作業のため自習室へ向かうと、途中でBと鉢合わせた。

彼はちょうど自分の作業が一段落して、一旦休憩に出たところだったらしい。

「あ、お疲れー。……って、大丈夫⁉︎」

「……え、何がですか?」

「いや、目の下、すごいクマになってるよ。大丈夫?」

「あー、最近変な夢見てるせいですかねえ」

「えー、ダメだよ? 俺みたいなやつが言うのも何だけど、院が全てじゃないんだから。趣味とか、他の選択肢とか、待っといた方がいいよ?」

「ああ、はい……」

 

そこでフッと思い出し、鈴木さんは自習室の空調について、Bに訊ねてみた。

「……ところで。この部屋の空調、なんかおかしくないですか?」

「……え、空調? 何が?」

「いや、なんか。ため息みたいな音が聞こえません?」

「……ため息⁉︎ ……いや、そんな音しないけど、怖いこと言うなあ……」

Bのその反応が妙に感じられ、どうにも気になったため、鈴木さんはもっと突っ込んで訊いてみることにした。

「……え? 怖いことって、なんですか?」

その問いに表情を曇らせ、Bが答える。

 

 

「……いや、前は話してなかったんだけどさ。

ほら、例の女の人。その人、ため息をつくクセがあったんだ。

最後の方はもう、他人にわざと聞かせるような感じでずっとため息をついててさ。

だから、みんな怖がって、自習室を使わなくなっちゃったんだよ。

それを思い出しちゃってさ……」

 

 

嫌な話を聞かされ、鈴木さんはゾッとした。

 

 

「……じゃ、お疲れ」

「あ、お疲れ様です……」

それからしばらくして、Bは引き上げてしまい、鈴木さんは一人、自習室で作業を開始した。

 

 

──だが。

それから十分もしない内に、突然、猛烈な眠気が襲いかかってきた。

(どうしたんだろう、やっぱり寝不足なのかな?)

そのままパソコンの前でうつらうつらし始めたため、何とか意識を覚醒させようとする。

(あー、ダメだ。ここで眠っちゃ。寝るんなら仮眠室に行かなきゃ……)

しかし、その努力も虚しく、鈴木さんはそのまま眠りに落ちてしまったのだった。

 

 

──そして鈴木さんは夢を見た。

 

気がつくと、どこか暗い部屋にいた。

鈴木さんは、床にへたり込むように座っていた。

 

その目の前に、誰かが立っている。

その相手へ、

「やめてくださいよ、やめてくださいよ」

と、彼女は繰り返し懇願していた。

 

目の前に立つ誰かは、手に刃物を持っていた。

それを振りかざし、鈴木さんに切りつけようとする。

 

だが、その動きは、異様なほどに緩慢だった。

さほど大きな刃物ではないのに。

それが、とても大きくて重いものであるかのように。

ゆっくりと持ち上げ、そして振り下ろす。

 

何となく、やる気のない感じの動きなのだが。

しかし、刃物を振り回していることには違いない。

「やめてくださいよ、やめてくださいよ」

鈴木さんは、両腕で顔を庇いながら懇願し続ける。

しかし相手は、

『うああぁ〜……』

と、不機嫌そうに唸りながら刃物を振り続ける。

 

 

……奇妙なことに。

現実世界では、そんな季節ではないのに。

夢の中の鈴木さんは、冬物の厚手のコートを着ていた。

 

そのおかげで、刃物が身体や腕を掠めても、コートの表面が傷つくくらいで、怪我をするまでには至らない。

だが、コートから出ている手はそうはいかない。

ゆっくり振り下ろされる刃が、時折り、手の甲や掌を掠める。

そしてとうとう手を切りつけられ、怪我をしてしまった。傷口から、血が滲む。

「……イタッ! やめてくださいよ! シャレにならないじゃないですか!」

そう叫び、鈴木さんは相手を睨みつける。

が、そんな彼女に対し、相手はよくわからないことを言う。

 

 

『本気で振り回してるわけじゃないんだから、そんな命に直結するようなことになるわけないじゃない』

 

 

本気であろうがなかろうが、刃物なのだから当たりどころが悪ければ命に関わる事態になりかねない。無茶苦茶な言い分である。

 

 

「やめてくださいよ、やめてくださいよ。なんでなんですか」

 

『そっちが認めないからいけないんでしょ』

 

 

鈴木さんの言葉に聞く耳を持たず、相手は刃物を振り回し続ける。

相手が同じような軌道で刃物を振り続け、鈴木さんも同じような防御姿勢を取り続ける。

そのため、刃は何度も同じ場所を掠めることになる。

その内に、何度も刃が当たったことで、ついに鈴木さんの手から血が流れ始めた。

 

「イタッ! 血が出てるじゃないですか! もうやめてくださいよ!」

 

 

その時。

何故か急に、

(……この人は何を振り回してるんだろう?)

という疑問が、ふと頭に浮かんだ。

 

 

見てみると、相手が持っているのはペーパーナイフである。

 

(え⁉︎ なんで、ペーパーナイフ⁉︎)

 

 

そこで相手の凶器に疑問を抱いたからだろうか。少しだけ冷静になり、相手や周囲を観察する余裕が鈴木さんの内に生じた。

ペーパーナイフを手に襲いかかってきているのは、全く見覚えのない女性だった。

歳の頃は四、五十代くらいだろうか。

 

そして、鈴木さんと中年女性の周りには、パソコンを置いたデスクがたくさん並んでいた。

どうやら、ここは自習室らしい。

つまり、大学の建物の中で、相手はこのような凶行に及んでいるわけだ。

 

「ちょっと! こんな公共の場所で何やってるんですか! 大声出しますよ! 人呼びますよ!」

 

鈴木さんがそう叫んだが、相手はそれを気にする様子もない。

 

『いや、もうそんなこと、どうでもいいから〜……』

 

そうして再び、ペーパーナイフを振り下ろす。

今度はかなり深く切りつけられてしまい、鈴木さんの手に開いた傷口からポタポタと血が滴り落ちた。

 

「イタッ! ちょっと! もうこれ、完全に事件ですよ! 私もう、警察呼びますからね!」

 

傍らにあった自分の鞄に手を伸ばし、携帯電話を取り出そうとして警察へ連絡しようとした。

しかし、やはり女は気にする様子もない。

 

 

『……そっちが認めないからいけないんでしょ』

 

そう呟きながら。

ペーパーナイフを片手に、鈴木さんを見下ろしている。

 

『……そっちが認めないからいけないんでしょ』

 

そうして。

女が、またナイフを振りかざした。

その動きが、今までと違った。

そこから振り下ろすと、確実にナイフが顔面に突き刺さる。

そういう動作だ。

 

「えっ、ちょっと⁉︎ やめてくださいよ!」

 

『……そっちが、認めないからでしょうがッ!』

 

女が、ナイフを振り下ろす。

 

「……ウワアッ!」

 

 

 

──そこで、夢から目覚めた。

目覚めてすぐ、鈴木さんは自分がどこか狭くて暗い場所にいることに気づいた。

 

(えっ、あれっ⁉︎ 自習室にいたはずなのに……)

 

周囲をよく見てみると、確かに彼女の目の前には、パソコンがある。しかし、たった一台だけしか置かれていない。

次の瞬間、彼女は理解した。

 

 

自分は今、パーテーションで仕切られた、開かずの間。

その内側にいる。

 

 

後で知ったのだが、自習室のあのパーテーションには、ちゃんと入り口があったそうだ。

もっとも、施錠はされていなかったらしいのだが。

 

鈴木さんは、そのパーテーションの中に置かれたデスクを前にして、椅子に座っていた。

 

時間が経つにつれて頭がハッキリしてきて、周囲の状況を見る余裕が生まれた。

 

 

そうして周囲を見ると。

目の前、デスクの上のパソコン。

そこに、付箋が何枚も貼り付けられていることに気づいた。

 

 

それは、鈴木さんが普段使っている。

参考書等に貼る用の付箋だった。

 

 

(えっ、私の付箋⁉︎ なんで⁉︎)

よく見れば、付箋には何か書き込まれている。

反射的に、彼女はそれを読もうと顔を近づけた。

 

 

『覗き込んで盗用したことを認めますか、認めませんか』

 

 

付箋には、そう書かれていた。

それも、鈴木さん自身の字で。

 

 

「……ウワッ!」

思わず、モニターから付箋をむしり取り。

鈴木さんは、そのまま無我夢中で外へと飛び出した。

 

 

ちょうどそのタイミングで戻ってきたらしい。

自習室の外に飛び出した鈴木さんは、Bと鉢合わせした。

「……ウワッ! ビックリした!  ……って。えっ、ちょっと! どうしたの⁉︎」

「……えっ? あっ、あの、その。気づいたら奥にいて、奥が、実は、鍵がかかってなくて……」

パニック状態でしどろもどろになりながらも、何があったのか必死に伝えようとする鈴木さん。

だが……。

 

「……いや、そうじゃなくて! 手の、そこ!」

「……えっ?」

 

Bが指差すところを見てみると、鈴木さんの手はパックリと傷が開き、血で真っ赤に濡れていた。

それは、夢の中で女に切りつけられた場所だった。

 

 

……同時に、あることに気づいた。

 

夢の中で、女が持っていたペーパーナイフ。

それは、鈴木さん自身の私物だった。

 

しかし、そのペーパーナイフは大学では使うことがないため、普段は実家の自室に置いてあるはずのものである。

 

(なんで、あの女が私のペーパーナイフを……?)

