仮置き場

ツイキャス『禍話』で語られた怖い話の文章化を主にやらせていただいてます

リライトの使用に関するお知らせ(追記有り)

※23年1月末追記
禍話公式より以下の通り、声明が出されました。

 

禍話 二次創作に関して

https://note.com/nightmares4/n/na4b584da01fe

 

今後、特に大きな変更のない限り、私のリライトに関してはこちらの内容に準拠するものとします。

 


なお、朗読等で私のリライトを使用したいという方は、以下の文章をお読み頂ければ、と思います。
(この辺については、以前と変わりはありません)

 

 

 

平素よりご覧いただき誠にありがとうございます。

また、近頃はYouTubeでも自分のリライトを元に朗読していただくことも多く、あまりこういうことに慣れていないこともあって本当に恐縮しております。

 

一方、先日。自分をはじめ他の皆さんのリライトが無断転載されるという問題も発生しました。

これを受けて、

『朗読をしたいのだけど、リライトを使用してもよろしいですか』

というお問合せも受ける様になりました。

ですので、一度そのあたりについて明記しておこうと思います。

 

 

●基本的には『禍話』の理念に基づき、私のリライトについては朗読、ゆっくり等、ご自由にお使いいただいて大丈夫です。

 


(22年9月末追記。とはいえ、全く連絡無しに使われるよりは、一言連絡を頂いた方がこちらとしても気分が良いというか覚えが良いというか、そういう面も確かにあります。
そもそもの問題、その一つである完全に『無断転載』のブログ。あんな感じにやられると、流石にこちらもムッとしますので…)

 

●その際。

①『出典が禍話であること』『私のリライトを元にしていること』この二つを明記する。

 

②『元ページ(禍話の該当する放送回、私のリライト記事など)へのリンク』を貼る。

 

この点を守っていただきたく思います。

 

具体的には、例えばYouTubeなら動画の概要欄にその旨を記載していただく。そういう形でしょうか。

 

私のリライトは最後に、その話の放送回、禍話wiki、舎弟さんや酢豆腐さんの切り抜き動画へのURLを貼っていますが、それを適宜改変しつつコピペしていただく、というのもいいかもしれません。

また、例えばゲーデルさんなど、既に私のリライトを朗読して下さっている方もおられますが、そうした皆さんの動画を参照していただくのもいいでしょう。

(いつもありがとうございます。楽しみに聞かせていただいております)

 

 

●それと、これは普段から本編を聞いてリライトする際にもしていることですが、発表する媒体に合わせて聴きやすい、読みやすい形にアレンジしていただいても大丈夫です。

ただ、『著しい改変』はご遠慮いただきたいかな、と思います。

(例えば、話の中身が大幅にガラッと変わってしまったり、話の良さや怖さの核となる部分を削ったり、ということです。さすがにそれはないとは思いますが、一応)

 

 

●そして、自分はあくまでリライトを『趣味』としてやっていますので、これでお金を稼ごうという気持ちは毛頭ありません。

ですが、YouTube等の他の媒体についてはよく知らないので、もしかしたらそちらでお金が発生する、ということもあるのかもしれません。

その場合、もしよければ本家である禍話の語り手、かぁなっきさんへAmazonほしい物リストから何か贈ってあげるといいんじゃないかな、と思います。

 

 

 

……今後、何かしら事情が変わったらここまでに書いた内容も変化するかもしれませんが、今のところはこんなところでしょうか。

 

 

つまるところ。

私のリライトに関しては、

『出典をちゃんと表記し、元記事へのURLを貼ってね』

ということであり、

『無断転載。自作発言。本編から逸脱した改変。そういうこと(あるいはそれに類する行為)だけはやめてね』

ということです。

これらを守っていただく限り、基本的に使用をお断りすることはないと思います。

また、何か不明な点などがあれば可能な範囲で対応しますので、その際はnoteの問い合わせ用のページやツイッターなどからご連絡ください。

 

※ただ、上記内容に関してはあくまでも、

 

『私のリライト』

 

についての話ですので、他の書き手の方々のリライトを使用したいと思われた時は、
(ヴェナルとかいうやつがこう言ってたから、それでいいだろ)
などと横着をせず、その都度書き手の方にコンタクトを取って了承を得るようにしてください。
言うまでもないこととは思いますが、念のため。

 

 

……吶喊で書いたということもあり。長々と、グダグダとした内容ですが、『禍話』というコンテンツを心穏やかに楽しむためにも皆様にもお伝えしておかなくてはと思い、リライトをやっている者として、それ以前に一人のリスナーとして書かせていただきました。

よろしくお願いします。

禍話リライト サバゲ地蔵

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とあるサバゲーグループの話。

 

あちこちの山野や廃墟でサバゲーを楽しんでいたグループだったそうだ。

その時も、彼らは某所の山中にてサバゲーを楽しんでいた。

 

 

二つのチームに分かれ、フィールドである山谷を駆け回る。

その内、一方のチームの形勢が次第に不利になってきた。

 

不利になったチームのリーダーが、メンバーたちに指示を飛ばす。

「よし! 一旦分散して、最初の方に見かけた地蔵さんのあたりで集合しよう!」

その指示に従い、メンバーたちが分散し、移動を始める。

 

 

だが、チーム全員、リーダーの言葉に疑問を抱いていた。

(……お地蔵さんって、なんだ?)

(お地蔵さんがあった、みたいなこと言ってたけど。でも、そんなのなかったよな……)

(絶対、そんなのなかったよなあ……)

 

 

そう思いつつ、全員移動し、適当な場所で集まってまた戦い始めた。

弾がヒットして戦線から脱落した仲間たちが、次々と待機場所にやってくる。

そして彼らは、先程のリーダーの言葉について話し合った。

「さっきさあ。リーダーがお地蔵さんがどうとか言ってたけど。お地蔵さんなんか、あったっけ?」

「……いやあ?」

「無い、よねえ?」

やはり、誰一人として地蔵など見た記憶がなかった。

 

 

結局、彼らのチームは惨敗した。

リーダーも、最終的に弾がヒットしたのだろう。仲間たちの集まっている場所へ顔を出した。

「いやあ、負けちゃったよ。力尽きちゃったよ」

申し訳なさそうに言う彼に、仲間たちが訊ねる。

「いや、力尽きたのはいいんだけどさ? さっき、どこで集合しようって言ってたの? 地蔵ってどこ?」

「え、知らない?」

ゲーム終了後のため、敵チームの面々もそこに集まっていたので彼らにも訊いてみたのだが、やはり地蔵など見ていないと言う。

「え、地蔵なんかねえよ。こんなとこ」

「いや、あったよ」

「じゃあ、見に行ってみよう」

 

そういうわけで、もう日が暮れかけていたが、みんなでその場所を確認しに行くことになった。

 

現場に着き、あたりを調べてみたが、やはり地蔵など、どこにも見当たらない。

「地蔵なんかないじゃん」

「いや、あったんだけどなあ。俺、パッと見た時に……」

そこまで言って、リーダーは急に黙り込んだ。

どうしたのか。そう思いながら仲間たちが怪訝な顔をして見ている中、彼は言葉を続ける。

 

「……あ。ごめん、地蔵じゃねえなあ」

 

何を言っているのか、理解できずにいる仲間たちに向け、彼はこう言った。

 

 

「だって。地蔵があんなカラフルなわけ、ないもんな」

 

 

(えっ……)

全員、絶句した。

 

 

恐らく、彼がそこを見た時。

そこに、子供くらいの背丈で、カラフルな見た目の、

『何か』

がいた、ということなのだろう。

 

そして、それをそのまま認識すると良くないと、彼の本能が、無意識にそう判断した、ということなのだろう。

 

それ故に、そこにいた『何か』を『地蔵』だと、無意識の内に、記憶を改竄したのだろう。

 

リーダーのその言葉を聞き、全員がゾッとした。

そのため、彼らは二度とその土地ではサバゲーをやらなくなったそうだ。

 

 

だから、皆さんも。

知らない土地に出かけて『地蔵』を見かけた時。

それなのに、同行者はそんなものは見ていないと言う時。

用心した方がいいのかもしれない。

 

 

それは、貴方の脳が、無意識に記憶を書き換えているだけで。

実際は『地蔵』に似ているだけの、

『何か』

かもしれないのだから。

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐 最終夜』(2021年5月7日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/681385848

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:24:00くらいから)

題はドントさんが考えられたものを使用しております。

禍話Twitter(X)公式アカウント

https://twitter.com/magabanasi

禍話wiki

https://wikiwiki.jp/magabanasi/

見出しの画像はこちらから使用させていただきました

https://www.photo-ac.com/main/detail/22671530&title=%E4%B8%B8%E9%A1%94%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%9C%B0%E8%94%B5%E6%A7%98

 

禍話リライト 忌魅恐『元カノがあきらめてくれない話』

f:id:venal666:20240313210017j:image

某大学のオカルトサークルが取材した当時、サバゲーを趣味としていた社会人、Aさんの話。

 

(※オカルトサークルについては『忌魅恐 序章』を参照)

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

 

ある時、仲間内で。

今度はどこでやろうか。どこかいい場所はないか。

と、そんな話をしていたそうだ。

 

サバゲー用の正規のフィールドを使用すればいいのだが、毎回となると料金もバカにならない。

それに、彼らの生活圏の近場ではフィールドもそう多くはない。

すると、同じ場所ばかりでゲームを行うことになり、だんだんマンネリになってくる。

 

それなら、郊外でいい感じの廃墟を探してくれば使用料も浮くし、毎回新鮮な気持ちでプレイできるじゃないかと、そう考えるわけだ。

そんなわけで、Aさんの所属するグループは、サバゲーを楽しむのに適した廃墟を折りに触れて探していたのである。

 

そうして話していると。

「ちょうどいい場所を知っているから、そこはどうだ」

と、仲間の一人が提案してきた。

 

彼が言うには、そこは廃業したラブホテルだという。

市街地から離れた山奥にあるということで、周辺の環境については問題なさそうだし、建物内には崩壊していて危険、という場所もほとんどないようだ。

何よりラブホテルということで、利用客が鉢合わせして気まずくならないよう、内部の構造が入り組んでいるため、隠れる場所や遮蔽物になりそうなものが無数にあるらしい。

それはいい、そこにしよう。

そういう話になり、次の日曜日にAさんを始めとする何人かでその廃墟へ下見に行くことになった。

 

 

「……おいおい。A、大丈夫か?」

「うん……」

日曜日、昼過ぎ。

待ち合わせ場所に現れたAさんがいかにも寝不足そうな様子であったため、仲間たちが心配して声をかけた。

 

実際、その日のAさんは、あまりよく眠れていなかった。

もっとも、前日に徹夜で仕事をしていたとか、夜中に金縛りに襲われたとか、そういうわけではない。

ただ単に、その廃墟に行くのが楽しみで眠れなかっただけである。

久しぶりの休日に、自分の趣味に思う存分時間を費やすことができる。それが楽しみで仕方なかったのだ。

つまりは、遠足前日の小学生のようなものである。

Aさんがそのように説明すると、仲間たちは呆れたように笑う。

「なんだよお前、仕方ねえなあ。じゃあさ、その廃墟まで一時間くらいかかるみたいだから、着いたら起こすからさ。後ろの席で寝てろよ」

「悪い、そうするわ」

そうして、仲間の運転する車の後部座席で、Aさんは横になって眠ることにした。

 

 

 

──そこで、Aさんは夢を見た。

 

夢の中。

Aさんは小学生低学年の頃に戻っていて、お姉さんと一緒にお風呂に入っていた。

風呂の洗い場で身体を洗うAさんの隣で、お姉さんは湯船に浸かっている。

 

お姉さんの歳の頃は高校生くらい。

長い黒髪を湯船の外へと垂らし、気持ちよさそうに、うっとりと目を閉じている。

弟のAさんから見ても、美しい姉だった。

 

(キレイだなぁ……)

姉の長く美しい黒髪に、Aさんは見惚れていた。

そして身体を洗い終えた彼が、自分も湯船に浸かろうと立ち上がった時、異変に気がついた。

 

 

姉の髪が伸びていた。

 

 

さっき見た時は湯船の縁から少し出ているくらいだったのが、今は浴室の床まで届くほどに伸びている。

だが、夢の中だから、だろうか。

Aさんはそれをおかしいとは思わなかった。

 

 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 髪、伸びてるよ!」

 

 

Aさんがそのように呼びかけるが、姉は返事をしない。

相変わらず湯船に浸かり、うっとりと目を閉じている。

 

入浴剤でも入れてあるのだろうか。

浴槽の中は、お湯が白濁している。

そのため、湯船に浸る姉の首から下は、全く見えない。

 

ふと見ると、姉の髪はいつの間にか、また伸びていた。

今では床の上に大きく広がり、その先端が排水溝に届くほどになっていた。

 

「お姉ちゃん! せっかく洗ったのに、髪が汚くなっちゃうよ!」

 

そう呼びかけるが、やはりうっとりしているだけで、姉の返事はない。

 

(仕方ないなあ……)

 

じゃあ、代わりに引き上げてあげよう。

そう思い、排水溝に入り込んだ髪を掴んだ。

その瞬間。

 

 

『……触っちゃダメって言ったでしょ!』

 

 

突然目を開けた姉が、怒ったように、そう言った。

思わず、Aさんが謝る。

「……ごめんなさい!」

 

 

 

 

──そこで、目が覚めた。

「なんだおまえ、急に。ごめんなさいって、どうしたんだ」

「どうしたんだ、急に。子供みたいな声出して」

後部座席でうつらうつらしていたAさんが突然大声を上げたため、運転手や同乗していた友人たちが何事かと思い、声をかけてきた。

「……え? ん、ああ。ごめん、変な夢見てさ」

口元に垂れた涎を拭きながら答えるAさん。彼はそこで夢の内容について詳しく語ることはなかった。

「ビックリしたわ。急に『ごめんなさい』とか言うからさ。おまえ、疲れてんじゃないの? 仕事とかでさ」

「ハハハ……」

 

 

そうこうする内に、目的地であるラブホテルの廃墟へ到着した。

話に聞いていたように、サバゲーをするのに良さそうな感じの、かなり大きな建物である。

「おお、すごい広いな」

「広いだろ? 田舎のラブホテルだからな。バブルの頃に、金がある時に作られたんじゃねえかな。で、立ち行かなくなっちゃって、潰れたんだよ」

「ああ、そうなんだ」

 