 

そのように疑問に思う、鈴木さんの視界の隅。

投げ出された彼女の鞄の中に、キラリと光るものが見えた。

 

 

それは、自室に置いてあるはずの、あのペーパーナイフだった。

 

 

「えっ、ちょっと! それ、どこで切っちゃったの⁉︎ これ、病院行かないとマズいやつだよ!」

幸い、大学近くには病院があった。

いつの間にか、かなり時間が過ぎていたが、Bに付き添われて緊急外来へ駆け込んですぐに手当てをしてもらったおかげで、鈴木さんの怪我はまもなく治ったそうだ。

 

 

病院で治療してもらった後。

落ち着いてから、鈴木さんはBに自習室で何が起きたのかを語って聞かせた。

 

「そんなことがあったのか、シャレになんねえな……」

話を聞いて、みるみるBの顔が青ざめていく。

 

「……俺、大学に長くいるからさ。教授とかでも、知ってる人が多いし。ちょっと話してみるわ……」

 

 

──後日。鈴木さんの話を聞いたBが、教授たちに掛け合ってくれたらしい。

 

そのおかげなのだろう。

自習室のパーテーションで仕切られた一角。

その入り口は施錠され、完全に封鎖されることになった。

自習室の一角、ということを考えると、どう考えても不釣り合いな、ひどく頑丈な鍵が掛けられていたらしい。

 

また、その大学では『特定の分野』を研究する院生に対し、問題の自習室の使用を避け、別の棟のパソコン室や自習室を使用するよう通告があった、とのことである。

 

 

──この体験以後、鈴木さんの周囲で変な出来事は起きていない、ということだが。

現場となった大学が、建物の改装工事等を行なっていない限り。

未だにその自習室には、厳重に封鎖され『開かずの間』のようになった一角が存在しているのかもしれない。

 

 

 

──なお。

この話を収集した、某大学のオカルトサークル。

彼らの遺した冊子には、ほとんどの場合。東日本か西日本か。どの地方か、どの県なのか。そうした情報が記されているのだが、この話に関しては、一切が伏せられているのだそうだ。

 

 

……もしかすると。

この話は、彼らの近くで。

つまり、オカルトサークルの身近で起きたことなのではないだろうか?

例えば、同じ地域、県。あるいは、同じ大学で……。

 

 

──何にせよ。

今となっては、確かめようのないことである。

 

 

(※オカルトサークルについては『忌魅恐序章』を参照のこと)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『年越し禍話 忌魅恐 vs 怪談手帖 紅白禍合戦』(2020年12月31日)

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禍話リライト 忌魅恐『地蔵のいる踏切の話』

f:id:venal666:20240512225840j:image

提供者であるAさん(男性)が、とある大学の院生だった頃の話。

 

Aさんの通っていた学部は理系である。

どんな学部でもそうだが、卒業論文を書くために、実験、解析、調査、そこから得られた精密なデータ。それらが必要不可欠となる。

卒論審査というのはそもそも厳しいものだが、こうした学部でのそれは、さらに輪をかけて厳しい。卒論審査が通らず、留年する学生も少なくない。

 

Aさんの年下の友人であるBも、そんな学生だった。

本人は卒論の内容に自信があったようだが、それが通らなかったことで、ずいぶん意気消沈してしまった。

加えて、留年したことで卒業後の就職もダメになり、いわゆる新卒のカードも失ってしまった。

それが彼にとって大きな挫折となった。

正直な話、そこから先は本人のやる気の問題なのだが、完全に意欲を失ってしまったのか、Bは翌年も留年した。

 

そうなると、同級生たちとの交流も次第に少なくなっていく。

同じ学年で無事卒業できた仲間たちは、すでに就職している。当然、社会人一年目でいろいろ忙しい。最初の内こそ、忙しい合間を縫って遊びや飲み会に参加してくれるが、時間が経つにつれ、そういう仲間も減っていく。

 

 

そうして、彼は心を病んでしまった。

 

 

一方その頃、Aさんは院生として忙しい日々を送っていた。

(あいつ、大丈夫か?)

学部生の頃からの付き合いのBが、卒業に失敗してどんどんダメになっていく。その様子を間近で実際に見ていたため、心配して気にかけてはいたのだが、Aさんも自分の研究で手一杯で、時々声をかけたりするのがやっとだった。

そして二年目になり、Bはいよいよ大学にも顔を見せなくなってしまった。

(あら〜……)

 

 

そんなある時、Bの指導を担当する教授から相談を受けた。

「……彼、知り合いとかいないの?」

「いやあ、俺くらいですかねえ。同級生たちも、もうみんな卒業しちゃって仕事も忙しいから、なかなか連絡も取れないし」

かといって、いざ仲間内で集まって、そこで同期から充実した日々の話を聞かされれば、今のBはそれで余計に落ち込んでしまうだろう。

「……だからまあ、難しい話ですよねえ」

「そう、だねえ……」

 

教授とそんな会話をした後、Aさんは考えた。

(……これは、やっぱり俺が話をしにいった方がいいのかなあ)

同じゼミだった頃に何度か遊びにいったことがあるので、Bの住んでいる場所については知っている。最近も、折に触れて様子を見に寄ってはいた。

そういうことを踏まえると、やはりAさんが適任なのだろう。

もっとも、ここしばらくは訪問しても何だかんだと理由をつけて会話を早々に切り上げられ、部屋へ上げてもらえない状況が続き、多少足が離れてはいたのだが。

 

(まあ、無駄足なんだろうなあ……)

そんな風に思いつつ、Aさんは久しぶりにBの部屋を訪ねてみることにした。

 

 

Aさんの予想は外れた。

「……ああ。お久しぶりです」

部屋を訪ねたAさん。その応対に出てきたBは、顔つきも雰囲気も、以前より多少明るくなったような感じがする。

(なんか、雰囲気が変わったな……)

そう思いながら玄関先であれこれ会話をすると、

「今年は、ちゃんと授業に出ようと思うんですよ」

と、照れ臭そうにBが言う。

(ああ。心機一転、がんばろうとしてるんだな)

何があったのか知らないが、とにかく良いことである。Aさんは一安心した。

 

「立ち話も何ですし。どうぞどうぞ」

「ああ、じゃあ……」

そうして室内に招かれた。

「今、お茶でも出しますから。座っててください」

Bの言葉に従い腰を下ろしたAさんは、久しぶりに上がった彼の部屋の中を見回した。

勉強机の上にはパソコンがあり、その横には紙束が山積みになっている。レポートを書くために必要な資料、データなのだろうか。文字や数式がびっしりと書き込まれているのがチラリと見えた。

「お。なんか知らないけど、真面目にやってるんじゃん。ちょっと見てもいい?」

「ああ、いいですよ」

台所でお茶の準備をしながらBがそう言うので、Aさんは書類の中身を見てみることにした。

「へえ〜……」

 

 

「……あれ?」

 

 

それは、どう考えても大学関係のレポートではなかった。

Bの専攻する分野とは一切関係ないと、一目でわかる内容だった。

何について書いてあるのか、それはさっぱりわからないが、日付と共に『どういう服装だったか』というようなことが書いてある。

 

(日付、服装……、何これ? ……ん? 『祠』って書いてあるな。何なんだ?)

 

祠。

自分たちの学部、研究テーマでは、まず出てこない単語だ。

いったいこれは何について書いたものなのだろうか。全くわからなかったため、Aさんは訊ねた。

「……これ、何なの?」

「ああ、あの〜……」

Aさんの質問に、Bは少し言いにくそうな素振りを見せた後に言った。

 

 

「……◯◯踏切。って、知ってます?」

 

 

「……ああ、聞いたことあるわ」

Bが名前を挙げたのは、ここからほど近いところにある、小さな踏切だった。

日頃あまり通ることはないが、Aさんもその名前は聞いたことがあった。

 

 

というのは。

それほど見通しが悪いわけでもないのに、定期的に死亡事故が起こるため、その近辺ではよく知られる踏切だったからである。

 

 

例えば飲み会の席などで、何かの拍子に話題に上るような。

長いこと大学にいると、そういう形で必ず名前を聞く。そういう場所だった。

 

 

しかし、その踏切がどうしたというのだろうか。話が全然見えてこない。

Aさんは再び訊ねた。

「……あの踏切が、どうしたの?」

 

 

「……あそこにねえ。祠が見えることがあるんですよ」

 

 

(変なことを言ったな……)

その答えに、Aさんは違和感を覚えた。

場所的に『慰霊のための祠が置かれている』と、そう表現するのなら、まだ理解できる。

だが、それなら『祠がある』と表現するべきだろう。

そうではなく『見えることがある』というのは、いったいどういうことなのか。

 

「……いや。俺は行ったことないんだけどさ。あそこって、飛び込み自殺とか事故とか多いんでしょ? だから祠がある、ってこと?」

「いや、ないんですよ。普段は」

「あっ。普段……。普段は、ないんだ……」

わけがわからず、反射的に口から出たAさんのその言葉に、Bが答える。

「いや、それがですね? 列車越しに、つまり列車が通過している時に、反対側の道路に立ってると見える、ってことがあるんですよ」

「……なにが?」

 

 

「いや、だから、その。走る列車の間に。

こう、バーッと通過していく、その車両の間に。

祠みたいなのが、パッと見えることがあるんですよ」

 

 

「……え? おまえ、何言ってんの?」

わけがわからず、思わずそう訊ねたAさんへ、

「いや、ホントなんですよ」

そう言ってから、Bが説明を始めた。

 

 

「……いやあ、ね? 俺も最初、見間違いかな? 疲れてんのかな? って。そう思ったんですけど。確実に見えるんですよね」

「……え? つまり、存在しない祠が、列車が通ってる時に見える、ってこと?」

「そうなんですよね。だいたい、夜のことが多いんですけどね。まあ、サッ、と見えるだけなんで。何なんだろう? って思うんですけどね」

「……何かを見間違えただけ、なんじゃないの?」

 

「……いやいや。あのね。

二、三回ですけどね。そこに書いてあるでしょ。

『服装』って。

何かね、誰か手を合わせてるのが見えたんですよ。後ろ姿ですけど。間違いないです。

で、列車が通り過ぎた時には何もないんです。

……俺、何かしらの現象だと思うんですよね。規則性が見出せると思うんですよ」

「……」

 

 

俄かに信じがたい、頭がおかしくなったのではないかと思うようなことを言うB。

玄関先で話した時は持ち直してきているのだと思ったが、やっぱり、こいつは病んでいるのかもしれない。そうAさんは考えた。

 

 

しかし。

大学に戻らなくては、と言うからには彼自身、やはり今のままではダメだという思いはあるのだろう。

そう思いたかった。

だったら、何とかマトモな方へ引き戻さなくてはならない。

Aさんはそう決心した。

 

 

「……いや、まあ、ねえ。そういう不思議な現象があるのかもしれないけども。おまえ、自分のやってる研究があるじゃん。ダメだよ?」

「いやいや、だからね? 今日来てもらって、ちょうどよかったですよ」

「いや、何もよくないよ?」

理解を超えた状況に対し、何とかAさんの絞り出した言葉。

それに対して、Bが言う。

 

 

「……僕の仮説なんですけどね?

この規則性、どうやらパターンがあるんですよ。

今日行ったらね、祠が見えると思うんです。

だからね、ちょうどよかった。いっしょに行きましょう! 今から!」

 

 

「ええ……」

そんなつもりではなかったのに、おかしな話になってきてしまった。

どうしよう。そう思うAさんだったが。

「例えば、もし何にも見えなかったら、僕も『違うのかな?』って判断できますから。それでいいじゃないですか」

Bがそう言うので、

「ああ、まあ、それなら……」

と、結局承諾してしまった。

内心、何もないだろうと思っていた。

行って何も起きなければ、やっぱりおまえは疲れてるんだとBへ言ってやれる。そうすれば、第三者の客観的な意見として、彼も受け入れやすいだろう。

そういうわけで、Aさんは問題の踏切へ行くことになったのであった。

 

 

──夜もかなり更けた頃。AさんはBと合流し、問題の踏切へやってきた。

「……え。でも、こんな遅くに電車なんか通るの? 終電も、もうない時間だけど」

「ああ、貨物列車みたいなのが通るんですよ。それ越しにね、よく見えるんですよね」

「あ、そうなの……」

 

問題の踏切は、車が一台通るのがやっと、というくらいの、かなり小さいものだった。

周囲の街灯が少なくて明かりに乏しく、民家からも離れたところにあるため、この時間になると周辺はかなり暗い。

なるほど。こういう場所なら、人通りの少ない時間帯、早朝や深夜に線路に飛び込もうとすると、簡単にいけてしまうのかもしれない。

(嫌なとこに来ちゃったなあ……)

来たことを後悔しつつ、Aさんは踏切の周りを探索してみた。

やはり、Bの言う祠らしきものはどこにも見当たらない。

「ない、なあ……」

「ないですねえ」

 

 

そうして話していると、突然踏切の警報が鳴り始めた。

「ああ、ほら。終電の後でも、こうやって荷物を乗せた列車が来るんですよ」

「ああ、そうなんだ」

Bが移動し始めた。恐らく、祠が見える側、ちょうどいい場所へ動いているのだろう。そう考え、その後に続いてAさんも踏切の外へ出た。

「あっちですよ。見ててくださいね。あっち側に見えますからね」

「はいはい……」

少し興奮した口ぶりで、踏切のむこう側を指し示しながらBが言う。

Aさんがそれに返事をした時、貨物列車がやって来た。

 

 

……貨物列車というものは。

その特性上、通常の列車より連結された車両数が多いことがほとんどだ。

つまり、通常の列車より、踏切を通過するのに時間がかかる。

 

何台も通過していく貨物車両越しに、踏切の向こう側を見てみるのだが、祠らしきものは全く見当たらなかった。

(何だよこれ、無意味な時間だな……)

Aさんがそう思い始めた時だった。

 

 

「……あれっ?」

 

 

貨物列車の中には時折、貨物を積載していない、下部だけの車両もある。

つまり、貨物が載っていない、その車両が通ると。

その間、向こう側が丸見えになるわけだ。

 

 

車両越しに。

踏切に向かって歩いてくる、男性の姿が見えた。

 

 

通過する車両、踏切の向こうなので距離がある上、周辺が薄暗いため細かいところまではハッキリと見えないが、黒い服を着た中年男性だとわかった。

近づいてくるにつれ、男が胸元に小さな花束を抱いているのが見えた。

幼児が野原で草花を集め、それを束ねたような。

そんな粗雑な感じの花束だった。

 

 

いきなり人が現れたので驚いたが、すぐにAさんは冷静さを取り戻した。

 

(きっと、最近この踏切で事故があったのだ。あの男性はその事故の、恐らく亡くなった人の関係者で。現場に花束を供えに来たのだろう……)

 

Aさんがそのように合理的な解釈を捻り出している隣で、テンションが上がってしまったのだろう。Bは一人、騒いでいた。

Aさんには踏切の向こうの男性以外は何も見えないのだが、Bの言葉から推察すると、どうやら今まさに、例の祠が踏切のむこう側に現れているらしい。

「ほら、ほら! あそこ! 祠、見えませんか⁉︎」

指で指し示しながら興奮気味にBがそう言うものの、やはりAさんにはそれらしいものは見えない。

どうやら踏切のむこう側にいる男性は、Bが祠があると指し示す、その場所へ向かって歩いているらしい。

その場所で、手でも合わせるのだろうか。

Aさんが見ていた限り、そのような印象を受けた。

 

だが、そんなAさんの予想に反して。

男性は、祠があるらしい場所を通り過ぎ、踏切へと向かってくる。

そして、貨物列車が走り抜け、カンカンカンと警報の鳴る踏切の前で、男はただジッと立っている。

自分たちの方へ来るために、踏切が開くのを待っている。

そんな風に思えた。

 

「えっ、話が違うけど⁉︎」

予想外の展開に、Aさんは思わず隣にいるBに叫んだ。

「おまえの主張通りなら、踏切のむこうに祠があって、あの人がそこに花束供えようとしてると思ったんだけど!  あの人、待ってるけど⁉︎ こっち来ちゃうよ⁉︎」

「あ〜……」

Aさんの言葉に、大真面目な顔をしてBが納得したように頷く。

 

 

「……やっぱり。見てる人間が二人になったから。何かしら、乱れたのかもしれないですねえ」

 

 

「……な、何が⁉︎」

「いや、法則というか、何というか」

「ええ……」

Bがそんな怖いことを言うので、Aさんはドン引きしてしまった。

 

そうこうしている内に、とうとう貨物列車が踏切を通り過ぎていってしまった。

警報音が止み、遮断機が上がる。

(うわ、開いちゃった! こっち来るよ!)

男がこちらに来ると思い、Aさんは身構える。

 

 

しかし、踏切のむこうの男は動かない。

花束を抱いたまま、遮断機の上がった踏切の前で立ち尽くしている。

(え、あれ⁉︎ 来ない⁉︎)

よかった。ホッと胸を撫で下ろし、安心して隣を見ると、Bが怪訝な表情を浮かべて前方を見ていた。

 

 

「あれ? 今日の列車、結構長いですねえ」

 

 

「……は?」

「いやあ、今日の列車、えらく長いですね。どういう荷物を運んでんだろ?」

Bの言葉の意味がわからず、Aさんは踏切へ視線を向けた。

間違いなく、列車は通り過ぎていて、遮断機は上がっている。警報音も止まっている。

 

 

それなのに。

Bは、まるで今もまだ列車が目の前を走っているかのように、そんなことを言うのだ。

 

 

自分には見えない、あるいはBにしか見えない列車が走っているのだろうか。

それとも、正常に戻りつつあると思ったのは上辺だけで、やはりBは精神を病んでいて、そのために存在しないものが見えているのか。

いずれにせよ、怖い状況だった。

どうしたらいいのかわからずオロオロするAさんだったが、ふとあることを思い出した。

 

 

踏切のむこう側の男だ。

 

 

見ると、男は相変わらず花束を抱いたまま、踏切の手前に立っていた。

 

ただ、それまでと違う点が一つあった。

視線を動かし、左右をキョロキョロ見ている。

まるで、目の前を通る電車を見ているかのように。Bと同様、まだそこを走る列車が見えているかのように。

(えっ、これ、どういう状況⁉︎ 俺、どうしたらいいの⁉︎)

 

結局、どうしたらいいのかわからないまま、五分ほどAさんはそうして立ち尽くしていたそうだ。

「いや、ホント長いっすねえ。どんな風に連結してんだろ」

その間、すぐ隣でBはそんな風に呟き続けていた。

目の前の現象の異常性に気づいていないかのような、どこか呑気なその口ぶりに、Aさんは言葉にできない不気味さを覚えた。

「……おまえ、本気で言ってんの?」

「いや、本気も何も、通ってるじゃないですか」

耐えかねて訊ねたAさんの言葉に、逆に『この人は何を言ってるんだ』とでも言いたげに、Bがそんな風に答える。

(え〜、なにこの状況……。どうしたらいいの……)

 

 

『ねえ!』

 

 

突然大声で呼びかけられ、Aさんは跳び上がった。

 

 

声の方へ視線をやると。

とっくに遮断機の上がった踏切のむこう側で。

あの男が、花束を抱いたままこちらをジッと見ていた。

 

 

『ねえ!』

 

 

男が再び呼びかける。

間違いなく、その言葉はAさんへ向けられていた。

 

Aさんは思わず返事をしてしまった。

「え⁉︎ は、はい⁉︎ な、何ですか⁉︎」

 

 

『もう、通り過ぎました?』

 

 

(ウワッ! 怖い!)