そうして、当初の目的である、下見を開始した。

「……とりあえず。中を見てみようか」

ということで、中がどうなっているのか確認するべく、手近な部屋の中へ入ってみたのだが……。

 

「……あれっ⁉︎」

室内を確認し、Aさんは驚いた。

 

 

というのも。

その客室に備え付けられた浴室。

その作りが、さっき夢で見た浴室と、全く同じだったからである。

 

 

「……えっ?」

浴室に入った途端、Aさんが驚いた顔で硬直してしまったため、仲間が声をかけてきた。

「どうしたんだ、おまえ。変な顔して」

「いや……。いや、うん。何でもない、何でもない」

 

その時はそうして何とか取り繕ったのだが。

他も確認してみようということになり、別の客室をいくつか見て回ると。

全ての部屋の浴室が、夢で見たそれと全く同じ作りだった。

ラブホテルなのだから、全ての部屋の設備が同じであっても不思議ではない。

だが、先刻見た夢の内容との奇妙な一致に、Aさんだけは嫌な感覚を覚えていた。

 

 

そして。

Aさんは、そこで思い出した。

 

 

(……自分には、姉なんかいない)

 

 

Aさんには、姉などいなかった。

それどころか、親族や友人にも、今までの交際相手にも、好きな女優にも。

夢に現れた女性に、少しでも似ているような相手は、これまでに存在しなかった。

 

当然、夢で見た、あの浴室も。

実家や今暮らしている部屋のそれとは、少しも似ていなかった。

 

 

(……では、なぜ自分は、車の中であんな夢を見たのか。

なぜ、あの女性を姉だと、あるいはそれに近い関係の相手と思ったのか……)

 

 

目覚めた時、仲間に夢の内容について話さなかったこともあり。

Aさんはその時に感じた違和感、気持ち悪さを誰にも打ち明けることのできないまま、廃墟内を探索する仲間たちの後をついていくことしかできなかった。

 

(……いったい、あれは誰だったんだ。あの夢は何だったんだ)

そう思うAさんをよそに、廃墟内の探索、確認は進んでいく。

 

その内に、

「この廃墟さ、地下にも部屋があるみたいだぜ。ちょっと見に行ってみようや」

仲間がそう言い出したので、地下を見に行く流れになった。

「いいねえ、地下だとちょっと豪華な部屋がありそうだしな」

(いや、よくないよ……)

Aさんは地下に行くのは嫌だったが、仲間たちには夢の話をしていなかった。だから、自分だけ行かないというのも変な話だったし、そもそもここに残って一人だけにされるのはもっと嫌だった。

結局、仲間たちと一緒に地下へ降りることにした。

他の仲間が言ったように、地下にも客室があったため、その中を見てみることになった。

さっきまでのことを考えるとその部屋の浴室を覗いてみようという気にはなれず、そっちは仲間に任せ、Aさんは別の場所を探索することにした。

 

 

……すると。

「風呂は同じ作りなんだな……、ウワッ!」

浴室を見にいった仲間が、急に大声をあげた。

何事かと思い、他の仲間と共に浴室へ向かうAさん。

「おい、どうしたんだよ。変な声出して」

「これ、不法投棄だ! 不法投棄!」

「……不法投棄?」

その言葉の意味がわからず、全員が浴室の中を見た。

 

 

浴室に設置されたバスタブ。

その中に、中身の詰まった黒いゴミ袋がいくつも詰め込まれていた。

「……なんだこりゃ」

仲間たちは首を捻っているが、Aさんだけはその様子に何か気味の悪いものを感じていた。

 

 

ゴミ袋の積み上げられた、その形が。

夢の中で湯船に浸かっていた『お姉さん』の姿、体勢とそっくりで。

車内で見たあの夢のことが、頭に浮かんでしまったからだ。

 

 

硬直しているAさんをよそに、仲間たちはバスタブの中のゴミ袋を調べ始めた。
「何だこれ」
「ここだけだよな? こんなゴミ袋あるの」
「あれ? でもこれ、新しいな」

一番上に積まれた袋に触れてみた仲間によると。
その感触は、古びて劣化したビニールのそれではなく、ほぼ新品のようだという。
さらに他の仲間が、その袋を持ち上げてみて言う。
「これ、軽いなあ。何が入ってるんですかね?」
よせばいいのに、そいつはゴミ袋の口を開けて中を覗き込んだ。
そして、
「……ウワッ!」
声を上げ、ゴミ袋を取り落とした。
「どうした⁉︎」
Aさんたちが訊ねると、そいつが震え声で言う。

 

 

「……髪の毛が入ってますよ!」

 

 

「……え⁉︎」
「何すか、これ! 切った髪の毛、いっぱい入ってる! 」
そこに積んであるもの全てがそうなのかはわからないが、彼の開けたゴミ袋には髪の毛がパンパンに詰まっていた。


「……人間の髪の毛だよ、これ!」
気持ちが悪いので、すぐに袋の口を閉じ、積んであった元の場所に戻した。
「え、何これ? 美容室とかのゴミ?」
「いや、美容室だったら普通に捨てられるだろ」
「でも、このゴミ袋、五個ぐらいあるけど。え、全部髪の毛、ってこと⁉︎」
「ヤバいよ。だって、他の所に無かったってことは、わざわざ地下のこの部屋まで持ってきた奴がいるってことでしょ。それも気持ち悪いよ」


そうやってゴミ袋についてああだこうだと話す内、この廃墟でサバゲーをするのはやめよう、という話になった。
「そうだな。不法投棄だもんな。ヤバいやつがいるかもしれないんなら、やめといた方がいいな」
今回の下見に来ているのはAさんを始めとして全員男性だが、いつも一緒にプレイしているメンバーには女性もいた。
彼女たちが、もしゴミ袋を持ってきた相手と遭遇してしまったら。そう考えると、やはりやめるべきなのだろう。


結局、この廃墟でのサバゲーは中止、という結論になり、自分たちも早く引き上げよう、ということになった。全員、地下の部屋を出て上階へ移動する。
「……でもさあ。ここ、途中まですごくいい感じだったのにな」
「でも、アレはダメだよ」
「ダメだよなあ」
そうやって一階まで上がってくると……。

 

 

誰かが、何かブツブツと呟きながら前方、廃墟の入り口からこちらへやって来る。
そんな声と、物音が聞こえてきた。

 

 

「……えっ、なになになに⁉︎」

「誰か来る!」

「おい、こっちだ!」

地下からの階段を上ってすぐのところに部屋があったので、Aさんたちは急いでそこへ駆け込み身を潜めた。

「えっ、なになに? 何か言ってる⁉︎」

相手に見つからないよう隠れながら聞き耳を立てると、だんだんと近づいてきていることもあり、相手が何と呟いているのかわかった。

 

 

『……ナツミがあんなにしつこいとは思わなかったんだよな〜』

 

 

(何か言ってる……)

声の具合から、相手はAさんたちより年上、中年の男性だと思われた。

 

 

『ナツミがあんなにしつこいとは思わなかったんだよな〜』

 

 

そう繰り返す呟きの合間に、何やらガサガサという音が聞こえる。全員、その音の正体が何なのか、即座に理解した。

(ゴミ袋の音だ……)

 

相手は途切れ途切れに、ブツブツ呟きながら歩いてくる。

 

 

『なんかな〜。別にお金借りてたわけでもないしさ〜。ちゃんと別れたと思ってたんだけどな〜』

 

 

『ナツミがあんなにしつこいとは思わなかったんだよな〜』

 

 

『でも、髪のきれいな女だったなあ……』

 

 

『でもなあ。ちゃんと、ちゃんとキッパリ別れたと思ったんだけどな〜。むこうも、わかった、これから別々の人生を歩む、みたいな話、したのにな〜』

 

 

呟く声とガサガサという音がだんだん近づいてきて、ついにAさんたちの隠れている部屋の入り口の手前まで来た。

その音から、地下室にゴミ袋を捨てている犯人はこいつだと全員確信したが、行動や呟く内容から考えると完全に狂人である。絶対に見つかってはいけない、Aさんはそう感じていた。

だが、どこにでも無鉄砲なやつはいるものだ。相手のいる廊下と比べ、自分たちの隠れる部屋の方が圧倒的に暗いことから、絶対にわからないだろうと考え、一人が隠れ場所から顔を出して相手の姿を見ようとしたのだ。

音と声から察するに、そいつが顔を出した時、相手はちょうど部屋の入り口の前を通り過ぎていくところだったらしい。

 

 

Aさんたちが止めるのを無視して、そいつは顔を出し。

そして、

「うわあああ……」

低くうめき、膝から崩れ落ちた。

 

 

「……危ない危ない!」

ゴミや瓦礫の散乱する場所ということもあり、Aさんともう一人で慌ててそいつを抱き止め、急いで隠れ場所に引き摺り込んだ。

「うぅわぁ〜……」

よほどショッキングなものを見てしまったらしい。見てしまった仲間は、見たことを後悔しているかのような声を漏らしている。

そうしている内に声と音が階段を下っていったようだったので、もう大丈夫だろうと考え、Aさんたちはそいつに何を見たのか訊ねてみた。

「え、なになに? 今、声と音が通り過ぎて下に降りていったけど、何?」

 

 

「長〜い髪の男が、手になんか、子供用の小っちゃいハサミ持って、それで自分の髪を切りながら歩いてた……」

 

 

「う〜わ……」

「え、どういうこと⁉︎」

「いや、わかんない。わかんないけど、あれは普通の精神じゃない……。片方は裸足だったし、もう片方はほとんど裸足みたいなボロボロの靴だったし……」

「ヤバいヤバい。もう、逃げよう逃げよう!」

全員その言葉に同意し、物音を立てないように静かに、そして可能な限り急いで廃墟から脱出した。

 

そうして廃墟から脱出したのだが、外に出られて安心したのだろうか、仲間の一人が不意に言った。

「え、でもさ、でもさ。ここって結構な山奥だろ? そいつ、ここまでどうやって来たんだろうな?」

「いや、知らねえよ。近くにでも住んでんじゃねえの? 知らねえけど、世捨て人みたいな生活しててさ」

「いや〜、もうヤダよ〜。俺、そいつ、見ちゃったよ〜」

そんな風に話しながら、自分たちの乗ってきた車の所まで戻ってきた。

 

 

自分たちの車の隣に、知らない車が停まっていた。

 

 

「……ウワッ!」

「え、あいつ、車で来たの⁉︎」

「ヤベえじゃん! 気づかれてるじゃん! 俺らがいるの、わかってるじゃん!」

「ヤベえ、ヤベえ! 早く乗れ、早く乗れ!」

 

全員、急いで車に飛び乗った。

運転席、助手席、後部座席。全てのドアを叩きつけるように閉め、全員が乗ってドアを閉めたのを確認してから、運転手がエンジンをかける。

そうして車を出そうとしたところで、運転役の仲間は、気になったので隣の車を見てしまったらしい。

 

「……ウワアッ!」

 

「えっ、なになになに⁉︎」

突然、運転役が叫び声を上げたので、Aさんたちは驚き、どうしたのかと訊ねた。

 

 

「ひ、ひと! 人、乗ってる! 人が乗ってる!」

 

 

その言葉に、反射的に、Aさんたちが隣の車を見ると。

 

 

助手席に、人が座っていた。

 

 

顔つきから、恐らく女性であると。

そう思われた。

 

『恐らく』というのは。

その女の頭髪が、ほとんど坊主頭に近いくらいに短く切られていたからである。

そんな女性が、隣の車の助手席に座り、その顔に笑みを浮かべ、こちらを見ていた。

 

 

その女にただ怯えるだけの仲間たちに対し。

Aさんだけは『あること』を思い出し、仲間たち以上に恐怖していた。

 

 

髪型こそ違うが。

隣の車にいるのは、間違いなく、夢の中で見た『お姉さん』だったのだ。

 

 

だが、そのことを知っているのは『夢』を見たAさんだけである。

他の仲間たちは、単に『隣の車に突然現れた不気味な女』に対して恐怖していた。

 

 

恐怖に固まるAさんたちの見ている前で、女がゆっくりと動いた。

両の掌で輪っかを作り、それを自分の口元へ当てる。

登山に来た人が山彦をするために叫ぶ、あの仕草である。

 

 

そして、女が。

嬉しそうな顔のまま、叫んだ。

 

 

「……ウワアアアッ!」

こちらの車も、むこうの車も、窓が閉まっていたが。

全員、女が叫んだ内容がハッキリと聞き取れてしまった。

その瞬間、運転手が猛スピードで車を発進させていた……。

 

 

……その体験以来。

Aさんたちのサバゲーグループは、例え幾ら費用が嵩もうとも、正規のフィールドでしかプレイしないようになったそうである。

 

 

……Aさん曰く。

女は両手を口に当て、嬉しそうに笑ったまま、次のようなことを叫んだそうである。

 

 

 

『あの人ねェェ! 記憶がグチャグチャになってるのォォッ!』

 

 

 

──なお、運転手役の仲間が後で語ったところによると。

隣に停まっていた車は、ほぼ廃車のような状態で、どうやってここまで走ってきたのかわからないような有様だった、という。

 

 

「……生きてるやつか死んでるやつかわからないけど、間違いなくマトモなやつじゃない。この世のものじゃない。そう思って、逃げてきたんですよ。

……そんなことがあったから、もう正規のフィールドでしか遊べませんよね。廃墟でなんか、もうできませんよ」

 

取材時。

Aさんは、そう語ったという。

 

 

……幸い。

この話をAさんから例のオカルトサークルが取材したのは、今から二十年ほど前のことである。

取材当時。既にその廃墟は取り壊されていたそうだ。

 

 

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話X 第六夜×忌魅恐』(2020年11月28日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/653652669

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(1:37:00くらいから)

禍話Twitter(X)公式アカウント

https://twitter.com/magabanasi

禍話wiki

https://wikiwiki.jp/magabanasi/

見出しの画像はこちらから使用させていただきました

https://www.photo-ac.com/main/detail/26517902&title=%E3%81%AF%E3%81%95%E3%81%BF

禍話リライト 忌魅恐『あの先生に関して覚えていること』

f:id:venal666:20240215095305j:image

 

Aさんという女性の、小学校の頃の体験。


ある年のこと。
Aさんのクラスの担任教師が、変な時期に、突然別の人に変わったそうだ。


普通、担任が変わる時期といえば、概ね、学年が上がって新学期になった時だ。

しかし、その先生は、夏休み前の中途半端なタイミングで、Aさんのクラスへやって来た。


もっとも、前任の先生は若い女性だったため、
(おめでたか何かで、急に休むことになったのかな?)
と、その時のAさんはさほど疑問には思わなかったそうだ。

新しくやって来た担任も、若い女性だった。
最初に教室に姿を見せた時、朝の会の時間を使い、彼女はAさんたち生徒に自己紹介をした。
黒板に自分の名前を書き、
『キクチ』
と、そう名乗ると。
軽い自己紹介の後、キクチ先生は話を始めた。

 

──その話の内容が変だったのだと、Aさんは言う。

普通、新任の先生がそういう場で話すことといえば。
『自分もこの学校の卒業生だ』とか。
『この辺が地元で、学校の近くに住んでいる』とか。
そんな、学校生活には多少は関係あるが、当たり障りのない、そんな内容だろう。
それも、適当なところで切り上げ、通常の授業に移るもののはずだ。

実際、キクチ先生も、
『自分もこの学校の卒業生で……』
という内容から話し始めたのだが。


それが、どんな流れでそうなったのか。
学校生活と全く関係ない。キクチ先生の子供時代の思い出話が、急に始まったのだという。


「……あなたたちくらいの歳の頃にね」
というので、小学生の頃の話なのだろう。
ある日、キクチ先生は家で食器を割ってしまい、それで母親からひどく怒られた。


そして、
『いいと言うまで出てくるな!』
と言われ、押し入れに閉じ込められたのだという。


彼女の閉じ込められた押入れは、普段家の中で物置として使っている、日中でも薄暗い部屋の、さらに奥にあった。
そのため、母親が戸を閉めると、押し入れの中は完全な真っ暗闇となった。


生まれて初めて『本当の暗闇』というものを体験し、彼女はパニックになった。

一筋の光さえ入らない完全な闇の中、押し入れの中の空間を把握することさえできず、暗闇と自分の体が同化していくのではないかとさえ感じた。
怖くて仕方がなく、今すぐ外に飛び出したかったが、まだ小さかった彼女には母親の言いつけを破ることなどできなかった。
彼女は閉所恐怖症ではなかったが、それより単純で純粋な恐怖により、パニック状態はどんどん深まっていく。
狭くて蒸し暑い押し入れの暗闇の中、呼吸も次第に苦しくなっていく。
そんな状態が何分続いただろうか。
急に、ふっと楽になった。

 

──キクチ先生の話は、そこで突然終わった。
唐突に話を打ち切ると、
「じゃ、今日からよろしくお願いします」
と挨拶をし、朝の会を終了させた。


あまりに急な話の打ち切り方に、Aさんは違和感を覚えた。
もしここが中学校や高校なら、
『……いや、そこで終わるんかい!』
と、お調子者の男子が、そんなツッコミを入れそうな展開だ。
しかし、周りを見ると、まるでそれが当然のことのように、皆シンと静まり返っていた。
周囲のその態度にも、Aさんは違和感を覚えた。


朝の会が終わるとすぐに、Aさんは仲の良い女の子にキクチ先生の話を妙に思わなかったかと、そう訊いてみることにした。

「ねえねえ。キクチ先生ってさ、ちょっと変わってるよね?」
「……え、なにが?」

Aさんの言葉に、彼女はキョトンとした顔で返事をする。
彼女はこのクラスの委員長なのだが、その役を務めるだけあって真面目な性格をしていた。

それだけに、そういうものなのだと割り切っているのかもしれない。
そう思い、Aさんは話を続けた。
「いや、だってさ。普通あそこで話終わらせないじゃん。ふっと楽になった後、どうなったんだろうね」


そう言った瞬間、委員長の表情が変わった。
今までにそんな目を向けられたことなどあっただろうかという、そんな怖い目付きで、Aさんをキッと睨みつけた。
(……えっ、なんで睨まれてんの⁉︎)
困惑するAさんに、委員長が諭すように言う。


「……Aちゃん。ダメだよ? Aちゃんさ、なんで人の触れられたくないとこ、突っつくの? それ、良くないよ」


それだけ言って、委員長は離れていった。
(えっ、えっ? 私、何か悪いことしたの?)
小学生だから難しいことはわからないが、委員長のような真面目な人や経験豊富な大人なら、キクチ先生のさっきの話からそういう部分を読み取って気遣えるものなのかもしれない。そういうことなのだろうか。
だとしたら、自分はデリカシーに欠けた悪いことをしてしまったのかもしれない。そう思い、Aさんは反省した。


……だが、授業を受けている内に、Aさんの心中に再び違和感が沸き起こってきた。
確かに、自分が委員長にした話はデリカシーに欠けていたのかもしれない。
だとしても、キクチ先生の話が中途半端なところで終わったのは間違いない。誰もあの話を変だと思わなかったのだろうか。
それとも、自分ではわからないが、あの話を変だと思う、そんな自分の方が変なのだろうか?
疑問が次々に浮かび、頭の中がグチャグチャになっていく。


そこで、別のクラスメイトにも訊いてみることにした。
二限目と三限目の間の通常より長い休み時間、いわゆる中休み。
大半の小学生、特に男子はそういう休み時間には球技等に興じるため、外へ出ていくものだ。
Aさんのクラスの男子たちもそうだった。チャイムがなると同時に、はしゃぎながら教室から飛び出していく。


それなのに、一人だけ残っている男子がいた。
クラスのガキ大将的存在のBである。
普段なら先頭を切って飛び出していくはずなのだが、何故かその日の彼は教室に残り、一人でボーッとしていた。


そんなBの姿を見つけたAさんは、委員長とは真逆のタイプの彼なら自分の抱いた違和感を理解してくれるかもしれないと考えて話しかけた。


「……ねえねえ。B」
「ん、なに? どしたの?」
「いや、キクチ先生のことなんだけどさ」
「ああ、ハイハイ。結構美人な先生だよな」
「いや、そういうことじゃないんだけど。ほら、最初になんか話してたじゃん?」
「ああ、最初にね」
「うん。ほら、押し入れの中に閉じ込められてさ。でもあれって……」

 

『変じゃなかった?』
Aさんがそう言おうとするより、先だった。


「……おまえって、そういうとこあるよな」


「えっ?」
「おまえさ、そういうズカズカ入っちゃうとこあるよな。おまえ、そういうの気をつけた方がいいよ」
彼もまた、それだけ言って離れていってしまった。
その言い方は、委員長の時の非難するようなそれとは違い、こちらを心配するような親身なものだった。
「えっ、ああ、うん。ありがとう……」
Aさんは離れていくBの背へ向かってそう言うのがやっとだった。


(えっ、やっぱり私がおかしいのかな?)
自分の席に戻り、Aさんは一人思い悩んだ。
委員長とガキ大将、クラスで一番真面目な生徒とヤンチャな生徒に訊いてみて、両方から同じような反応があった。
ということは、キクチ先生の話を変だと感じ、皆に訊いて回っている自分の方がおかしい、間違っている、ということになるのではないか。
(……もう、あんまりこの話はしないでおこう)
いろいろ考えた末にそんな結論に達し、Aさんはその日、学校にいる間はキクチ先生の話について触れないようにした。


とはいえ、先生の話を聞いて変だと感じたことは事実である。その話題を出さないようにした分、頭の中が疑問と違和感でグチャグチャになっていく。
結局、Aさんは一日中キクチ先生の話について悩み続けていた。その日の授業が終わって下校する際も、一人で歩きながら首を捻り、ウンウン唸り、考え続けていた。


と、そんな時。
後ろから急に声をかけられた。
誰だろうと振り返ると、隣のクラスの友達である。
難しい顔をしているAさんを見かけ、何かあったのかと心配になったらしい。
「どうしたの? ウンウン唸って。お腹でも痛いの?」
Aさんからすれば、渡りに船というやつである。

というわけで、その友人に今朝の出来事について話して聞かせた。

「いや、実は今朝、こういうことがあって……」
「……えっ? なんでそこで話が終わっちゃうの? おかしいじゃん。オチがないじゃん」
「……そう、だよねえ!」
「いや、普通その後、何か続きがあるじゃん。結局、その話は何が言いたかったの?」
「そうそう、そうだよね。そう思うよね。……私、おかしくないよね?」
「いやいや、普通そう思うって。何その話」
「……ね! そうだよね!」

思いがけず別のクラスの友達からの同意が得られたことで、Aさんは自信を取り戻した。
委員長とガキ大将はキクチ先生の話に違和感を抱かなかったようだが、あの話を変だと感じるのは自分だけじゃなかった。少なくとも自分だけがおかしいわけじゃないんだ。
そう思うと、いくらか心が晴れたような気持ちになった。


帰宅したAさんは、一歳下の妹にもキクチ先生の話をしてみた。
「……はあ? 何、その話。その後、先生はどうなったの?」
「……そうだよねえ、おかしいよねえ」
隣のクラスの友人と同じ反応が妹からも得られたことで、
(やっぱり自分がおかしいんじゃないんだ)
と、Aさんは安心した。


「……ああ、そうそう、お姉ちゃん。今日、お父さんもお母さんも帰りが遅いんだって。冷蔵庫にご飯入ってるから先に食べといて、って」
「あ、そうなの。わかった。じゃあ、お姉ちゃんはお米炊いとくね」
妹からそう伝えられ、分担して家事をしていると、リビングの電話が鳴った。

両親からだろうか。
そう思って電話を見てみると、見覚えのない番号が表示されている。
だが、市外局番を見るとフリーダイヤルではない。
恐らく、同じ市内の固定電話からかけられたものだろう。
両親への大切な連絡なら、ちゃんと取り継がなくてはいけない。そう考え、Aさんは受話器を取った。

相手は、Aさんと同じクラスの男子だった。
普段あまり話すことのない相手である。クラス内の連絡網でもAさんへ連絡する役ではないのだが、きっとその番号を見て電話をかけてきたのだろう。

「……もしもし、◯◯だけど」
「ああ、私だけど。どうしたの?」
「……今日さ。先生が朝、なんか話してたじゃん?」
「……うん、話してたね」
「あれさ、おかしいよね? オチがなかったよね? ふっと楽になったで終わっちゃって、その後何もなくて、おかしいよね?」
「……うん! おかしいおかしい!」

思いがけず自分の抱いた違和感に同意してくれる相手が、それも同じクラスの仲間が現れたことで、思わずAさんは声が上ずってしまった。
相手側も、Aさんが同意してくれたことに安心したのか、興奮したように捲し立てる。

「そうだよね、そうだよね! いや、俺さあ。おかしいと思って、あの後で周りの奴らに聞いてみたんだけどさ、ほとんどの奴が『何言ってんだ』とか『それ以上触れるな』みたいなこと言ってくるんだよ。気持ち悪いなあって思ってさ。
……でも、そうだよね! おかしいよね!
よかったあ、俺だけじゃなくって。こうなったら普段全然話したことないやつに訊いてみよう、って思ってさ。それで電話したんだよ! よかった、ホントありがとう!」
「いやいや、こっちこそ。実は私も気になっててさ。そうだよね、おかしいよね……」
「な、おかしいよな……。あ、急にごめんな。じゃあ、また明日!」
「うん、また明日……」

そしてAさんは通話を終えた。
先生の話についておかしいと思ったのが自分だけではなかったのだとわかってホッとしていると、誰からの電話だったのかと妹が訊ねてきた。
「同じクラスの男の子からだよ。やっぱり先生の話、おかしいよねって話してたんだ。……でも、なんで他の子たちはおかしいって思わなかったのかな?」
「う〜ん、みんなあんまり他の人に興味ないんじゃない?」
「そういうもんなのかなあ……」

 

──それから数時間後。午後八時過ぎ。
夕飯を食べ終え、後は風呂に入って寝るだけだ。先に風呂に入った妹が出てくるのを待っていると、母親から電話があった。帰るのがもう少し遅れるので先に寝ていなさい、とのことだった。
風呂から出て来た妹にその旨を告げ、Aさんも風呂に入った。
湯船に浸かっていると、また電話が鳴っているのが聞こえてきた。また母親か、それとも父親だろうか。電話の音はしばらく聞こえていたが、その内に止まった。どうやら妹が電話を取ったらしい。
Aさんが風呂から上がると、妹が声をかけてきた。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんのクラスの●●さんって人から電話があったよ」
「え、●●さん?」
クラスの連絡網で、Aさんへ連絡する役の女子である。
ということは、何か大切な連絡だろうか。
妹が言うには、相手はAさんが入浴中だと聞くと後でかけ直すと告げて通話を切ってしまったという。それならば、少しすればまた電話がかかってくるだろう。
(じゃ、ちょっと待ってるか……)
風呂上がりでまだ少し濡れている髪を乾かしながら、Aさんは電話を待つことにした。
(でも、こんな時間に何の連絡だろう? 台風やインフルエンザの時期でもないし……)
その内に、また電話が鳴った。受話器を取り、Aさんが話す。
「もしもし、Aですけど」

 

「……全部、おまえのせいだからな」

 

相手は他に何も言わず、たった一言、それだけ言って通話を切ってしまった。
その声は、間違いなく自分に連絡網を回す役のクラスメイトのものだった。表示された電話番号も、間違いなくその子の家のものだ。
だが、どういう意味なのか、何の意図があってそんな電話をかけてきたのか、それが全くわからなかった。
理解不能な内容の電話に困惑するAさん。そんな彼女を見て不審に思ったのか、怪訝な顔をして妹が訊ねる。
「お姉ちゃん? 何の電話だったの?」
困惑しつつもAさんが電話の内容を伝えると、妹も困惑した表情になり、そして少し間を置いてから言った。
「……かけ直してみたら?」
言われてみれば確かにそうだ。間違いなくクラスメイトが自宅から電話をかけてきたのだから、かけ直してさっきの言葉の意味を問い正せばいい。それが一番手っ取り早いわけだ。
ということで、Aさんはそのクラスメイトに電話をしてみることにした。


電話をかけると、わずか数コールで通話がつながった。
さっきの電話の内容を考えると、電話をかけても無視されるのではないかと思っていたため、これはAさんからすると少し意外だった。
しかし、受話器の向こうから聞こえてくる、クラスメイトの家の様子がおかしいことにAさんはすぐに気づいた。何やら慌てているような、バタバタという騒がしい物音が聞こえる。