男のその妙に明るい言い方も怖かったが、隣にいるBはというと、

「う〜ん、長いなあ」

と、男のことが見えていないかのように呟いている。それもまた怖かった。

わけのわからないことだらけで、Aさんの精神はもう耐えきれなくなっていた。男とB、両方から距離をとろうと無意識の内に一歩、後退りをしていた。

その瞬間、男がまた声をかけてきた。

 

 

『まだ列車、通ってますか?』

 

 

「……ウワアッ!」

そこで完全に恐怖が限界に達してしまい、Bをその場に放置したまま、Aさんはその場から逃げ出した。

あまり馴染みのない場所からパニック状態で走り出したため迷子になってしまったが、何とか無事に家まで帰り着けたそうだ。

 

 

しかし、おかしくなってしまったとはいえ、Bを夜道に一人残してきてしまったことは気がかりではあった。

そこでAさんは、翌日の昼間、気分が落ち着いてからBに連絡をしてみた。

メールを送ってみると、すぐに返信があった。どうやらあの後、Bは普通に帰宅したらしい。

が、メールに綴られた内容を見て、

(これはもうダメだ……)

Aさんは確信した。

 

 

『すごい長い列車だなあと思ってたんですけど。遮断機が上がったら、むこう側にいた人はいなくなってましたね。

でも、今日は祠の前で立ち止まらずにこっちに来ようとした。ってことは、ひょっとしたら俺たちがいた後ろにも祠があったのかもしれませんね。

今度、踏切の反対側に行って、いっしょに確かめてみましょう』

 

Aさんはそのメールに、

「俺はちょっと、やめとくよ……」

と返したのだが、それに対するBからの返信はなかった。

 

 

その日以後、Bが大学に顔を見せることはなかった。

それから彼がどうなったのか、それについては誰も知らないそうである。

 

 

一方、Aさんはその体験からずいぶん経った後、大学関係の知人の集まる酒の席で、その時の話をしたそうだ。

「……いやあ。あいつ、完全に頭がおかしくなってたのかもしれないけど、そんなことがあってさ。まあ、近所にそういう変なやつがいたのかもしれないしなあ……」

Aさんが語り終えると、その場の仲間たちが次々に喋り出す。

「あ〜。でも、確かにあそこ。結構人が死ぬよねえ」

「あれだけ死ぬんだから、確かに祠の一つや二つ置いてもいいと思うんだけどねえ」

そんな風に、酒の勢いも手伝って皆がやいのやいの言う中、一人の先輩が重々しく口を開いた。

 

 

「……ああ。でも、地蔵は置かない方がいいと思うな」

 

 

「……え、なんでですか?」

急に意味深なことを言われたため、Aさんはその先輩に、その言葉の意味を訊ねた。

ちなみに、この先輩。大学近くに実家がある、つまりこの近辺が地元だという人である。

「いや、地蔵は置かない方がいいと思うなあ。……ああ。だから祠がないのか。そっかあ……」

そんな風に言って、一人納得したように酒を煽る先輩。

そんな彼に、話の当事者であるAさんや、興味を抱いた仲間たちが質問をする。

「え、なんなんですか? 教えてくださいよ」

すると、先輩は少し考えた後に話し始めた。

 

「うん。ほら、あそこ。結構、人が亡くなるでしょ?」

「いや、それは知ってますけど……」

そう答えるAさんの顔を見て、合点がいったように先輩が言う。

 

 

「……ああ、そっか!

『どういう風に死ぬのか』

それを知らないんだな」

 

 

「え? いや、そりゃあ、線路に飛び込んで死ぬんでしょ?」

先輩の言葉の意味がわからず、Aさんがそう言うと、先輩はポツポツと語り始めた。

 

 

「……いや、まあ。そうなんだけどね?

全部が全部、ってわけじゃないんだよ。俺の聞いた中だと全員がそうなんだ、って話なんだけど。

実際に目撃したやつとか、信頼できるやつとか、警察関係の知り合いから聞いた話を総合するとさ。

あそこで死ぬやつってね。例えば、急に飛び込んだり、とかじゃないんだよ。

あそこ、人通りは少ないけど防犯カメラはあるから、そういうのには残ってるらしいんだけどさ。

列車が来る前から、遮断機が全然上がってる段階から。線路に突っ立ってて、合掌みたいなポーズを取ってるんだって。列車に向かって、片手を立ててね。

 

 

 

そのポーズが、どう見ても。

お地蔵さんみたいに見えるんだよ。

 

 

……で、そのまま轢かれちゃう。みたいなことが結構多くてねえ……」

 

 

急に恐ろしい話をされ、その場の空気が完全に凍りついてしまった。

Aさんを始め、そこにいる皆が固まっている中。その先輩だけが普段通り酒を口に含み、それを飲み下してから呟いた。

「……ああ。だから、あそこはお地蔵さん置かない方がいいんだな。うん、そうだそうだ」

 

(うーわ、聞かなきゃよかった……)

そのように、Aさんは心底後悔したそうだ。

 

 

『忌魅恐』の各話を収集した、某大学オカルトサークルがこの話の取材後、現場の調査を行ったところ。

 

(※『忌魅恐序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

問題の踏切近辺には、そんなことが起きるような曰くや因縁の類、例えばいわゆる『六部殺し』のような話などは、全く見つからなかったそうだ。

 

 

……ただ。

周辺一帯では、その踏切で死亡事故が起きる度。

『また地蔵が出た』

『また地蔵になった』

そのように住民たちの間で囁かれているという、そんな事実を確認できたそうだ。

 

 

オカルトサークルの採話、取材、調査。それから何年も経っているため、現在ではその踏切がどうなっているのか、それを知ることはできない。

恐らく、歩道橋や地下道が作られ、踏切を通らなくてもいいように安全策が講ぜられていることだろう。

 

 

……だが。かつて日本のどこかには、この話のように、通る者が『地蔵』のようになってしまう。

即ち『地蔵のいる踏切』が存在したのである。

 

 

 

Bのように、あるいはそれ以上に心が弱っている者だと。

そんな土地に飲まれ、

『地蔵になってしまう』

……のかもしれない。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』『忌魅恐 最終夜』(2021年5月7日)

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禍話リライト サバゲ地蔵

f:id:venal666:20240414162317j:image

とあるサバゲーグループの話。

 

あちこちの山野や廃墟でサバゲーを楽しんでいたグループだったそうだ。

その時も、彼らは某所の山中にてサバゲーを楽しんでいた。

 

 

二つのチームに分かれ、フィールドである山谷を駆け回る。

その内、一方のチームの形勢が次第に不利になってきた。

 

不利になったチームのリーダーが、メンバーたちに指示を飛ばす。

「よし! 一旦分散して、最初の方に見かけた地蔵さんのあたりで集合しよう!」

その指示に従い、メンバーたちが分散し、移動を始める。

 

 

だが、チーム全員、リーダーの言葉に疑問を抱いていた。

(……お地蔵さんって、なんだ?)

(お地蔵さんがあった、みたいなこと言ってたけど。でも、そんなのなかったよな……)

(絶対、そんなのなかったよなあ……)

 

 

そう思いつつ、全員移動し、適当な場所で集まってまた戦い始めた。

弾がヒットして戦線から脱落した仲間たちが、次々と待機場所にやってくる。

そして彼らは、先程のリーダーの言葉について話し合った。

「さっきさあ。リーダーがお地蔵さんがどうとか言ってたけど。お地蔵さんなんか、あったっけ?」

「……いやあ?」

「無い、よねえ?」

やはり、誰一人として地蔵など見た記憶がなかった。

 

 

結局、彼らのチームは惨敗した。

リーダーも、最終的に弾がヒットしたのだろう。仲間たちの集まっている場所へ顔を出した。

「いやあ、負けちゃったよ。力尽きちゃったよ」

申し訳なさそうに言う彼に、仲間たちが訊ねる。

「いや、力尽きたのはいいんだけどさ? さっき、どこで集合しようって言ってたの? 地蔵ってどこ?」

「え、知らない?」

ゲーム終了後のため、敵チームの面々もそこに集まっていたので彼らにも訊いてみたのだが、やはり地蔵など見ていないと言う。

「え、地蔵なんかねえよ。こんなとこ」

「いや、あったよ」

「じゃあ、見に行ってみよう」

 

そういうわけで、もう日が暮れかけていたが、みんなでその場所を確認しに行くことになった。

 

現場に着き、あたりを調べてみたが、やはり地蔵など、どこにも見当たらない。

「地蔵なんかないじゃん」

「いや、あったんだけどなあ。俺、パッと見た時に……」

そこまで言って、リーダーは急に黙り込んだ。

どうしたのか。そう思いながら仲間たちが怪訝な顔をして見ている中、彼は言葉を続ける。

 

「……あ。ごめん、地蔵じゃねえなあ」

 

何を言っているのか、理解できずにいる仲間たちに向け、彼はこう言った。

 

 

「だって。地蔵があんなカラフルなわけ、ないもんな」

 

 

(えっ……)

全員、絶句した。

 

 

恐らく、彼がそこを見た時。

そこに、子供くらいの背丈で、カラフルな見た目の、

『何か』

がいた、ということなのだろう。

 

そして、それをそのまま認識すると良くないと、彼の本能が、無意識にそう判断した、ということなのだろう。

 

それ故に、そこにいた『何か』を『地蔵』だと、無意識の内に、記憶を改竄したのだろう。

 

リーダーのその言葉を聞き、全員がゾッとした。

そのため、彼らは二度とその土地ではサバゲーをやらなくなったそうだ。

 

 

だから、皆さんも。

知らない土地に出かけて『地蔵』を見かけた時。

それなのに、同行者はそんなものは見ていないと言う時。

用心した方がいいのかもしれない。

 