電話を取ったのは、クラスメイトの兄だった。
彼はAさんが妹のクラスメイトとわかると、半分パニックに陥ったような声で訊ねてきた。


「今、妹がこんな時間なのに『学校に行かなくちゃ』って言って、家出て行っちゃって! 何か知ってますか⁉︎」


「えっ……。いや、ちょっと、ごめんなさい。わかんないです……」
Aさんはそう言うことしかできなかった。
受話器を置いたAさんの顔面は蒼白になっていた。それを見て心配した妹が何があったのか訊ねてきた。話を聞き、妹も顔面が蒼白になった。
「え、なんで? だって、もう夜の十時前だよ⁉︎ その人、なんで学校なんか行ったの⁉︎」
「そう、だよねえ……」

 

──後で聞いた話によると。
Aさんに電話をかけてきたクラスメイトを始め、そのクラスの生徒のおよそ半数が、その時間、学校へと押し寄せていたそうである。


当時、その学校は、夜間は警備員が校内を巡回していたそうだ。
当然、生徒たちがやってくる音を聞いた警備員は彼らが校内へ侵入しないよう押し留めようとしたのだが、悪いことに、その晩の警備を担当していたのは彼一人だった。


次々やってきて校舎に入ろうとする生徒を止めようとするが、子供が相手とはいえ、一人では押し寄せる大人数を抑えられなかった。
すぐに押し切られ、侵入を許してしまった。


さすがにこれは一人ではどうしようもないと応援を呼んだのだが、警備会社から応援が駆けつけた時には、校内に侵入したはずの子どもたちの姿はどこにも見えなくなっていた。
これは大変だ、ということになり、教師や職員、警察も駆けつける大騒ぎになった。


そうして全員で校内を捜索したところ、まもなく子供たちは見つかった。
侵入した生徒たちは、それぞれがロッカーや掃除用具入れ、階段下の倉庫といった密閉できる狭い場所に、身体を丸めて入り込んでいた。
無事に発見できた後、調べてみると全員が同じクラスの生徒だったため、ではここにいない残りの生徒は無事なのかと確かめることになり、それはもう大変な騒ぎとなったそうだ。

 

調べてみたところ、いくつかの事実が判明した。

まず、学校に押し寄せた子供たち。
彼らは学校に来たという、その記憶自体がなかった。
気づいた時にはいつの間にか学校にいて、教師たちに保護されていた。なぜ自分たちが夜の学校にいて、そんな狭い場所に身体を押し込んでいたのか、さっぱりわからないという。
何人かは保護された際、その狭い空間の中で何やらブツブツ呟いていたらしいが、その呟いていた内容も覚えていなかったそうだ。
また、彼らは同様に『キクチ先生が話した内容』についても、全く覚えていなかったという。


逆に、学校へ来なかった生徒たち。
後に確認したところ、彼らは皆、Aさんと同じようにキクチ先生の話を聞いた際に『おかしい』と感じていた生徒だった。
ただ、皆が皆、Aさんや彼女に電話してきた生徒のように、他の人に訊ねようと考えるわけではない。
世の中にはそういうオチのない話もあるのかと納得し、口に出さなかった。そんな生徒も少なからずいたそうだ。


そして、キクチ先生である。
担当していたクラスの生徒たちが、そのようなことになったわけだ。当然、その日着任したばかりとはいえ、間違いなくそのクラスの担任なのだから、彼女に連絡を入れなくては、ということになる。


だが、全く連絡がつかない。


不審に思った同僚の教師たちがキクチ先生の住所を訪ねたところ、既にそこはもぬけの殻となっていたそうだ。

 

……その日以来、キクチ先生は行方不明となっているそうだ。

(なお、通常この手の話において行方不明になった人は身の回りの品を残したまま消えることが多いが、彼女の住居からは財布や携帯電話など、その手の貴重品は全て持ち去られていたそうである)


──その後、Aさんのクラスは何事もなく、元の平穏さを取り戻した。
だが、結局、キクチ先生(あるいはキクチ先生と名乗る人物)が何者だったのか、どんな意図があってあの話をしたのか。
それらについては全くわからないままだという。

 

Aさんが言うには。
当時のことを思い出すと気持ち悪くて仕方がないため、そのクラスでの同窓会は一度も開催されていないそうである。

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐NEO 第一夜』(2020年6月30日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/625554757

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:24:00くらいから)

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禍話リライト 怪談手帖『しし地蔵』

f:id:venal666:20240116173618j:image

 

『自然仏』(じねんぼとけ)という話をしたのをきっかけに、話者の方から採集できた。

『お地蔵さんみたいなもの』についての話。

 

※怪談手帖『自然仏』

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/12/27/210037

 

 

提供者であるAさんが幼少期を過ごした集落には、鬱蒼と樹々の繁る一帯があり、鎮守の森めいた様相を呈していた。

 

 

しかし、彼の記憶する限り。

緑の奥にあったのは、社ではなく。

 

彼曰く『しし』とか『しし地蔵さん』と呼ばれる。

気味の悪い『何か』であったのだという。

 

 

「……お地蔵さんじゃないんですか?」

と問うと、

「……みたいなもの。って言ったでしょ?」

と返ってきた。

 

「……いやいや。私もことさら信心深いわけじゃないけど。普通のお地蔵さんなら、普通に拝みますよ」

 

 

薄暗い緑の間を進んでいった果てにある『それ』は。

形状こそ、路傍に数多ある地蔵尊にそっくりだったが。

心落ち着けさせる、苔むした石色などではなく。

艶々とした薄桃色で、しかも柔らかかった。

 

 

肉の塊の上に、薄皮一枚を張ったような。

それでいて。

目鼻のある禿頭に、数珠や錫杖。

蓮華の花のような瘤を備えたものが。

生え放題の雑草に紛れて、岩の間に幾つか居並んでいたのだ。

 

 

Aさんは仲のいい友達と連れ立って怖いもの見たさで何度か観に行って、度胸試しに誰かがそれに触ったりもして、その度キャアキャアと騒ぎ合いながら逃げ帰ってきた。

 

 

「……怖い、というかねえ。

気持ち悪い、って感覚の方が強くてねえ。

いや、幽霊とかオバケとか、そういう感じじゃないですよ。

 

……そうだなあ。

あの、目黒の寄生虫館に仲間と行ったことがあるんだけど。

そういう怖いもの見たさに近いというか……。

 

いや。

こんなもの、実際にあるのかなあ、って。

当時もそう思ったと思います。何かの見間違いじゃないかって。

でも、みんなで見てたからなあ……」

 

 

「……ああ。『しし』ってのも、見たままの意味で。

ほら。昔の言い方で『肉』をそういう風に言うでしょ?」

 

 

『しし地蔵』には定期的に御供えをする慣例となっており、Aさんたちよりも更に上、彼のお爺さんお婆さんの世代がそれを行なっていたが、彼らも由来や背景についてはよく知らないと言っていた。

 

御供えについても。

花やお菓子、お酒などではなく。

鳥にやるような雑穀や家庭で出た残飯などを持ち回りで持っていくような形で、Aさんから見てもひどくおざなりな様子であったそうだ。

 

「……結局。爺さん婆さんの世代で、そういう世話もやめちゃったんです」

 

 

宅地造成の工事で森も大幅に切り拓かれることとなり、鬱蒼とした緑はすっかり取り払われた。

『しし地蔵』がどうなったかは語られなかったが、さして気にする者もいなかった。

 

「工事の最中にね? 事故で作業員に人死が出たんですけど。その時に祟りの話も出なかったくらいでねえ。まあ、そういうものとして、最初から誰も考えてなかったんだろうねえ」

 

工事自体はやがて予定通りに終わり、新しい家々においてはその後、何事もない。

ただ……。

 

 

森の跡地の内。

空き地と幾らかの緑を確保して公園にされた一角で、工事の直後に不可解な悪戯が頻発したのだという。

 

 

それは、公園にある樹々の一つに縄が括られ、大きな腐った『何か』が下がっている、というものだった。

 

 

最初、

「裸の子供が首を吊っている!」

と大騒ぎになって通報されたが、駆けつけた警官が調べてみると……。

 

 

「……それ、ねえ。皮を剥いだ、イノシシの肉だったんですよ」

 

 

そんなことが、短い期間に複数回繰り返された。

「いや、いくら何でも悪質過ぎるって、結構本腰を入れてあれこれ調べてたようですが……」

結局、誰がどうやってこのようなことをしでかしたか突き止めることは出来ず、犯人は捕まらなかった。

 

全てが終わった後で、かつて森へ御供えをしていた年寄りたちが、

「ぶら下がった肉の数は、ちょうど『しし地蔵さん』の数と同じだった」

と主張したそうだが、何かしら関係があるのかどうかもわからないままだという。

 

 

──冒頭に述べた通り。

『自然仏』からの連想で引き出すことの出来た話であり、実際、出現のシチュエーションや姿形の構成は似通っているが、今回の怪異は前回紹介したものとは少なからず方向性を異にするものである。

異なる箇所が多いからこそ、両者の特異性が際立つもののように思われるので、比較の妙も期待できる例として収録しておく。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『年越し禍話!怖い動画の話+怪談手帖新作三連発』(2023年12月31日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/784179493

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:38:00くらいから)

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禍話リライト おちついた場所の手紙

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令和の初め頃。当時、大学生だったAさんの体験。

 

Aさんは、この体験により『二つのこと』が苦手になった。

 

一つ目は『山に入ること』である。

旅行、帰省、出張と。誰しも、そのように遠出をすることがある。そうすると、例えば自動車で山道を走ったり、新幹線で地方の山中を通過したり、という機会も少なくないわけである。

だが、Aさんはかつての体験から、

『自分も、妙なものを見てしまうのでは』

と考えるようになり、そのため可能な限り山を避けているのだという。

どうしても山に入ったり、近くを通らなくてはならない。そんな時には、あまりあちこち視線を動かさない。窓の外を見ない。そのように気をつけているそうだ。

 

 

二つ目は『動画』だ。

後ほど詳しく説明するが。この体験と、その後の出来事により。

YouTube等にたくさんある、

『とある動画群』

が苦手になってしまったそうだ。

 

 

 

──さて、ここからがAさんの体験談である。

 

 

父、祖父、叔父。

そうした親族の影響により、Aさんは幼少期から無類の自動車好きであった。

そのため、取得可能な年齢になったらすぐに免許を取りに行こうと、ずっとそのように考えていた。

そして実際に、大学一年の頃にそうしたのだという。

免許を取得すると、Aさんは家族から車を借りて、あちこち乗り回すようになった。

免許取得から間もない頃である。事故とまではいかないが、軽くぶつけたり擦ったりしたことは何度もあった。

だが、念願だった免許を取得した彼からすれば、そういう出来事すら楽しくて仕方なかったそうだ。

血筋なのだろうか。知人たち曰く、免許取得から間もないにもかかわらず、彼の運転技術は大したものだったそうである。

 

 

さて、大学生が運転免許を取得したとなると、それを聞きつけた同じ学部の友人や知人から、何処かへ行く際の運転手役を頼まれるようになるわけだ。

Aさんもそうだったのだが、もっとも、彼の場合、運転すること自体が楽しくて仕方なかったわけで。

例えば友人や先輩から、

『何処そこまで送ってくれ』

『何処そこへ迎えに来てくれ』

そんな風に頼まれても、別段嫌だとか面倒だとか、そんな風には思わなかった。

(やった! 車を運転できる!)

むしろ、そのように考え、そういう頼み事を請け負っていたそうである。

 

 

……それが、良くなかったのかもしれない。

 

 

ある日のこと。

同じ学部の友人から、いつものように運転役を頼まれた。

その際の友人の様子が、いつもと違った。

普段から運転手役をよく頼んでくる相手だった。

Aさんが車好きなことについてもそうだし、前日どころか当日の朝に頼んでも、よほどの用事がない限り、快く引き受けてくれることは知っている。そんな間柄だ。

それなのに、やけに言いにくそうに、申し訳なさそうにしながら頼んできたのである。

 

 

「……実はさあ。明日、休日で申し訳ないんだけどさ。『〇〇山』の方まで行ってもらっていいかな?」

 

 

◯◯山。

彼らの生活圏から多少離れた場所であったものの。これまでにも、頼まれて遠くの温泉や遊園地まで出かけたことがあった。それと比べれば、大した距離ではない。

「ああ、いいよ」

Aさんが了承すると、安心したのだろうか。何とも言えない表情を浮かべて友人が言う。

「悪いなあ。ほら、お前とは直接交流はないけど、●●さんって先輩がいるじゃん」

名前くらいは知っていた。ずっと昔からいて、もう何年在学しているのかわからない。そういう、どこの大学にも一人はいるタイプの先輩だ。

「あの人の都合なんだけどさ。で、あと何人か誘って行こうと思ってるんだよ」

「いや、それは全然いいんだけど……」

 

 

そうして、翌日待ち合わせる場所、時刻等について話し合ってから友人と別れたのだが。

Aさんは、友人の様子が何となく気になった。

先述したように、当日の朝になってから『今日、いいか?』と頼んでくるような相手である。その彼がこんなに申し訳なさそうに、神妙な面持ちで頼んできたのは、今回が初めてだった。

何かあったのかと気にはなったが、考えてみればAさんと直接交流のない先輩からの依頼を仲介しているわけだ。それについて、いろいろ気を使うこともあるのだろう。

(……ま、いいか)

一人でそう納得し、翌日の準備をするべく、Aさんは家へ帰っていった。

 

 

──翌日。

予定の時刻、待ち合わせ場所にやって来たAさんは友人と合流したのだが。

一晩経っても、彼は相変わらず、申し訳なさそうにしている。

そんな彼の様子を見て、Aさんは変だと思いつつ、声をかけた。

「……よう!」

「……よう。いや、悪いなあ……」

「いや、別にいいのに……」

 

現地には、既に三人集まっていた。

話を持って来た友人。

もう一人、いつもよく遊んでいる同学年の友人。

(※以後、二人をそれぞれB、Cとする)

 

そして、顔見知りである友人たちの隣に、あまり馴染みのない男性が一人。

Bの話に出てきた、元の依頼主である、例の先輩だ。

 

「……じゃあ。とりあえず、行きましょうか」

先輩には自分の後ろ、後部座席の右側に座ってもらい。その隣にC、助手席にB。

そんな風にみんなを乗せて、Aさんは車を発進させた。

 

「……とりあえず。こっちの方面でいいんですよね?」

車を走らせながら呼びかけるAさんに、先輩が答える。

「うん。……いやあ、悪いなあ。今日は俺がガソリン代、出すからさ」

「いやあ、そんな。別にいいですよ?」

「いやいや、悪いからさあ。なんなら、晩飯も俺が奢るよ」

(大盤振る舞いだなあ……)

 

そんな風に話していて、そこでフッと思い出した。

(そういえば、今日は何をしに行くのか聞いてなかったな……)

目的地である◯◯山。その周辺までの案内をカーナビで設定しながら、Aさんは先輩に訊ねた。

「……そういえば。俺、詳しく聞いてないんですけど。今日はこれ、何をしに行くんですかね?」

「ん? ああ、近づいて来たら、おいおい話すから」

(あ、今は話してくれないんだ……)

まあ、別にいいか。

そう納得して、Aさんは車を走らせる。

 

 

しばらく走ると、道の脇にコンビニが見えた。

「あ。ちょっと止めてもらえる?」

「あっ、はい」

先輩の要求に従い、駐車場に入り、車を止める。

すると、先輩はすぐに車から降り、コンビニへ入っていった。

(トイレにでも行きたかったのかな?)

特に用がなかったため、Aさんたちは車内で待っていたのだが。

間も無くして、先輩が商品がパンパンに詰まった大きなレジ袋を両手に下げて戻って来たので、全員、少し驚いてしまった。

 

Aさんが言うには。

両手にレジ袋を下げ、車へと歩いてくる先輩の姿。

それは、まるで北野武監督『菊次郎の夏』のワンシーンのようだったそうだ。

 

先輩の買ってきた大量の品々に驚いて、Aさんが言う。

「うわっ! どうしたんスか、それ!」

「いやあ。誰が何が好きなのか、イマイチわかんなかったからさ。スナック菓子とかチョコレートとか、いろいろ買ってきたんだよ。ほら、お茶なんかもいろいろあるからさ。炭酸とかジュースとかも……」

「ああ、すいません。ありがとうございます……」

そうして先輩からの差し入れについて感謝しつつも、

(えらく気前よく奢ってくれる、というか。妙にこっちに気を遣ってくれるな。なんなんだろう……)

Aさんはそのように、何か変だと感じていた。

 

 

そうしてコンビニを出て、さらに一時間ほど車を走らせた頃だった。

「……じゃあ。まあそろそろ、運転もしてもらってるし、Aくんにも詳しいことを話そうか。この二人にはもう、だいたいのことは言ってあるんだけどね」

突然、先輩が話し始めた。

 

 

「……俺、卒業が決まってね」

「あ、そうなんですか」

「うん。で、就職も地元の方でするんだけどさ。だから、この地方から離れるわけなんだな」

「ああ、そうなんですね。おめでとうございます」

「うん、ありがとう」

 

 

「……で。ちょっと一つ、思い残したことがあってね」

 

 

「……ん? ◯◯山で、ってことですか? もうすぐその地域に入りますけど」

「うん……」

Aさんの質問に重々しく頷いてから、先輩が静かに語り始めた。

 

 

「……大学に入って、すぐの頃だったかな。

今とは完全に立場が逆なんだけど。手伝いを頼まれて。

先輩みたいな人と一緒に、この◯◯山をね。車で走ってたんだよ。山を越えた向こう側に用事がある、とかいって。

……確か、夕暮れ時だったかな。いつだったかな。まあ、そんなに明るくなかったと思うんだけど。山ん中を、車で走ってたんだよね」

 

「はあ……」

 

「そしたらさ。山道がグネグネ曲がってるから、幾つ目のカーブを曲がったところだったか、もう覚えてないんだけど。

山道の途中にさ。何の小屋なのかわからない、製材所なのか山小屋なのかわからないんだけど。とにかく、トイレとか普通の人が使うようなやつじゃない。山で作業をする人が使うような、明らかに外見でそうわかる。そういう、コンクリート打ちっぱなしの建物があるんだよ」

「あっ、はい……」

 

「……でさ。その小屋が道路の左側にあったから、助手席に座ってた俺だけ見えたんだと思うんだけど。

その建物にね? 入っていく女性の姿が、フッと見えたんだよね。後ろ姿だったんだけど」

 

「じょ、女性が……?」

 

「うん。いや、でも、おかしいよね? だって、周りに車とかもなかったし。

ほら、もう見えて来たけど。◯◯山ってのは普通、歩いていくような場所でもないしね。トラックとかが通る場所だから、車で来る以外ありえないんだよ。

でも、その時。周りに車はなかったんだ。

で、その女性は季節的にも、なんかおかしいような格好しててね。山登りをするような服でもないんだ。

で、俺。アッ! って思ったんだけどさ。

その時、俺。運転手の先輩と、その少し前にちょっとモメちゃって。険悪な雰囲気になってたから。

『ちょっと、止めてください! 』

……なんて言い出せない感じでさ。距離があってねえ。

(……どうしようかな、どうしようかな)

って思ってたんだけど、結局そのままになってんだよね」

 

そこまで一気に喋った後。

一呼吸置いて、先輩は言った。

 

 

「……あの女って、自殺しに来たんじゃないかって。そう思ったんだよね」

 

 

(うわあ、ストレートに言ったなあ……)

間を置いてからの先輩のその一言に、Aさんは少し引いてしまった。

「……ま、まあ。そう、ですねえ。そういう可能性も、ありますねえ……」

Aさんが相槌の言葉を何とか絞り出すと、さらに先輩が続ける。

 

 

「うん。で、用事を済ませた後、帰りもそこを通ったんだよね。行きと帰りで、同じ道を通ったんだ。

で、帰りにさあ。同じ建物を見たんだけど。

本当はその時に、無理してでも行けば良かったんだけどさあ。

止めてください、って言えば良かったんだけど。

結局、行く勇気がなかったんだよ。

 

 

……だって『帰り道』だったら。

もし『そういうこと』だったら。

間に合ってない、ってわけじゃない?

 

 

……でも。それでも、やっぱり行くべきだったと思うんだよね。

帰ってからも、そのことをずっと引きずっててさあ。

新聞とかも、いろいろチェックしたんだけどさあ。

ほら、ああいうのって、新聞にも全部が載るわけじゃないじゃない。警察署のそういうホームページとか見てもさ、全部が載ってるわけじゃないじゃない。

だからさあ、ずうっと、ずうっと気になってて……。

そりゃあ、古い新聞とか全部チェックしたらわかるのかもしれないけど……。

……う〜ん、なかなかはっきりしたことがわかんなくて……」

 

 

「……だから、さ。そこに、今日行こうと思うんだ」

 

 

(うわぁ、つらいなぁ……)

先輩の言葉に、さすがにAさんも今日の運転役を引き受けたことを後悔した。

しかし、今更もうどうしようもない。

既に彼らの乗る車は、問題の山の中へと入ってしまっていた。

 

半ばヤケクソ気味に覚悟を決めた後。

話を聞いていて一つ気になった点について、Aさんは先輩へ訊ねてみた。

 

「……え。でもそれって、結構前のことなんですよね? だって、ほら、その。正直、先輩って。留年とか、されてて……」

「……うん。だから、結構前だね。七、八年前、になっちゃうのかなあ。俺が大学一年生の時だったから」

「……その建物って、まだあるんですかね?」

「いや、ちょっとそれはわかんないんだけどさ。まあ、なかったらなかったで、それでいいからさ。

……でも、もう一度。この地域を去る前に確認しておきたいんだよね」

 

 

なるほど、それはガソリン代も食事代も奢ってくれるわけだ。

例え、どんな結果に転んだとしても。

何年もずっと気になっていたことを確かめるために後輩に運転を頼むのだから、採算度外視でそれくらいはするだろう。

 

先輩が説明している間、BとCはまるで通夜の参列者のように、静かに俯き、黙っていた。

つまり、それは先輩にどういう事情があるのかを知っていたから、なのだろう。

そう考えると、昨日Bがあんなに申し訳なさそうにしていたことにも納得がいく。

ふと、助手席に座るBへと目を向けると。

彼も、いろいろと察したのだろう。

(……ごめんな)

とでも言いたげな、そんなアイコンタクトを送ってきた。

 

お世辞にも『楽しいドライブ』とは言い難い、そんな状況になってしまったわけだが。

ここまで来てしまったらしょうがない。

そう決心したAさんの車は、山道をどんどん進んでいく。

弱い人ならすぐに車酔いしてしまいそうな、そんな曲がりくねった山道をしばらく走る。

そうして、幾つ目かもわからぬカーブを曲がった時のことだった。

 

 

「……あ。ここのカーブミラー、見覚えがある!

……あ! この看板にも覚えがある!

もうすぐだ、もうすぐ! もうすぐだよ!」

 

 

窓の外の景色を見ていた先輩が、急に声を上げた。

これまで何度も、運転中に誰かに道案内をしてもらったことはあったが、こんなにも嬉しくない『もうすぐだ』という言葉があっただろうか。

そんなことを考えるAさんを他所に、先輩の口調はどんどん興奮の度合いを増していく。

 

「あ、コレコレコレ! もうすぐ、もうすぐ! これね、もう少し行ったらね! 

……アッ! そこそこそこ!」

 

先輩の、そんな言葉を聞いた後。

 

 

カーブを曲がった先に。

その建物が、あった。

 

 

(えっ……)

まさか、本当に存在するとは思っていなかったため、Aさんは驚き。

そして慌てて車を停めた。

 

山道の脇、道路から少し行ったところに。

確かに先輩の話にあったような、コンクリート打ちっぱなしの建物がある。

恐らく、あまり人が訪れることがないのだろう。周囲は草が伸び放題だが、しかし建物へと向かえないほどではない。

 

「……えっ、アレですか⁉︎」

「ああ! アレだ! アレだよ! 変わってない、変わってない!  いや、経年劣化っつうか、年代は経ってるけど! 変わってない、変わってない! アレだよ、アレだ!」

 

先輩がそうだと言うのなら、きっとそうなのだろう。

友人たちと目配せしてそのように判断し、問題の建物の近く、少し開けた場所に車を停めた。

 

そうして。

じゃあ、その建物に向かおうかとなった、その時だった。

 

「うぅう〜ん……」

突然、先輩の具合が悪くなった。

顔が青ざめ、脂汗を流し。明らかに車酔いなどではない、そんな様子だった。

しかし、それまで話を聞いていたAさんは、

(……まあ。何年も思い詰めてたのなら、そんな風にもなるよなぁ)

と、そのように納得もしていた。

到底に現場に行けそうもない、それどころか車のドアを開けられるかも怪しい。そんな先輩の様子を、そうしてしばらく見守っていたのだが。

 

十数分ほどした頃、さすがに見るに見かねたのだろう。

「……とりあえず。俺ら、見に行ってきますよ」

BとCが立ち上がった。

「とりあえずどんな感じなのか、俺らが見に行ってきますから、ちょっと先輩はここで待っててくださいよ。A、ちょっとお前もここにいてくれよ」

「お、おう」

Aさんの返事を聞くや否や、二人は車から出ていってしまった。

車のヘッドライトの照らす中、二人は草むらを掻き分けて問題の小屋へと向かい、そうして中へと入った。

 

 

……さて、そうなると困るのはAさんである。

そもそも、友人であるBの仲介で、さほど面識のない先輩の頼みを聞いてここまで来たわけだ。

そして今、その仲介役であるBは、Cと共に外へ出ていき、車内には自分と先輩が二人っきりになってしまっている。

面識のない、具合が悪そうにブルブル震えている相手にどうすればいいのかわからないし、雰囲気を良くするために音楽を流そう、というわけにもいかない。

道中で聞かされた話の内容が内容だけに、どう声をかけたらいいのかもわからない。

 

 

そうして、どうすればいいのかわからないまま、時間だけが過ぎて行き。

ふと、Aさんは気がついた。

 

(……アレ? あいつら、遅くねえ?)

 

二人の入っていった、例のコンクリート製の小屋。

さほど大きな建物ではない。隅々まで見たとしても、どう見積もっても十数分もかからないような、それくらいの大きさしかない。

仮に、中に何かあったとすれば、もっと早く出てくるはずである。

なのに、入っていってからゆうに十分以上は経つというのに、二人が出てくる気配は全くない。

 

(あいつら、遅っせえなあ……)

Aさんがそう思っていた、その時だった。

 

 

「ウーッ……」

 

 

(……えっ⁉︎)

ハンドルに突っ伏すようにして友人たちが戻るのを待っていたAさん。

彼がふと気がつくと、自分の背後。車内の後部から、何かが聞こえてくる。

 

「ウウーッ……」

 

具合が悪くて休んでいるはずの、先輩の声だった。

 

ミラー越しに見てみると。

不機嫌そうに。

というか、半分キレているかのように、身体を前後に揺さぶりつつ、先輩は静かに唸っている。

 

 

「……ッアァ? ……ッゥアァ⁉︎」

 

 

何に対してキレているのかわからない。

だが、最初の内はほとんど聞き取れなかったその唸り声が、次第に大きくなっていく。

そして、身体を揺さぶるその動きも、唸り声に合わせて大きくなっていくのも、ミラー越しに確認できた。

目の前の座席、つまりAさんの座る運転席であるが、それを今にも思いっきり蹴飛ばしそうな、それくらいの乱暴な動きだった。

 

(うわあ〜、超怖え〜……)

異常な状況のために、精神に異常を来し始めている、ということなのだろうか。

何が何だかさっぱりわからない。

だが、とにかく。この狭い空間内に先輩と二人っきりという、その状況がAさんは嫌で嫌で仕方なかった。

 

だから。

「……あの〜、ちょっと! 遅いっすね、二人! 俺ちょっと、見てきますわ!」

そう言って。

先輩が何か言うよりも早く、Aさんは車内から飛び出し、そして友人たちが入っていった小屋へと走った。

 

「……おい! おい! もういいだろ! 何もなかったんだから! もう帰ろうぜ!」

小屋の方へ走りながら、その中にいるはずの友人たちへ向け、Aさんは叫んだ。

そうして叫びながら、小屋の入り口、ドアノブに手をかけ、戸を開ける。

 

ドアを開いてすぐ、Aさんは室内で立ち尽くす友人たちの姿を発見した。

だが、すぐに彼らの様子がおかしいことに気がついた。

 

あんなに外で大声で叫んでいたのだから、Aさんの声が聞こえなかったはずがない。

だが、建物内にいる二人は、入り口へ背を向ける格好で立ったまま、微動だにしない。

 

そんな彼らへ、業を煮やしてAさんが怒鳴る。

「……おい! お前ら、何してんだよ! 気持ち悪いぞ! そういうの、いいから!」

そう言いつつ、二人の向こう。真っ暗な建物の奥の方へAさんは視線を向けた。

 