 

それは、貴方の脳が、無意識に記憶を書き換えているだけで。

実際は『地蔵』に似ているだけの、

『何か』

かもしれないのだから。

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐 最終夜』(2021年5月7日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/681385848

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:24:00くらいから)

題はドントさんが考えられたものを使用しております。

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禍話リライト 忌魅恐『元カノがあきらめてくれない話』

f:id:venal666:20240313210017j:image

某大学のオカルトサークルが取材した当時、サバゲーを趣味としていた社会人、Aさんの話。

 

(※オカルトサークルについては『忌魅恐 序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

 

ある時、仲間内で。

今度はどこでやろうか。どこかいい場所はないか。

と、そんな話をしていたそうだ。

 

サバゲー用の正規のフィールドを使用すればいいのだが、毎回となると料金もバカにならない。

それに、彼らの生活圏の近場ではフィールドもそう多くはない。

すると、同じ場所ばかりでゲームを行うことになり、だんだんマンネリになってくる。

 

それなら、郊外でいい感じの廃墟を探してくれば使用料も浮くし、毎回新鮮な気持ちでプレイできるじゃないかと、そう考えるわけだ。

そんなわけで、Aさんの所属するグループは、サバゲーを楽しむのに適した廃墟を折りに触れて探していたのである。

 

そうして話していると。

「ちょうどいい場所を知っているから、そこはどうだ」

と、仲間の一人が提案してきた。

 

彼が言うには、そこは廃業したラブホテルだという。

市街地から離れた山奥にあるということで、周辺の環境については問題なさそうだし、建物内には崩壊していて危険、という場所もほとんどないようだ。

何よりラブホテルということで、利用客が鉢合わせして気まずくならないよう、内部の構造が入り組んでいるため、隠れる場所や遮蔽物になりそうなものが無数にあるらしい。

それはいい、そこにしよう。

そういう話になり、次の日曜日にAさんを始めとする何人かでその廃墟へ下見に行くことになった。

 

 

「……おいおい。A、大丈夫か?」

「うん……」

日曜日、昼過ぎ。

待ち合わせ場所に現れたAさんがいかにも寝不足そうな様子であったため、仲間たちが心配して声をかけた。

 

実際、その日のAさんは、あまりよく眠れていなかった。

もっとも、前日に徹夜で仕事をしていたとか、夜中に金縛りに襲われたとか、そういうわけではない。

ただ単に、その廃墟に行くのが楽しみで眠れなかっただけである。

久しぶりの休日に、自分の趣味に思う存分時間を費やすことができる。それが楽しみで仕方なかったのだ。

つまりは、遠足前日の小学生のようなものである。

Aさんがそのように説明すると、仲間たちは呆れたように笑う。

「なんだよお前、仕方ねえなあ。じゃあさ、その廃墟まで一時間くらいかかるみたいだから、着いたら起こすからさ。後ろの席で寝てろよ」

「悪い、そうするわ」

そうして、仲間の運転する車の後部座席で、Aさんは横になって眠ることにした。

 

 

 

──そこで、Aさんは夢を見た。

 

夢の中。

Aさんは小学生低学年の頃に戻っていて、お姉さんと一緒にお風呂に入っていた。

風呂の洗い場で身体を洗うAさんの隣で、お姉さんは湯船に浸かっている。

 

お姉さんの歳の頃は高校生くらい。

長い黒髪を湯船の外へと垂らし、気持ちよさそうに、うっとりと目を閉じている。

弟のAさんから見ても、美しい姉だった。

 

(キレイだなぁ……)

姉の長く美しい黒髪に、Aさんは見惚れていた。

そして身体を洗い終えた彼が、自分も湯船に浸かろうと立ち上がった時、異変に気がついた。

 

 

姉の髪が伸びていた。

 

 

さっき見た時は湯船の縁から少し出ているくらいだったのが、今は浴室の床まで届くほどに伸びている。

だが、夢の中だから、だろうか。

Aさんはそれをおかしいとは思わなかった。

 

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 髪、伸びてるよ!」

 

 

Aさんがそのように呼びかけるが、姉は返事をしない。

相変わらず湯船に浸かり、うっとりと目を閉じている。

 

入浴剤でも入れてあるのだろうか。

浴槽の中は、お湯が白濁している。

そのため、湯船に浸る姉の首から下は、全く見えない。

 

ふと見ると、姉の髪はいつの間にか、また伸びていた。

今では床の上に大きく広がり、その先端が排水溝に届くほどになっていた。

 

「お姉ちゃん! せっかく洗ったのに、髪が汚くなっちゃうよ!」

 

そう呼びかけるが、やはりうっとりしているだけで、姉の返事はない。

 

(仕方ないなあ……)

 

じゃあ、代わりに引き上げてあげよう。

そう思い、排水溝に入り込んだ髪を掴んだ。

その瞬間。

 

 

『……触っちゃダメって言ったでしょ!』

 

 

突然目を開けた姉が、怒ったように、そう言った。

思わず、Aさんが謝る。

「……ごめんなさい!」

 

 

 

 

──そこで、目が覚めた。

「なんだおまえ、急に。ごめんなさいって、どうしたんだ」

「どうしたんだ、急に。子供みたいな声出して」

後部座席でうつらうつらしていたAさんが突然大声を上げたため、運転手や同乗していた友人たちが何事かと思い、声をかけてきた。

「……え? ん、ああ。ごめん、変な夢見てさ」

口元に垂れた涎を拭きながら答えるAさん。彼はそこで夢の内容について詳しく語ることはなかった。

「ビックリしたわ。急に『ごめんなさい』とか言うからさ。おまえ、疲れてんじゃないの? 仕事とかでさ」

「ハハハ……」

 

 

そうこうする内に、目的地であるラブホテルの廃墟へ到着した。

話に聞いていたように、サバゲーをするのに良さそうな感じの、かなり大きな建物である。

「おお、すごい広いな」

「広いだろ? 田舎のラブホテルだからな。バブルの頃に、金がある時に作られたんじゃねえかな。で、立ち行かなくなっちゃって、潰れたんだよ」

「ああ、そうなんだ」

 

そうして、当初の目的である、下見を開始した。

「……とりあえず。中を見てみようか」

ということで、中がどうなっているのか確認するべく、手近な部屋の中へ入ってみたのだが……。

 

「……あれっ⁉︎」

室内を確認し、Aさんは驚いた。

 

 

というのも。

その客室に備え付けられた浴室。

その作りが、さっき夢で見た浴室と、全く同じだったからである。

 

 

「……えっ?」

浴室に入った途端、Aさんが驚いた顔で硬直してしまったため、仲間が声をかけてきた。

「どうしたんだ、おまえ。変な顔して」

「いや……。いや、うん。何でもない、何でもない」

 

その時はそうして何とか取り繕ったのだが。

他も確認してみようということになり、別の客室をいくつか見て回ると。

全ての部屋の浴室が、夢で見たそれと全く同じ作りだった。

ラブホテルなのだから、全ての部屋の設備が同じであっても不思議ではない。

だが、先刻見た夢の内容との奇妙な一致に、Aさんだけは嫌な感覚を覚えていた。

 

 

そして。

Aさんは、そこで思い出した。

 

 

(……自分には、姉なんかいない)

 

 

Aさんには、姉などいなかった。

それどころか、親族や友人にも、今までの交際相手にも、好きな女優にも。

夢に現れた女性に、少しでも似ているような相手は、これまでに存在しなかった。

 

当然、夢で見た、あの浴室も。

実家や今暮らしている部屋のそれとは、少しも似ていなかった。

 

 

(……では、なぜ自分は、車の中であんな夢を見たのか。

なぜ、あの女性を姉だと、あるいはそれに近い関係の相手と思ったのか……)

 

 

目覚めた時、仲間に夢の内容について話さなかったこともあり。

Aさんはその時に感じた違和感、気持ち悪さを誰にも打ち明けることのできないまま、廃墟内を探索する仲間たちの後をついていくことしかできなかった。

 

(……いったい、あれは誰だったんだ。あの夢は何だったんだ)

そう思うAさんをよそに、廃墟内の探索、確認は進んでいく。

 

その内に、

「この廃墟さ、地下にも部屋があるみたいだぜ。ちょっと見に行ってみようや」

仲間がそう言い出したので、地下を見に行く流れになった。

「いいねえ、地下だとちょっと豪華な部屋がありそうだしな」

(いや、よくないよ……)

Aさんは地下に行くのは嫌だったが、仲間たちには夢の話をしていなかった。だから、自分だけ行かないというのも変な話だったし、そもそもここに残って一人だけにされるのはもっと嫌だった。

結局、仲間たちと一緒に地下へ降りることにした。

他の仲間が言ったように、地下にも客室があったため、その中を見てみることになった。

さっきまでのことを考えるとその部屋の浴室を覗いてみようという気にはなれず、そっちは仲間に任せ、Aさんは別の場所を探索することにした。

 

 

……すると。

「風呂は同じ作りなんだな……、ウワッ!」

浴室を見にいった仲間が、急に大声をあげた。

何事かと思い、他の仲間と共に浴室へ向かうAさん。

「おい、どうしたんだよ。変な声出して」

「これ、不法投棄だ! 不法投棄!」

「……不法投棄?」

その言葉の意味がわからず、全員が浴室の中を見た。

 

 

浴室に設置されたバスタブ。

その中に、中身の詰まった黒いゴミ袋がいくつも詰め込まれていた。

「……なんだこりゃ」

仲間たちは首を捻っているが、Aさんだけはその様子に何か気味の悪いものを感じていた。

 

 

ゴミ袋の積み上げられた、その形が。

夢の中で湯船に浸かっていた『お姉さん』の姿、体勢とそっくりで。

車内で見たあの夢のことが、頭に浮かんでしまったからだ。

 