どうやら、この建物は、奥にもう一部屋あるらしい。

薄暗い部屋の奥。汚れた壁に、曇りガラスの嵌め込まれたドアが設置されているのが見えた。

二人はその前に立ち、ドアの方を凝視しているのである。

 

「……何だよ、そのドア。鍵かかってんのか? 先に行けないのか? もういいよ、行けないなら行けないでさあ、もう帰ろうよ!」

 

「……いやあ〜」

「う〜ん、どうすっかなあ……」

Aさんの声が聞こえていないわけではないらしい。

だが、二人は振り向くことなく、ドアの方を見たまま、何かについて思案するかのようにウンウンと唸り続けている。

 

「……何なんだよ!」

さすがに我慢の限界に達し、Aさんは近づいて二人の肩へ手をかけた。

「いや、お前ら、待たせ過ぎだって! 先輩、キレ出してるぞ!」

 

肩に手をかけられたことで、正気に戻ったのだろうか。

Aさんの言葉によって初めて周囲の状況を理解したかのように、二人が言う。

「……えっ、そうなの⁉︎」

「……え。じゃあ、どうしよう。これ、教えるかなあ……」

「いやあ、う〜ん……」

そう言って、二人はドアの下の方、自分たちの足元へと視線を向ける。

 

「……だから、何をだよ⁉︎」

自分を除け者にするかのように、わけのわからないことばかり言う友人たち。

そんな彼らに苛立ち、Aさんは二人を押し除け、ドアの方へ歩み寄っていった。

 

ドアの下、ゴミとガレキの散らばる床の上に、何か落ちていた。

 

黄色と黒のビニールテープ。

素人目にもわかる。立ち入り禁止区域に張り巡らせるような、そんなテープの切れ端。

それが丸まったものが、床に落ちている。

 

「えっ……」

先輩の話通りだとすれば、ここにそんなものが落ちているということは、つまり……。

そんな考えが脳裏をよぎり、絶句するAさん。

 

だが、すぐにもう一つの考えが浮かんだ。

「……あ、お前ら! これ見ちゃったから! だから、それで固まってたのか⁉︎」

なるほど、二人も自分と同じく、このテープを見て嫌な想像をしてしまったのか。

だから、あれだけ声をかけても振り返らなかったのだ。そう考えると筋が通る。

そう納得しかけたAさんだったが……。

 

「いや、そっちじゃなくてな……」

「うん。それが目立つから、そっちに視線に行きがちだけど……。こっちだよ……」

Aさんの予想を裏切り、全く違う答えが返ってきた。

心底嫌そうな表情、口調と共に。二人が別の方を指し示す。

「……え?」

どういうことか意味がわからず、そのままAさんは二人の指差す方へと視線を向けた。

 

 

床に、テープとは別の何かが落ちている。

室内が暗い上に、打ちっぱなしのコンクリートと似たような色をしているため、半ば同化したようになっていて、二人に言われるまで全く気が付かなかった。

 

 

封筒だった。

 

 

「……え? 何これ?」

「うん。いや、俺らはさっき、それの中身、読んじゃって。で、元の位置に戻したんだけど……」

「……え? これを読んで、お前らヘコんでた、ってこと?」

「うん……」

「いや、Aも読んでみてよ。申し訳ないんだけど……」

(え〜、怖えなあ……)

嫌だと思いつつ。友人たちの言葉に従い、仕方なくAさんは封筒を取り上げ、中身を見てみることにした。

 

 

封筒の中には、便箋が入っていた。

ビッシリと、隙間なく文章が書き込まれている。

よく見ると、右上に『二の一』とある。

つまり、便箋は二枚あり、これがその一枚目、ということになるのだろうか。

とはいえ、封筒の中にはその一枚しか入っていなかったのだが。

 

 

(なにこれ……)

何か不気味なものを感じつつ、Aさんはその中身に読んでみることにした。

 

 

名前など個人情報を特定できそうなことは記されていないが、文体や筆跡から、恐らく書いたのは女性なのだろうと、そう思われた。

要約すると、その女性はこの建物に自殺するためにやって来たらしい。そこに至るまでの流れ、理由などが記されていた。

しかし、何とも読みにくい文だった。

最初の内はしっかりしていたが、途中から文章が支離滅裂になってきて、さらに急に登場人物が増えたりするため、なかなか内容を掴み辛い。

とにかく、誰かに騙された結果、自殺することにした、ということは理解できた。そうした経緯が、便箋の半分を使って書いてあった。

 

しかし、そこから先の内容が、よくわからない。

この建物に来てからのことが書いてあるのだが、

『いかにこの建物が素晴らしい場所であるか』

という内容を、滔々と書き連ねているのだ。

 

『……そうして、死のうと思ってフラフラとここに来て、今ここで手紙を書いてるんですけど、ここはすごく良いところですね。すごくおちつきますね。どういう意図で作られた建物かわからないけど、すごくおちつく』

 

そのように、自殺のために訪れたこの建物を、

『すごくおちつく場所だ』

と、女性は絶賛していた。

その後には、壁の色が良いとか、床がどうだとか、室内のあちこちを褒める文章が続く。

壁も床もコンクリートが打ちっぱなしで、ゴミやガレキの散乱する、廃墟のような建物なのに、だ。

 

『……なんだかこう、樹海とかで人が死ぬ場所はいつも同じだというけど、その気持ちがわかる気がする。ここがそうなんだ。ここはすごく落ち着く。私の人生の最期の終着点はここだったんだ』

 

その後には、二、三行ほど。

彼女がどのようにして命を断とうとしているのか、その具体的な案が書かれていた。

 

(そりゃあ、そうすれば死ねるだろうな……)

それを読んだAさんが、気分が悪くなってしまうほどの内容だったそうだ。

 

さらに、文章が続く。

 

『……最後に。ここは本当に素敵な場所です。ですから、ここはこんな開けた場所にあるから、誰かが私の死体を見つけるまで一月か二月か、そんな長くはかからないと思うけど。

だから、見つけた方に言いたいんですけど、ここはすごく良いところですから』

 

 

そこで、手紙は唐突に終わっていた。

 

「……え? これで、終わり? 続きはないの?」

不自然な終わり方。『二の一』という表記。

どう考えても、この先があるはずだ。

お前たちは何か知らないのかというAさんの質問に対し、友人たちは首を横に振る。

 

「いやあ……。続きは、その扉を開けて行ったら、そこにあるのかもしれないけどさ……。嫌だよ。『二の二』は、読みたくねえよ……」

「そう、だよなあ……」

結局、これ以上進むのはやめておこう、という話になった。

 

 

しかし、それで終わり、というわけにもいかない。

まだ問題が残っていた。

 

つまり、車内で待っている先輩のことである。

「……どうする? この手紙、先輩に見せるか?」

「う〜ん……」

今の先輩の状態を考えると、この手紙を読ませると、あまり良い結果にならないような気がする。

しかし、そもそも『最後のチャンスに真相を確かめたい』という先輩の希望でここへ来ているわけだ。下手なごまかしは逆効果になりかねない。

どうしたものか。そうして三人で悩んでいると。

 

「……ん?」

 

ある『奇妙な点』に、Aさんは気づいた。

 

「……あのさあ。先輩が言ってた話って。確か七、八年前のことだろ?」

「……え? ああ、うん」

「……だったら。おかしくねえか? ほら、だって、これ……」

床の上に元通り戻しておいた、例の封筒をつまみ上げて言う。

 

 

「……新し過ぎるぞ?」

 

 

「……え、そうかな?」

「いや、そうだよ! ホコリとか積もっててわかりにくいけど。せいぜい一年とか二年くらいじゃねえの?

こんな、安いペラッペラの紙。こんな場所に何年も置いてあったら、もっとボロボロになってるはずだろ!」

「……え、どういうこと?」

「いや、知らねえよ! ……とにかく。何もなかった、これは違うっつって。そう言うしかないだろ」

「いや。違う、って何だよ?」

「だから、その……。

……そう! 別件だよ! 先輩の話とは別件、その後で来た別の人の遺した手紙なんだよ! ほら、そういう別の話を混ぜちゃいけないだろ!」

 

自分が気づいてしまったこととはいえ。

封筒の異様な点に気がついてから、Aさんは一刻も早くこの場を離れたくて仕方なかった。

だから、何とか友人たちを丸め込もうとして、別件という解釈を捻り出したわけである。

 

「……だから、さ。何もなかったってことにして。ほら、もう帰ろうぜ」

「……そ、そうだな」

「うん、帰ろう帰ろう」

そうして友人たちを丸め込み、Aさんは建物を出て、先輩が待つ車の方へ戻っていった。

 

 

……すると。

車で待っているはずの先輩の姿が、消えていた。

 

 

「……あれ?」

運転席の後部、先輩が座っていた側のドアが開けっぱなしになっていた。

「……どこ行ったんだろ?」

「小便しに行ったんじゃない?」

「……じゃあ、待ってるか」

そうして三人で待つことにしたのだが、しかしいくら経っても先輩は戻ってこない。

しばらくしてから時計を見ると、待ち始めてからもう十五分は経っていた。さすがに遅すぎる。

 

「……お前さ? 先輩の番号知ってんだろ? ショートメールとかで連絡してみてよ。今どこにいるんですかって」

「おう、わかった」

Aさんに言われ、Bが連絡を入れる。

すると、すぐに返信があった。

 

 

『外にいる』

 

 

「……いや、外ってどこよ。ザックリした返事だなあ」

どうしようもなく、もう少しだけ待とうか、ということになったのだが。

やはり、どれだけ経っても先輩は戻ってこない。

そうする内、だんだん日も暮れてきてしまった。

「もう、やだよ。こんなとこで待ってるなんてさあ。なあB、急かすようで悪いんだけどさ、もう一回連絡してみろよ」

「うん、わかった」

そうしてBが再び連絡すると、今度もすぐに返信があったのだが、

「……う〜ん?」

その文面を見て、Bが首を捻っている。

「ええ〜?」

「……なんだよ?」

「……いや。『中』って返事が来た」

「中って。いや、車の中にいねえじゃん!」

「……う〜ん。『建物の中』ってことじゃねえ?」

「……えっ」

 

全員、一斉に建物の方へ目を向けた。

既に日が落ち始め、周辺は暗くなり始めていた。もし建物内に誰かがいるなら、スマホか何かの明かりが見えるはずだ。しかし、見る限り建物内は真っ暗である。

「いやあ。真っ暗、だけどねえ……」

「……うん。でも『中』って返事が来たから。やっぱり『中』にいるんじゃねえの?」

 

全員、無言で建物の方を見つめていた。

数秒して、Cが右手を前に出し、それを振りながら言う。

「ジャーン、ケーン……」

「……おい、やめろ! ジャンケンなんかしねえよ! 全員で行くぞ! 二人で行って、一人だけここに残るとか、超怖いだろうが! 一人で行くってのもありえないし!」

「そ、そうだな。よし、みんなで行こう」

「うん、行こう行こう……」

 

 

そうして三人は再び建物へと向かった。

入り口を開け、中を覗き込む。

 

 

すると、そこに先輩がいた。

 

 

先ほどAさんが入った際、BとCが立ち尽くしていた場所。

壁に設置されたドア、そのすぐ前に、入り口に向かってしゃがみ込んでいた。

 

暗くてよく見えないが。

何か作業をしているかのように、両手を動かしているのがわかった。

 

その姿を見た途端、BとCは驚いて硬直し、入り口から先へ進めなくなってしまった。

恐らく、直接関係のある先輩がそんな風になってしまった、という驚愕のためだったのだろう。

(……となると、比較的関係の薄い自分が行くしかない)

そう考え、Aさんは一人で建物内に入り、座り込んでいる先輩の背中へ声をかけた。

 

「ねえ! 何してんですか、先輩! こんな真っ暗な中で。もう帰りましょうよ!」

 

……しかし、返事はない。

そのため、少し口調を強めにして、もう一度声をかけてみた。

「ちょっと! もう、やめましょうよ! 帰りましょう! ね! 帰りましょうよ!」

 

そうして呼びかけながら、

(……もしかして、先輩。あの手紙を読んじゃったのかな。それでウワーッてなって、おかしくなっちゃって……)

そんな想像が、Aさんの脳裏に浮かんできた。

 

しかし、今はそんなことを考えても仕方ない。

一刻も早く先輩を連れ出し、この場を後にしなくては。

頭に浮かぶ想像を振り払い、再度、先輩へ呼びかける。

「いや、もういいでしょ! ほら! 帰りましょう! ね!」

 

 

 

「……できたァ!」

 

 

 

突然、先輩が大きな声で叫んだ。

驚いて、Aさんの呼びかけが止まる。

「……えっ? ……な、何が、ですか?」

一拍置いてからAさんが訊ねると、

「ほら!」

先輩はしゃがみ込んだまま、後ろにいるAさんの方を振り向きもせず、手だけを背後に回して『何か』を差し出してきた。

反射的に、Aさんは差し出された『それ』を受け取ってしまった。

 

「……よし!」

『それ』をAさんに渡すと、急に先輩が立ち上がった。

そしてそのまま、目の前のドアを開け、中へと入っていってしまった。

 

先輩がドアを後ろ手に閉じるまでの、ほんの一瞬。

チラリとだが、向こう側が見えた。

ドアの向こうには、恐らく地下へと降りていくのだろう。下りの階段があったそうだ。

 

閉まったドアの前で、呆然と立ち尽くすAさん。

おかしなことに。

今いる部屋よりもなお暗い、明かりのない階段を先輩は降りて行った。スマホか懐中電灯でもなければ、何も見えないはずだ。

 

それなのに、ドアに嵌め込まれた曇りガラスの向こうには、明かりらしきものは全く見えない。

 

それに気づいた瞬間、Aさんはゾッとしてしまった。

「ちょ、ちょっとちょっと! おかしいおかしい!」

入り口で固まっている友人たちのところまで駆け戻る。

そこでやっと、友人たちも我に返ったらしい。

「えっ、なになになに⁉︎」

状況を把握できず慌てふためく二人の前に、Aさんは先輩から渡され、ずっと握っていた『それ』を差し出した。

 

「いや、先輩からこれを渡されて、って……。え?」

 

異様な状況下で混乱していたから、だろうか。

『それ』が何なのか、Aさんはそこで初めて認識した。

 

 

 

折り畳まれた、真新しい便箋だった。

 

 

 

それを見た瞬間、三人とも同じ考えが脳裏に浮かんだそうだ。

 

(これ、行きにコンビニに寄った時に、先輩が買ってきたんだ……)

 

二人が凝視する中、Aさんは折り畳まれた便箋を開いた。

 