 

硬直しているAさんをよそに、仲間たちはバスタブの中のゴミ袋を調べ始めた。
「何だこれ」
「ここだけだよな? こんなゴミ袋あるの」
「あれ? でもこれ、新しいな」

一番上に積まれた袋に触れてみた仲間によると。
その感触は、古びて劣化したビニールのそれではなく、ほぼ新品のようだという。
さらに他の仲間が、その袋を持ち上げてみて言う。
「これ、軽いなあ。何が入ってるんですかね?」
よせばいいのに、そいつはゴミ袋の口を開けて中を覗き込んだ。
そして、
「……ウワッ!」
声を上げ、ゴミ袋を取り落とした。
「どうした⁉︎」
Aさんたちが訊ねると、そいつが震え声で言う。

 

 

「……髪の毛が入ってますよ!」

 

 

「……え⁉︎」
「何すか、これ! 切った髪の毛、いっぱい入ってる! 」
そこに積んであるもの全てがそうなのかはわからないが、彼の開けたゴミ袋には髪の毛がパンパンに詰まっていた。


「……人間の髪の毛だよ、これ!」
気持ちが悪いので、すぐに袋の口を閉じ、積んであった元の場所に戻した。
「え、何これ? 美容室とかのゴミ?」
「いや、美容室だったら普通に捨てられるだろ」
「でも、このゴミ袋、五個ぐらいあるけど。え、全部髪の毛、ってこと⁉︎」
「ヤバいよ。だって、他の所に無かったってことは、わざわざ地下のこの部屋まで持ってきた奴がいるってことでしょ。それも気持ち悪いよ」


そうやってゴミ袋についてああだこうだと話す内、この廃墟でサバゲーをするのはやめよう、という話になった。
「そうだな。不法投棄だもんな。ヤバいやつがいるかもしれないんなら、やめといた方がいいな」
今回の下見に来ているのはAさんを始めとして全員男性だが、いつも一緒にプレイしているメンバーには女性もいた。
彼女たちが、もしゴミ袋を持ってきた相手と遭遇してしまったら。そう考えると、やはりやめるべきなのだろう。


結局、この廃墟でのサバゲーは中止、という結論になり、自分たちも早く引き上げよう、ということになった。全員、地下の部屋を出て上階へ移動する。
「……でもさあ。ここ、途中まですごくいい感じだったのにな」
「でも、アレはダメだよ」
「ダメだよなあ」
そうやって一階まで上がってくると……。

 

 

誰かが、何かブツブツと呟きながら前方、廃墟の入り口からこちらへやって来る。
そんな声と、物音が聞こえてきた。

 

 

「……えっ、なになになに⁉︎」

「誰か来る!」

「おい、こっちだ!」

地下からの階段を上ってすぐのところに部屋があったので、Aさんたちは急いでそこへ駆け込み身を潜めた。

「えっ、なになに? 何か言ってる⁉︎」

相手に見つからないよう隠れながら聞き耳を立てると、だんだんと近づいてきていることもあり、相手が何と呟いているのかわかった。

 

 

『……ナツミがあんなにしつこいとは思わなかったんだよな〜』

 

 

(何か言ってる……)

声の具合から、相手はAさんたちより年上、中年の男性だと思われた。

 

 

『ナツミがあんなにしつこいとは思わなかったんだよな〜』

 

 

そう繰り返す呟きの合間に、何やらガサガサという音が聞こえる。全員、その音の正体が何なのか、即座に理解した。

(ゴミ袋の音だ……)

 

相手は途切れ途切れに、ブツブツ呟きながら歩いてくる。

 

 

『なんかな〜。別にお金借りてたわけでもないしさ〜。ちゃんと別れたと思ってたんだけどな〜』

 

 

『ナツミがあんなにしつこいとは思わなかったんだよな〜』

 

 

『でも、髪のきれいな女だったなあ……』

 

 

『でもなあ。ちゃんと、ちゃんとキッパリ別れたと思ったんだけどな〜。むこうも、わかった、これから別々の人生を歩む、みたいな話、したのにな〜』

 

 

呟く声とガサガサという音がだんだん近づいてきて、ついにAさんたちの隠れている部屋の入り口の手前まで来た。

その音から、地下室にゴミ袋を捨てている犯人はこいつだと全員確信したが、行動や呟く内容から考えると完全に狂人である。絶対に見つかってはいけない、Aさんはそう感じていた。

だが、どこにでも無鉄砲なやつはいるものだ。相手のいる廊下と比べ、自分たちの隠れる部屋の方が圧倒的に暗いことから、絶対にわからないだろうと考え、一人が隠れ場所から顔を出して相手の姿を見ようとしたのだ。

音と声から察するに、そいつが顔を出した時、相手はちょうど部屋の入り口の前を通り過ぎていくところだったらしい。

 

 

Aさんたちが止めるのを無視して、そいつは顔を出し。

そして、

「うわあああ……」

低くうめき、膝から崩れ落ちた。

 

 

「……危ない危ない!」

ゴミや瓦礫の散乱する場所ということもあり、Aさんともう一人で慌ててそいつを抱き止め、急いで隠れ場所に引き摺り込んだ。

「うぅわぁ〜……」

よほどショッキングなものを見てしまったらしい。見てしまった仲間は、見たことを後悔しているかのような声を漏らしている。

そうしている内に声と音が階段を下っていったようだったので、もう大丈夫だろうと考え、Aさんたちはそいつに何を見たのか訊ねてみた。

「え、なになに? 今、声と音が通り過ぎて下に降りていったけど、何?」

 

 

「長〜い髪の男が、手になんか、子供用の小っちゃいハサミ持って、それで自分の髪を切りながら歩いてた……」

 

 

「う〜わ……」

「え、どういうこと⁉︎」

「いや、わかんない。わかんないけど、あれは普通の精神じゃない……。片方は裸足だったし、もう片方はほとんど裸足みたいなボロボロの靴だったし……」

「ヤバいヤバい。もう、逃げよう逃げよう!」

全員その言葉に同意し、物音を立てないように静かに、そして可能な限り急いで廃墟から脱出した。

 

そうして廃墟から脱出したのだが、外に出られて安心したのだろうか、仲間の一人が不意に言った。

「え、でもさ、でもさ。ここって結構な山奥だろ? そいつ、ここまでどうやって来たんだろうな?」

「いや、知らねえよ。近くにでも住んでんじゃねえの? 知らねえけど、世捨て人みたいな生活しててさ」

「いや〜、もうヤダよ〜。俺、そいつ、見ちゃったよ〜」

そんな風に話しながら、自分たちの乗ってきた車の所まで戻ってきた。

 

 

自分たちの車の隣に、知らない車が停まっていた。

 

 

「……ウワッ!」

「え、あいつ、車で来たの⁉︎」

「ヤベえじゃん! 気づかれてるじゃん! 俺らがいるの、わかってるじゃん!」

「ヤベえ、ヤベえ! 早く乗れ、早く乗れ!」

 

全員、急いで車に飛び乗った。

運転席、助手席、後部座席。全てのドアを叩きつけるように閉め、全員が乗ってドアを閉めたのを確認してから、運転手がエンジンをかける。

そうして車を出そうとしたところで、運転役の仲間は、気になったので隣の車を見てしまったらしい。

 

「……ウワアッ!」

 

「えっ、なになになに⁉︎」

突然、運転役が叫び声を上げたので、Aさんたちは驚き、どうしたのかと訊ねた。

 

 

「ひ、ひと! 人、乗ってる! 人が乗ってる!」

 

 

その言葉に、反射的に、Aさんたちが隣の車を見ると。

 

 

助手席に、人が座っていた。

 

 

顔つきから、恐らく女性であると。

そう思われた。

 

『恐らく』というのは。

その女の頭髪が、ほとんど坊主頭に近いくらいに短く切られていたからである。

そんな女性が、隣の車の助手席に座り、その顔に笑みを浮かべ、こちらを見ていた。

 

 

その女にただ怯えるだけの仲間たちに対し。

Aさんだけは『あること』を思い出し、仲間たち以上に恐怖していた。

 

 

髪型こそ違うが。

隣の車にいるのは、間違いなく、夢の中で見た『お姉さん』だったのだ。

 

 

だが、そのことを知っているのは『夢』を見たAさんだけである。

他の仲間たちは、単に『隣の車に突然現れた不気味な女』に対して恐怖していた。

 

 

恐怖に固まるAさんたちの見ている前で、女がゆっくりと動いた。

両の掌で輪っかを作り、それを自分の口元へ当てる。

登山に来た人が山彦をするために叫ぶ、あの仕草である。

 

 

そして、女が。

嬉しそうな顔のまま、叫んだ。

 

 

「……ウワアアアッ!」

こちらの車も、むこうの車も、窓が閉まっていたが。

全員、女が叫んだ内容がハッキリと聞き取れてしまった。

その瞬間、運転手が猛スピードで車を発進させていた……。

 

 

……その体験以来。

Aさんたちのサバゲーグループは、例え幾ら費用が嵩もうとも、正規のフィールドでしかプレイしないようになったそうである。

 

 

……Aさん曰く。

女は両手を口に当て、嬉しそうに笑ったまま、次のようなことを叫んだそうである。

 

 

 

『あの人ねェェ! 記憶がグチャグチャになってるのォォッ!』

 

 

 

──なお、運転手役の仲間が後で語ったところによると。

隣に停まっていた車は、ほぼ廃車のような状態で、どうやってここまで走ってきたのかわからないような有様だった、という。

 

 

「……生きてるやつか死んでるやつかわからないけど、間違いなくマトモなやつじゃない。この世のものじゃない。そう思って、逃げてきたんですよ。

……そんなことがあったから、もう正規のフィールドでしか遊べませんよね。廃墟でなんか、もうできませんよ」

 

取材時。

Aさんは、そう語ったという。

 

 

……幸い。

この話をAさんから例のオカルトサークルが取材したのは、今から二十年ほど前のことである。

取材当時。既にその廃墟は取り壊されていたそうだ。

 

 

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話X 第六夜×忌魅恐』(2020年11月28日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/653652669

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(1:37:00くらいから)

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禍話リライト 忌魅恐『あの先生に関して覚えていること』

f:id:venal666:20240215095305j:image

 

Aさんという女性の、小学校の頃の体験。


ある年のこと。
Aさんのクラスの担任教師が、変な時期に、突然別の人に変わったそうだ。


普通、担任が変わる時期といえば、概ね、学年が上がって新学期になった時だ。

しかし、その先生は、夏休み前の中途半端なタイミングで、Aさんのクラスへやって来た。


もっとも、前任の先生は若い女性だったため、
(おめでたか何かで、急に休むことになったのかな?)
と、その時のAさんはさほど疑問には思わなかったそうだ。

新しくやって来た担任も、若い女性だった。
最初に教室に姿を見せた時、朝の会の時間を使い、彼女はAさんたち生徒に自己紹介をした。
黒板に自分の名前を書き、
『キクチ』
と、そう名乗ると。
軽い自己紹介の後、キクチ先生は話を始めた。

 

──その話の内容が変だったのだと、Aさんは言う。

普通、新任の先生がそういう場で話すことといえば。
『自分もこの学校の卒業生だ』とか。
『この辺が地元で、学校の近くに住んでいる』とか。
そんな、学校生活には多少は関係あるが、当たり障りのない、そんな内容だろう。
それも、適当なところで切り上げ、通常の授業に移るもののはずだ。

実際、キクチ先生も、
『自分もこの学校の卒業生で……』
という内容から話し始めたのだが。


それが、どんな流れでそうなったのか。
学校生活と全く関係ない。キクチ先生の子供時代の思い出話が、急に始まったのだという。


「……あなたたちくらいの歳の頃にね」
というので、小学生の頃の話なのだろう。
ある日、キクチ先生は家で食器を割ってしまい、それで母親からひどく怒られた。


そして、
『いいと言うまで出てくるな!』
と言われ、押し入れに閉じ込められたのだという。


彼女の閉じ込められた押入れは、普段家の中で物置として使っている、日中でも薄暗い部屋の、さらに奥にあった。
そのため、母親が戸を閉めると、押し入れの中は完全な真っ暗闇となった。


生まれて初めて『本当の暗闇』というものを体験し、彼女はパニックになった。

一筋の光さえ入らない完全な闇の中、押し入れの中の空間を把握することさえできず、暗闇と自分の体が同化していくのではないかとさえ感じた。
怖くて仕方がなく、今すぐ外に飛び出したかったが、まだ小さかった彼女には母親の言いつけを破ることなどできなかった。
彼女は閉所恐怖症ではなかったが、それより単純で純粋な恐怖により、パニック状態はどんどん深まっていく。
狭くて蒸し暑い押し入れの暗闇の中、呼吸も次第に苦しくなっていく。
そんな状態が何分続いただろうか。
急に、ふっと楽になった。

 

──キクチ先生の話は、そこで突然終わった。
唐突に話を打ち切ると、
「じゃ、今日からよろしくお願いします」
と挨拶をし、朝の会を終了させた。


あまりに急な話の打ち切り方に、Aさんは違和感を覚えた。
もしここが中学校や高校なら、
『……いや、そこで終わるんかい!』
と、お調子者の男子が、そんなツッコミを入れそうな展開だ。
しかし、周りを見ると、まるでそれが当然のことのように、皆シンと静まり返っていた。
周囲のその態度にも、Aさんは違和感を覚えた。


朝の会が終わるとすぐに、Aさんは仲の良い女の子にキクチ先生の話を妙に思わなかったかと、そう訊いてみることにした。

「ねえねえ。キクチ先生ってさ、ちょっと変わってるよね?」
「……え、なにが?」

Aさんの言葉に、彼女はキョトンとした顔で返事をする。
彼女はこのクラスの委員長なのだが、その役を務めるだけあって真面目な性格をしていた。

それだけに、そういうものなのだと割り切っているのかもしれない。
そう思い、Aさんは話を続けた。
「いや、だってさ。普通あそこで話終わらせないじゃん。ふっと楽になった後、どうなったんだろうね」


そう言った瞬間、委員長の表情が変わった。
今までにそんな目を向けられたことなどあっただろうかという、そんな怖い目付きで、Aさんをキッと睨みつけた。
(……えっ、なんで睨まれてんの⁉︎)
困惑するAさんに、委員長が諭すように言う。


「……Aちゃん。ダメだよ? Aちゃんさ、なんで人の触れられたくないとこ、突っつくの? それ、良くないよ」


それだけ言って、委員長は離れていった。
(えっ、えっ? 私、何か悪いことしたの?)
小学生だから難しいことはわからないが、委員長のような真面目な人や経験豊富な大人なら、キクチ先生のさっきの話からそういう部分を読み取って気遣えるものなのかもしれない。そういうことなのだろうか。
だとしたら、自分はデリカシーに欠けた悪いことをしてしまったのかもしれない。そう思い、Aさんは反省した。


……だが、授業を受けている内に、Aさんの心中に再び違和感が沸き起こってきた。
確かに、自分が委員長にした話はデリカシーに欠けていたのかもしれない。
だとしても、キクチ先生の話が中途半端なところで終わったのは間違いない。誰もあの話を変だと思わなかったのだろうか。
それとも、自分ではわからないが、あの話を変だと思う、そんな自分の方が変なのだろうか?
疑問が次々に浮かび、頭の中がグチャグチャになっていく。


そこで、別のクラスメイトにも訊いてみることにした。
二限目と三限目の間の通常より長い休み時間、いわゆる中休み。
大半の小学生、特に男子はそういう休み時間には球技等に興じるため、外へ出ていくものだ。
Aさんのクラスの男子たちもそうだった。チャイムがなると同時に、はしゃぎながら教室から飛び出していく。


それなのに、一人だけ残っている男子がいた。
クラスのガキ大将的存在のBである。
普段なら先頭を切って飛び出していくはずなのだが、何故かその日の彼は教室に残り、一人でボーッとしていた。


そんなBの姿を見つけたAさんは、委員長とは真逆のタイプの彼なら自分の抱いた違和感を理解してくれるかもしれないと考えて話しかけた。


「……ねえねえ。B」
「ん、なに? どしたの?」
「いや、キクチ先生のことなんだけどさ」
「ああ、ハイハイ。結構美人な先生だよな」
「いや、そういうことじゃないんだけど。ほら、最初になんか話してたじゃん?」
「ああ、最初にね」
「うん。ほら、押し入れの中に閉じ込められてさ。でもあれって……」

 

『変じゃなかった?』
Aさんがそう言おうとするより、先だった。


「……おまえって、そういうとこあるよな」


「えっ?」
「おまえさ、そういうズカズカ入っちゃうとこあるよな。おまえ、そういうの気をつけた方がいいよ」
彼もまた、それだけ言って離れていってしまった。
その言い方は、委員長の時の非難するようなそれとは違い、こちらを心配するような親身なものだった。
「えっ、ああ、うん。ありがとう……」
Aさんは離れていくBの背へ向かってそう言うのがやっとだった。


(えっ、やっぱり私がおかしいのかな?)
自分の席に戻り、Aさんは一人思い悩んだ。
委員長とガキ大将、クラスで一番真面目な生徒とヤンチャな生徒に訊いてみて、両方から同じような反応があった。
ということは、キクチ先生の話を変だと感じ、皆に訊いて回っている自分の方がおかしい、間違っている、ということになるのではないか。
(……もう、あんまりこの話はしないでおこう)
いろいろ考えた末にそんな結論に達し、Aさんはその日、学校にいる間はキクチ先生の話について触れないようにした。


とはいえ、先生の話を聞いて変だと感じたことは事実である。その話題を出さないようにした分、頭の中が疑問と違和感でグチャグチャになっていく。
結局、Aさんは一日中キクチ先生の話について悩み続けていた。その日の授業が終わって下校する際も、一人で歩きながら首を捻り、ウンウン唸り、考え続けていた。


と、そんな時。
後ろから急に声をかけられた。
誰だろうと振り返ると、隣のクラスの友達である。
難しい顔をしているAさんを見かけ、何かあったのかと心配になったらしい。
「どうしたの? ウンウン唸って。お腹でも痛いの?」
Aさんからすれば、渡りに船というやつである。

というわけで、その友人に今朝の出来事について話して聞かせた。

「いや、実は今朝、こういうことがあって……」
「……えっ? なんでそこで話が終わっちゃうの? おかしいじゃん。オチがないじゃん」
「……そう、だよねえ!」
「いや、普通その後、何か続きがあるじゃん。結局、その話は何が言いたかったの?」
「そうそう、そうだよね。そう思うよね。……私、おかしくないよね?」
「いやいや、普通そう思うって。何その話」
「……ね! そうだよね!」

思いがけず別のクラスの友達からの同意が得られたことで、Aさんは自信を取り戻した。
委員長とガキ大将はキクチ先生の話に違和感を抱かなかったようだが、あの話を変だと感じるのは自分だけじゃなかった。少なくとも自分だけがおかしいわけじゃないんだ。
そう思うと、いくらか心が晴れたような気持ちになった。


帰宅したAさんは、一歳下の妹にもキクチ先生の話をしてみた。
「……はあ? 何、その話。その後、先生はどうなったの?」
「……そうだよねえ、おかしいよねえ」
隣のクラスの友人と同じ反応が妹からも得られたことで、
(やっぱり自分がおかしいんじゃないんだ)
と、Aさんは安心した。