右上に『二の二』とある。

先ほど見つけた、

『これを見つけた人へ。ここはいい場所ですから……』

そのように書かれていた、あの便箋の続き、ということになるのだろう。

 

先輩から渡された便箋には、たった一文だけ。

大きな文字で、次のように記されていた。

 

 

 

『ゆっくりしていってくださいね』

 

 

 

「……ウワァッ!」

思わず、Aさんはその便箋を投げ捨ててしまった。

「いや、おかしい! おかしいって! おかしいって!」

Bが混乱したように連呼する。

そして、Cが続けて叫ぶ。

「……おかしいと思ったんだよ! だって、さっき見たあの便箋だって、よく考えたらあれ! 先輩の字だったじゃん! どっかで見たことあると思ったんだよォ!」

そう叫んだ後にその場にへたり込んでしまったC。彼を抱き止め、支えて起こしてやった後。

少し落ち着きを取り戻してから、これからどうすればいいのか、三人で話し合った。

「え、じゃあ、どうしよう、どうしよう」

「いや、とりあえず、三人いれば……」

三人寄れば何とやら、ではないが。他にどうしようもない。

意を決し、三人は建物内へ戻り、先輩の入っていったドアを開けてみた。

 

ドアの向こう。明かりのない、地下へ降りていく階段。それを何段か降りたあたり。

下の方は暗くてどうなっているのかわからないが。恐らくは、その階段のちょうど中程なのだろうというところに。

こちらに背を向けて、先輩が腰掛けていた。

 

(うわっ……)

驚きながらもAさんたちは先輩へ呼びかけたのだが、彼は何の反応も示さなかった。

ただ、真っ暗な階段の途中に腰掛けて、

「できた、できた。できた〜」

そう呟くばかりだった。

 

(ああ。これはもう、どうしようもないな……)

そのように匙を投げ、車のところまで戻ってきたAさんたちだったが、かといって先輩を置き去りにして帰るわけにもいかなかった。

(どうしよう……)

 

結局、三人がそうして答えの出ないまま思案していると、三十分ほどしてから、先輩が建物から出てきたのだそうだ。

「いや〜。ホント、つきあわせて悪かったね! 晩飯、奢るからさあ!」

先程までの様子が嘘のような快活さ、というか。普段よりも明るい、陽キャパリピかというような、そんなテンションだった。

 

正直、

(……食事なんかどうでもいいから、早く帰りたい!)

という状況だったのだが、結局断りきれず、Aさんたちはその後、ファミレスに行って先輩に奢ってもらったそうだ。

当然、これまでの話を考えると三人とも楽しく食事ができる気分ではなく、お通夜のように落ち込んでいる。何なら、注文したメニューもほとんど喉を通らなかったほどだそうだ。

一方、先輩だけは妙に元気で、そのため他の客や店員さんから、

(あの人たち、何だろう?)

というような、変な目で見られて、ずっと気まずかったそうだ。

 

 

その時は、そのまま無事に解散した。

ということなのだが。

 

 

それから、しばらくした後のことだ。

事情があって調べ物をしなくては、という状況に陥った。

そこでAさんは、(BとCとはまた別の)知人から『とある動画』について教えてもらった。

「そういうのを、いろいろと解説してくれる動画があるんだよ。機械音声で再現してるんだけどさ、結構いい感じなんだよ」

「へえ、そうなんだ」

 

そうしてAさんは、知人に教えてもらいながら、その分野について解説してくれる動画へとアクセスした。

画面に表示された二体のキャラクター。それを見てAさんが言う。

「あ! 俺、これ知ってる! そんなに詳しくないけど『東◯』ってシリーズのキャラだろ?」

「そうそう。まあ、見てみろよ!」

そうして、Aさんの見つめる画面の中、左右に並んだ、饅頭のような顔つきの二体のキャラクターが言う。

 

 

ゆっくりしていってね!』

 

 

その瞬間。

Aさんの脳裏に、あの時の山中での体験が。

あの時読んだ、便箋の文面が。

一気に蘇ってきた。

 

「……ウワーッ! 消せ! 消せェッ!」

 

急にAさんが、そのように騒ぎ始めたものだから。

何も知らない知人は、全く別のこと。例えば、頭身の比率がおかしな形の、そうしたディフォルメされたキャラクターが苦手で、それが彼の何かしらのトラウマを刺激したのかと、そう思ったほどだったそうだ。

(この件については、Aさん自身がすぐに釈明した、とのことである)

 

 

……ところで。

それから何年かしてからAさんの聞いた、風の噂によれば。

あの体験の後、先輩は無事に大学を卒業し、地元に戻って就職したらしい。

……ということだそうだ。

 

 

──あの時、真っ暗な山中、建物の中で見た。便箋に大きく書かれた、あの一文。

結局、それを目の当たりにした時の衝撃が、いつまで経っても忘れることができなかった。

 

それ故に、今でもAさんは『山』と『とある動画群』が苦手なのだそうだ。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話インフィニティ 第十六夜 イベント話+オマケ』(2023年10月28日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/779778174

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(1:06:30くらいから)

題はドントさんが考えられたものを使用しております。

禍話Twitter(X)公式アカウント

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禍話wiki

https://wikiwiki.jp/magabanasi/

見出しの画像はこちらから使用させていただきました

https://www.photo-ac.com/main/detail/27885426&title=%E6%A3%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%B1%8B

 

禍話リライト 忌魅恐『赤い帽子の女』

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Aさんという男性の、幼少期の体験。

 

某大学のオカルトサークルが取材した当時、彼はすでにそれなりの年齢であったという。

つまり、現代から見て、少なくとも半世紀以上は前の話。

……ということになるだろうか。

 

※オカルトサークルに関しては『忌魅恐 序章』を参照のこと

https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647

 

 

 

Aさんの母方の親族に、年齢の近い従兄がいた。

(仮に、彼の名を『ケンタくん』とする)

 

Aさんが小学校二年生のある日。

そのケンタくんが、急死した。

 

Aさん曰く。

ケンタくんがなぜ亡くなったのか。それについては何もわからないそうだ。

もっとも、何十年も前の、幼少期の話である。

そもそも、周囲の大人が配慮して詳細を伝えていない可能性もあるし、Aさん自身、聞いていたが忘れてしまった、ということもあるだろう。

 

とにかく、親族の不幸なわけだ。

Aさんは両親に連れられ、ケンタくんの葬儀に参列するべく、母方の親族の家へと向かった。

 

 

Aさんにとって、生まれて初めて参列する葬儀であった。

焼香を始めとする各種の作法や手順もわからず大変だったし、子供なので葬儀中、ジッとしているのが退屈で仕方なかった。

だが、幼い子を亡くして悲しみに暮れる、ケンタくんの両親の姿を見ていると、

(ああ、これはふざけたりダダをこねたりしちゃいけない場所なんだな……)

と、子供心にも察せられ、大人しくしていたそうである。

 

 

そうして、ケンタくんの葬儀は滞りなく終了した。

葬儀の後、Aさん一家はケンタくんの家に泊まることになった。

葬儀後の諸々の話のため。そして、すっかり遅い時間になってしまったのと、親族間での話し合い、というか酒盛りに両親が参加することになったため、である。

もちろん、まだ幼いAさんはその話し合いには参加していない。

ケンタくん宅の一部屋を寝室としてあてがわれ、そこで一人、先に床に就かされていた。

 

とはいえ、すぐに眠れるはずもなかった。

Aさん家族とケンタくん一家は疎遠ではなかったが、特に親しいわけでもなかった。それまでも年に二、三度、盆暮等に日帰りで訪れるくらいで、これほど長い時間滞在するのはその時が初めてだった。

さらに、Aさんにあてがわれたのは広い客間であった。

幼い子供が一人、慣れない家の広い部屋で、慣れない布団と枕を使って寝かされているわけだ。大人でも枕が変わると眠れない人がいるのだから、当然幼いAさんはなかなか寝付けなかった。

しかも、部屋の柱には大きな時計がかかっていた。明かりの消えた部屋の中、秒針の立てるカチカチという音が、異様に大きく聞こえる。

さらに加え、何部屋かむこうからは、大人たちが酒を飲みつつ話し合う、そんな賑やかな声も聞こえてくる。

『早く寝なさい』と言われても、まだ幼いAさんには無理な話であった。

 

 

そうしてなかなか眠れず布団の中で寝返りを打っている内、Aさんは便意を覚えた。

親戚の家で粗相をするわけにはいかない。用を足しに行こうと、Aさんは起き上がった。

幸い、昼間の内に何度か行って道順は覚えていたため、迷うことはなかった。昼間覚えた道を辿り、薄暗い廊下を通ってトイレへ向かう。

 

その途中。

Aさんはある部屋の扉の前で、ふと立ち止まった。

 

それは、ケンタくんの部屋だった。

日中は慌ただしかったのでそんな余裕がなかったが、夜の遅い時間、静かで薄暗い廊下に一人でいると、否応なしに主人のいなくなった部屋へ意識が向いてしまう。

 

(そういえば、前に来た時はケンタくんとここで一緒に遊んだんだっけ……)

 

以前、この部屋でケンタくんと一緒にトランプで遊んだことを思い出した。

そして、その相手が今はもういないことを改めて実感し、『人が死ぬ』というのはどういうことなのか、Aさんは生まれて初めて理解できたような気がした。

 

そうした懐かしさと寂しさのせい、だろうか。

気づくと、Aさんはケンタくんの部屋の中へ入っていた。

地方の家にはよくあることだが、ケンタくんはなかなか広い部屋を自室として与えられていた。

部屋の中は、恐らくケンタくんが亡くなってからそのままにしてあるのだろう。床に転がる玩具、書籍。散らかった学習机の上。そこかしこに、まだ生活感が残っていた。

 

(部屋も広いし、机も大きいし。羨ましいなあ……)

 

Aさんは学習机に近づき、何となく引き出しを開けてみた。

一番上には、学校の宿題なのだろう。漢字の書き取りや計算問題などのプリントが入っていた。

 

(ケンタくん、真面目に勉強してたんだなあ……)

 

何枚かのプリントは最後まで終わっていないところを見ると、ケンタくんは亡くなる直前までちゃんと勉強をしていた、ということなのだろう。

ほんの少し前までこの机を使っていたはずのケンタくんのことを考え。

寂しいような、悲しいような気持ちになりつつも、Aさんは上から順に、次々と引き出しを開けて中を見ていった。

 

 

そして最後に残ったのは、学習机の一番下にある、大きな引き出しである。

他のものと同じように、そこを開けて中を覗いた。

 

そして、Aさんは困惑した。

 

普通、学習机の一番下の引き出しといえば。

書道セットやノートなど、大きくてかさばる品をしまっておくものだろう。

 

 

だが。

そこには、画用紙がたった一枚だけ入っていた。

 

 

(……なんだろう?)

取り出して見てみると、その画用紙にはクレヨンで絵が描かれていた。

家らしき建物と、その横に立った人の姿を描いたものらしい。ケンタくんの描いたもの、なのだろう。

当時、小学校低学年だったAさんから見ても、あまりに下手な絵だった。

線は歪み、塗り方もグチャグチャ。寸尺もおかしく、建物に比べて人の背丈が異様に大きい。

その人物の姿も、自分か家族の誰かを描いたのだろうが、顔がグチャグチャに塗り潰されていて、表情がわからない上、性別さえも不明な有様である。

 

ただ。

その人が赤い帽子のようなものを被っている、ということだけは見てとれた。

 

(なんだろう、これ……)

図工の授業の作品、もしくは宿題なのだろうか。

それにしても、歳の割にあまりに拙い出来である。さっき見た宿題のプリントと比べると、その差が際立っていた。

 

しかし、誰にだって得手、不得手というものがあるものだ。きっと、ケンタくんは絵を描くことは苦手だったのだろう。Aさんにだって、思い当たることはあった。

 

普通、ノートや書道の道具などを入れておくはずのこの引き出しに、この絵が一枚だけ入れてあったのも。

まるで、この紙をしまうためだけに使っているかのようで、不自然ではあった。

だが、Aさんにはわからなくても、ケンタくんにとっては思い入れのある大切な絵だ、ということなのかもしれない。

 

(……きっと、そういうことなんだ)

Aさんはそう納得し、絵を引き出しに戻し、部屋を出た。

そしてトイレへ行った後に部屋に戻り、Aさんはようやく眠ることができた。

 

『その時』は、それ以上のことは何もなく、無事に葬儀やそれにまつわる諸々を終え、翌日Aさん一家は家へ帰ったそうである。

 

 

 

──その翌年のこと。

ケンタくんの一周忌の法要に参加するため、Aさん一家は再び親族の家を訪れた。

お昼過ぎに法事が一段落し、大人たちは居間に集まってあれこれ話をしていた。

子供なのでその中に加われず、横で様子を見ていたAさんは、不意に便意に襲われ、トイレに向かった。

 

そして一年前の夜と同じように、ケンタくんの部屋の前を通りかかった。

(あ、ケンタくんの部屋だ。懐かしいなあ……)

昨年の、葬儀の夜のことを思い出し、Aさんはトイレに行った後、何となしにケンタくんの部屋へ入っていった。

 

部屋の中は、去年の夜、こっそり入った時と全く変わっていなかった。

(……そりゃそうか。一年くらいで変わったりはしないか。もう戻ってこないけど、そのままにしておくよね。広い家なんだし……)

子供ながらにそう納得しながら室内を眺めていると。

ふと、学習机の引き出しに仕舞われていた、あの絵のことを思い出した。

(あ、そうだ。あの絵……)

 

 

(えっ……)

学習机を見て、Aさんは絶句した。

 

 

例の大きな引き出しは、完全に『封印』されていた。

 

 

『封印』というと、いかにもな呪文の書かれたお札が何枚も貼られている。そんな光景を想像するかもしれない。

 

だが、そんなものではなかった。

 

何本もの太くて長い釘が、メチャクチャに打ちつけられていて、絶対に開かないようにしてあった。

あまりに粗雑に、力任せに何本も打ち込んで釘付けにしてあるため。

引き出しの表面、その板面に大きなヒビが入っているほどであった。

 

(なにこれ……)

その異様な光景にゾッとしてしまい、Aさんは急いでケンタくんの部屋を後にした。

 

そうして大人たちの集まる居間へ戻ってきたのだが、変なものを見てしまったせいで、どうにも落ち着かない。

せめて、両親や周りの大人たちにあの引き出しのことを話せれば、少しは楽になったのかもしれない。

しかし、それはつまり、他所の家で他人の部屋に勝手に入ったことを白状する、ということだ。

間違いなく、叱られるだろう。そう考えるとAさんは何も言うことができず、大人たちが心配して声をかけてきても曖昧な返事をするしかなかった。

 

 

──それから数時間後。

一周忌の法要も終わり、

「……そろそろ帰ろうか」

と両親がAさんへ告げた、夕暮れ時のことである。

 

帰り際、玄関で靴を履いている最中。

両親が親族に呼ばれ、そして居間に戻って行った。そのため、Aさんだけが玄関に一人残される形になった。

玄関横の靴箱の上には、何匹もの金魚が泳いでいる、大きな水槽が置かれていた。

両親が戻るまで、それを見て暇を潰そうとAさんは考えた。

 

 

そうして、水槽の中の金魚たちを眺めている内。

フッと、ある感覚に襲われた。

 

 

(……外に、誰かいる?)