「……ああ、そうそう、お姉ちゃん。今日、お父さんもお母さんも帰りが遅いんだって。冷蔵庫にご飯入ってるから先に食べといて、って」
「あ、そうなの。わかった。じゃあ、お姉ちゃんはお米炊いとくね」
妹からそう伝えられ、分担して家事をしていると、リビングの電話が鳴った。

両親からだろうか。
そう思って電話を見てみると、見覚えのない番号が表示されている。
だが、市外局番を見るとフリーダイヤルではない。
恐らく、同じ市内の固定電話からかけられたものだろう。
両親への大切な連絡なら、ちゃんと取り継がなくてはいけない。そう考え、Aさんは受話器を取った。

相手は、Aさんと同じクラスの男子だった。
普段あまり話すことのない相手である。クラス内の連絡網でもAさんへ連絡する役ではないのだが、きっとその番号を見て電話をかけてきたのだろう。

「……もしもし、◯◯だけど」
「ああ、私だけど。どうしたの?」
「……今日さ。先生が朝、なんか話してたじゃん?」
「……うん、話してたね」
「あれさ、おかしいよね? オチがなかったよね? ふっと楽になったで終わっちゃって、その後何もなくて、おかしいよね?」
「……うん! おかしいおかしい!」

思いがけず自分の抱いた違和感に同意してくれる相手が、それも同じクラスの仲間が現れたことで、思わずAさんは声が上ずってしまった。
相手側も、Aさんが同意してくれたことに安心したのか、興奮したように捲し立てる。

「そうだよね、そうだよね! いや、俺さあ。おかしいと思って、あの後で周りの奴らに聞いてみたんだけどさ、ほとんどの奴が『何言ってんだ』とか『それ以上触れるな』みたいなこと言ってくるんだよ。気持ち悪いなあって思ってさ。
……でも、そうだよね! おかしいよね!
よかったあ、俺だけじゃなくって。こうなったら普段全然話したことないやつに訊いてみよう、って思ってさ。それで電話したんだよ! よかった、ホントありがとう!」
「いやいや、こっちこそ。実は私も気になっててさ。そうだよね、おかしいよね……」
「な、おかしいよな……。あ、急にごめんな。じゃあ、また明日!」
「うん、また明日……」

そしてAさんは通話を終えた。
先生の話についておかしいと思ったのが自分だけではなかったのだとわかってホッとしていると、誰からの電話だったのかと妹が訊ねてきた。
「同じクラスの男の子からだよ。やっぱり先生の話、おかしいよねって話してたんだ。……でも、なんで他の子たちはおかしいって思わなかったのかな?」
「う〜ん、みんなあんまり他の人に興味ないんじゃない?」
「そういうもんなのかなあ……」

 

──それから数時間後。午後八時過ぎ。
夕飯を食べ終え、後は風呂に入って寝るだけだ。先に風呂に入った妹が出てくるのを待っていると、母親から電話があった。帰るのがもう少し遅れるので先に寝ていなさい、とのことだった。
風呂から出て来た妹にその旨を告げ、Aさんも風呂に入った。
湯船に浸かっていると、また電話が鳴っているのが聞こえてきた。また母親か、それとも父親だろうか。電話の音はしばらく聞こえていたが、その内に止まった。どうやら妹が電話を取ったらしい。
Aさんが風呂から上がると、妹が声をかけてきた。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんのクラスの●●さんって人から電話があったよ」
「え、●●さん?」
クラスの連絡網で、Aさんへ連絡する役の女子である。
ということは、何か大切な連絡だろうか。
妹が言うには、相手はAさんが入浴中だと聞くと後でかけ直すと告げて通話を切ってしまったという。それならば、少しすればまた電話がかかってくるだろう。
(じゃ、ちょっと待ってるか……)
風呂上がりでまだ少し濡れている髪を乾かしながら、Aさんは電話を待つことにした。
(でも、こんな時間に何の連絡だろう? 台風やインフルエンザの時期でもないし……)
その内に、また電話が鳴った。受話器を取り、Aさんが話す。
「もしもし、Aですけど」

 

「……全部、おまえのせいだからな」

 

相手は他に何も言わず、たった一言、それだけ言って通話を切ってしまった。
その声は、間違いなく自分に連絡網を回す役のクラスメイトのものだった。表示された電話番号も、間違いなくその子の家のものだ。
だが、どういう意味なのか、何の意図があってそんな電話をかけてきたのか、それが全くわからなかった。
理解不能な内容の電話に困惑するAさん。そんな彼女を見て不審に思ったのか、怪訝な顔をして妹が訊ねる。
「お姉ちゃん? 何の電話だったの?」
困惑しつつもAさんが電話の内容を伝えると、妹も困惑した表情になり、そして少し間を置いてから言った。
「……かけ直してみたら?」
言われてみれば確かにそうだ。間違いなくクラスメイトが自宅から電話をかけてきたのだから、かけ直してさっきの言葉の意味を問い正せばいい。それが一番手っ取り早いわけだ。
ということで、Aさんはそのクラスメイトに電話をしてみることにした。


電話をかけると、わずか数コールで通話がつながった。
さっきの電話の内容を考えると、電話をかけても無視されるのではないかと思っていたため、これはAさんからすると少し意外だった。
しかし、受話器の向こうから聞こえてくる、クラスメイトの家の様子がおかしいことにAさんはすぐに気づいた。何やら慌てているような、バタバタという騒がしい物音が聞こえる。

電話を取ったのは、クラスメイトの兄だった。
彼はAさんが妹のクラスメイトとわかると、半分パニックに陥ったような声で訊ねてきた。


「今、妹がこんな時間なのに『学校に行かなくちゃ』って言って、家出て行っちゃって! 何か知ってますか⁉︎」


「えっ……。いや、ちょっと、ごめんなさい。わかんないです……」
Aさんはそう言うことしかできなかった。
受話器を置いたAさんの顔面は蒼白になっていた。それを見て心配した妹が何があったのか訊ねてきた。話を聞き、妹も顔面が蒼白になった。
「え、なんで? だって、もう夜の十時前だよ⁉︎ その人、なんで学校なんか行ったの⁉︎」
「そう、だよねえ……」

 

──後で聞いた話によると。
Aさんに電話をかけてきたクラスメイトを始め、そのクラスの生徒のおよそ半数が、その時間、学校へと押し寄せていたそうである。


当時、その学校は、夜間は警備員が校内を巡回していたそうだ。
当然、生徒たちがやってくる音を聞いた警備員は彼らが校内へ侵入しないよう押し留めようとしたのだが、悪いことに、その晩の警備を担当していたのは彼一人だった。


次々やってきて校舎に入ろうとする生徒を止めようとするが、子供が相手とはいえ、一人では押し寄せる大人数を抑えられなかった。
すぐに押し切られ、侵入を許してしまった。


さすがにこれは一人ではどうしようもないと応援を呼んだのだが、警備会社から応援が駆けつけた時には、校内に侵入したはずの子どもたちの姿はどこにも見えなくなっていた。
これは大変だ、ということになり、教師や職員、警察も駆けつける大騒ぎになった。


そうして全員で校内を捜索したところ、まもなく子供たちは見つかった。
侵入した生徒たちは、それぞれがロッカーや掃除用具入れ、階段下の倉庫といった密閉できる狭い場所に、身体を丸めて入り込んでいた。
無事に発見できた後、調べてみると全員が同じクラスの生徒だったため、ではここにいない残りの生徒は無事なのかと確かめることになり、それはもう大変な騒ぎとなったそうだ。

 

調べてみたところ、いくつかの事実が判明した。

まず、学校に押し寄せた子供たち。
彼らは学校に来たという、その記憶自体がなかった。
気づいた時にはいつの間にか学校にいて、教師たちに保護されていた。なぜ自分たちが夜の学校にいて、そんな狭い場所に身体を押し込んでいたのか、さっぱりわからないという。
何人かは保護された際、その狭い空間の中で何やらブツブツ呟いていたらしいが、その呟いていた内容も覚えていなかったそうだ。
また、彼らは同様に『キクチ先生が話した内容』についても、全く覚えていなかったという。


逆に、学校へ来なかった生徒たち。
後に確認したところ、彼らは皆、Aさんと同じようにキクチ先生の話を聞いた際に『おかしい』と感じていた生徒だった。
ただ、皆が皆、Aさんや彼女に電話してきた生徒のように、他の人に訊ねようと考えるわけではない。
世の中にはそういうオチのない話もあるのかと納得し、口に出さなかった。そんな生徒も少なからずいたそうだ。


そして、キクチ先生である。
担当していたクラスの生徒たちが、そのようなことになったわけだ。当然、その日着任したばかりとはいえ、間違いなくそのクラスの担任なのだから、彼女に連絡を入れなくては、ということになる。


だが、全く連絡がつかない。


不審に思った同僚の教師たちがキクチ先生の住所を訪ねたところ、既にそこはもぬけの殻となっていたそうだ。

 

……その日以来、キクチ先生は行方不明となっているそうだ。

(なお、通常この手の話において行方不明になった人は身の回りの品を残したまま消えることが多いが、彼女の住居からは財布や携帯電話など、その手の貴重品は全て持ち去られていたそうである)


──その後、Aさんのクラスは何事もなく、元の平穏さを取り戻した。
だが、結局、キクチ先生(あるいはキクチ先生と名乗る人物)が何者だったのか、どんな意図があってあの話をしたのか。
それらについては全くわからないままだという。

 

Aさんが言うには。
当時のことを思い出すと気持ち悪くて仕方がないため、そのクラスでの同窓会は一度も開催されていないそうである。

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐NEO 第一夜』(2020年6月30日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/625554757

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:24:00くらいから)

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