 

 

玄関の引き戸のむこう。庭に誰かがいる。

そんな気配を感じる。

法事に遅れてきた他の親族だろうか。

そう思い、何の気なしにAさんは引き戸を開けた。

 

 

「……えっ?」

その先に広がる異常な光景に、Aさんは自分の目を疑った。

 

 

庭が、広くなっていた。

 

 

ほんの数時間前。

この家に来た際、そこを通った時よりも。

明らかに、異様な形で。

庭の面積が広がっていた。

 

 

いくらケンタくんの家が地方だとはいえ、一個人の家がここまで広いわけがない。

(……見間違い?)

そう思って目をこするが、何度見てみても、夕暮れの日の色に染まった庭は、数時間前に見た時と比べ、明らかに広くなっている。

 

わけがわからず呆然とするAさん。

 

 

そして、その内に。

彼は『あること』に気づいた。

 

 

明らかに異様な形で面積が増した、庭のむこう。

地面に置かれた飛び石が並んだ、その先の、庭の入り口。

 

 

門のところに、誰かが佇んでいた。

 

 

赤い帽子を被った、お姉さんだった。

 

『お姉さん』というのは、当時小学生だったAさんから見た表現である。

つまり、当時の彼から見て年上の、高校生から大学生くらいの女性、だったそうだ。

子どもであるAさんから見ても、美人と思うような。

かといって、特に目立つ感じの派手な人でもない。

そんな若い女性が、門扉のむこうから庭の中を覗き込んでいた。

 

 

さっき感じた気配の主、なのだろうか。

法事に遅れてきた親戚なのだろうか。とも思ったが、それにしても、法事にあんな赤い帽子を被ってくるような人など、いるのだろうか。

 

Aさんがそんなことを考えていると、不意に女の目が動き、視線が彼の方へ向いた。

 

硬直しているAさんへ、女がニッコリと笑い、そして声をかけてきた。

 

 

『……あ〜、そんなところにいたんだ〜』

 

 

まるで近所を散歩している途中に、知り合いと偶然会って、話しかけた時のような。

そんな自然な口調だった。

 

 

だが、そんなに親しげに話しかけられても、Aさんにはまったく見覚えのない相手だ。

当然、親族にもこんなお姉さんがいた記憶はない。

(……誰⁉︎)

異様な状況の中、見知らぬ相手に親しげに話しかけられ、状況が理解できずに固まっているAさん。

そんな彼に向け、女が再び声をかける。

 

 

『な〜んだ、そんなところにいたのか〜』

 

 

そして女は庭へと侵入し、ニコニコと笑いながらAさんの方へ歩いてきた。

庭に敷かれた飛び石の上を、女がゆっくりと歩いてくる。

 

 

女が歩く毎に、その身体が。

ヒョコッ、ヒョコッと、左右に傾く。

片方の脚を、引きずるというか。かばっている、というか。

そんな、脚にケガをしている人のような歩き方だった。

 

だが、おかしなことに。

歩きながら身体を傾ける側が、一歩ごとに違う。

というか、全くバラバラ。不規則だった。

さっきまで左に傾いていたはずが、二、三歩進むと右側に。そしてまた何歩か進むと左側に、という具合だ。

ケガのためにそんな歩き方をしているのなら、どちらの脚にケガをしているのかわからない。

 

 

……後年、Aさんがその時のことを思い出して言うには。

まるで長いこと車椅子生活だった人が、久しぶりに自分の足で立って歩いているかのような。

『歩き方そのものを忘れてしまった』ような。

そんな動きだったという。

あるいは『ケガをした人の真似をしているよう』でもあったらしい。

 

 

硬直しているAさんの方へ、赤い帽子の女は微笑みを浮かべ、庭の敷石を踏みながら歩み寄ってくる。

(……もしかしたら。忘れているだけで、昔会ったことのある人なのかもしれない)

そう考え、Aさんは必死で記憶を辿った。

だが、どれだけ思い出そうとしても、やはり自分の記憶の中には、眼前の女性と合致するような人物はいなかった。

 

 

そして、庭の中程まで来たところで。

女の歩みが、急に止まった。

立ち止まり、小首を傾げ、怪訝な表情でAさんの顔を見ている。

 

 

『……あれ〜? よく見たら、ケンタくんじゃないな〜?』

 

 

従兄弟だから、多少は似ているところはあったのかもしれない。

しかし、Aさんはケンタくんと自分の見た目が似ていると思ったことはないし、周囲から似ていると言われたことも、間違われたこともなかった。当然だ、別人なのだから。

 

だから、Aさんは、

(そうだよ)

と、返事をしようとした。

 

だが、それよりも早く、女が口を開いた。

 

 

『……まあ。ケンタくんじゃなくても、いいか〜』

 

 

そう言った、次の瞬間。

Aさんに向かって、女が猛スピードで走ってきた。

 

 

「……ウワアッ!」

驚いたAさんは慌てて玄関の中へ引っ込んだ。

いくら庭が広がっているとはいえ、女から玄関までの距離などたかが知れていた。全力で走ってこられたら、あっという間にこっちまで来てしまう。引き戸を急いで閉めた。

 

 

奇妙なことに。

女が庭の中ほどまで来て立ち止まった時、Aさんには一瞬だが女の足元が見えた。

少なくとも、ハイヒールやブーツなどではない。底の柔らかい、運動靴のようなものを履いていたはずだった。

 

それなのに。

玄関まで走ってくる女の足音は、妙に硬質だった。

 

敷石が靴の踵に当たる音、だったのだろう。

下駄を履いているかのような、

 

カカカカカッ

 

という音を。

その時、確かにAさんは聞いた記憶があるという。

 

 

玄関に逃げ込み、引き戸を閉め。

Aさんはそこで『あること』に気づいて青ざめた。

 

よその家なので、自分の家のそれとは玄関のドアの構造が違う。

鍵の閉め方がわからないのだ。

 

(どうしよう、どうしよう! このままじゃ、あの女が家の中に入ってきちゃう!)

パニックになりながら、必死で戸を押さえた。

 

いくらAさんが必死に戸を押さえても、所詮は子供の力だ。女性とはいえ、大人が力任せにやれば簡単に戸は開いてしまうだろう。

 

だが、いつまで経っても戸が開かれる様子がない。

 

引き戸のガラスの向こうには、夕焼けの色を背景にして、玄関のすぐそばまで来た女の姿が確かに見える。

 

しかし、女は玄関の前に佇み、

 

『……久しぶりにケンタくんに会えたと思ったらケンタくんじゃなかった。でも、ケンタくんじゃなくても、もういいか〜』

 

そんなことを呟くばかりで、引き戸に手を触れようとはしない。

 

そんな女の様子を見ている内に、Aさんの頭の中に、根拠はないが一つの推測が浮かんだ。

 

 

(……この女は、扉が開いていたら入って来れるけど、閉じられていたら自分では開けられないから、鍵がかかってなくても入って来れないんじゃないのか?)

 

 

そうして、Aさんが必死で引き戸を押さえていると。

 

『う〜ん。でもな〜。扉が開いてないしな〜』

 

そう呟く声と共に、不意にガラスの向こうの女の姿がスッと右に動き、建物の影に入って見えなくなった。

 

(諦めて、帰ったのだろうか)

そう考えてホッとした、次の瞬間。

 

『玄関の右側には何があるのか』

 

それを思い出し、Aさんは愕然とした。

 

 

玄関から右へ進むと、居間に面した裏庭がある。

居間には、大人たちが集まっている。

そして、居間の窓は、法事中からずっと、風を入れるために開かれたままになっていた。

 

 

(女が、窓から入ってくる……!)

 

 

Aさんは急いで居間へ向かった。

居間へ駆け込むと、両親を始めとする大人たちは皆そこにいた。

談笑する人、お茶を飲む人、テレビを見ている人。全員、さっきまでと変わらない様子である。

とりあえず、全員何事もなさそうなことに安心したAさんだったが、すぐに居間へ来た目的を思い出した。

(ああ、よかった。みんな無事だった。……そうだ、窓!)

法事の最中から開け放たれたままになっているはずの窓へ、目を向けた。

 

 

『……よいしょっと』

女が、右足を踏み入れ。

今まさに、室内に侵入しようとしていた。

 

 

「ウワアッ!」

思わず声を上げ、後ずさるAさん。

 

 

 

──Aさん曰く。

そこから先の出来事が、いまだに何だったのか、よくわからないままなのだという。

 

屋内に、見知らぬ女が侵入してきた。

普通に考えれば、その場にいた大人たちが女の姿を見て何事かと騒ぎ始めるはずだ。

 

 

……だが。

誰も、何も反応しなかった。

 

 

その場には大人が十数人ほどいたのだが、誰も女の姿など見えていないかのように、それまでと同じようにお茶を飲んだり談笑したりしている。

 

いや、正確には。

間違いなく、視界に入っているはずなのに。

誰もその女について触れないようにしているかのようだった。

 

『ある大人たち』などは。

確かに一度、自分たちの前を通過する女へ視線を向けたはずなのに。

すぐに下を向き、そこに誰もいないとでもいうような、そんな行動をとったのだという。

 

 

状況が理解できず、居間へ入ろうとした体勢のまま硬直するAさん。

彼の見ている前で、女は屋内へ侵入し、ニコニコと笑みを浮かべ、Aさんの方へと歩み寄ってくる。

 

まるで、買い出しに行ったスーパーで、お買い得な特売品を見つけた時のような。

そんな、どこにでもいる人のような、ごく自然な表情だった。

 

 

Aさんの方へ歩み寄ってくる際、女はある人のすぐ後を通った。

ケンタくんのおじいさんである。

おじいさんはテレビを見たまま、他の大人たちと同様、誰もそこにいないかのように振る舞っていたのだが……。

 

女が背後を通った後。

おじいさんが一言、ボソリと呟いた。

 

 

「……そっちが決めた約束事なのに、そっちが守らなくてどうするのかねえ」

 

 

そうこうしている内に、女はAさんの目の前まで迫ってきた。

腰を屈めて彼の顔を覗き込み、まじまじと見つめながら言う。

 

 

『よく見たらケンタくんじゃないけど、この鼻の感じがケンタくんに似ているような気がする』

 

 

──そこで、Aさんの記憶は途切れている。

次に気がついた時、Aさんは父親の運転する車の後部座席に寝かされていた。

かなりの速度を出して走っているらしい。いつもの父親らしくない、かなり荒い運転だと感じた。

後部座席に横になったまま、Aさんは運転席と助手席に座る両親の顔をミラー越しに見た。

父親はかなり焦っているような表情を浮かべ、母親は俯いてガタガタと震えていた。

 

(これは、触れないようにした方がいいやつだ……)

 

両親の様子を見てそう感じたAさんは、そのまま家に着くまで眠ったふりをすることにしたそうだ。

 

ようやく家に帰り着き、Aさんがそこでやっと目覚めたようなふりをすると、両親はそれぞれ泣いたり安堵したり、そんな反応を見せた。

母親はAさんを抱きしめ、

「ごめんね、ごめんね……」

と、繰り返し呟き。

父親はAさんの様子を見て安堵すると同時に、

「……あんな人たちとは思わなかった! あんなに薄情な親戚だとは思わなかった! もう、あんなやつらとの親戚付き合いはお断りだ!」

と、憤慨して言う。

 

 

……だが。

Aさんはそんな両親に対し、

(何を言ってるんだ……)

と、白々しいと感じていた。

 

 

……というのも。

 

あの赤い帽子の女が居間に侵入し、Aさんへ向かって歩み寄ってきた時。

その場にいた大人たちは、全員が女に対して、見えていないかのような、無視するかのような動きをしたわけである。

 

 

そこには、Aさんの両親もいたのだ。

 

 

それどころか。

明らかに一度、目の前の女へ視線を向けたはずなのに。

すぐに下を向き、無視するかのような行動をとった大人。

 

それこそが、Aさんの両親だったのである。

 

 

(……あの時、あんなことをしておいて。今さら何を言っているんだ)

その時に両親に対して抱いた、そんな反感、不信、違和感。

Aさんは、それらをどれだけ経っても忘れられなかった。

 

 

結局。

その時に生じた不信感のため、Aさんは最終的に実家と縁を切った。

彼は両親の援助を受けて大学に通わせてもらっていたが、在学中にそう決心してからは学費を自分で稼いで払うことにした、というのだから相当なものである。

 

それ以来、Aさんは実家へは一度も帰省していないし、両親と連絡もとっていない。

例え両親が亡くなっても、実家へ戻るつもりはない、とのことだそうだ。

当然、親戚の家がその後どうなったか知らないし、知りたくもない、という。

 

 

『……ケンタくんの家での体験から何十年も経ちますが。今でも赤い帽子を見る度にビクッとしてしまうし、職場にいたら助かるようなハキハキしたタイプ、そんな女性を見ると、その時のことを思い出して一瞬身構えてしまうんですよ』

 

オカルトサークルの取材に対し、Aさんはそのように語ったそうだ。

 

 

赤い帽子の女は、いったい何者だったのか。

庭の異変は、何だったのか。

なぜあの時、大人たちは無視を決め込んだのか。

おじいさんの言葉は、どういう意味だったのか。

なぜ両親は一度自分を無視したのに、車内ではあのような態度を取ったのか。

 

何十年も前の出来事な上、先述したようにAさんが実家や親戚と縁を切ってしまっているため。

それらについて知る術は、もうない。

 

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐NEO 第ニ夜』(2020年9月16日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/640989982

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:18:00くらいから)

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見出しの画像はこちらから使用させていただきました

苔むした古い日本庭園の飛び石

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